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坐骨神経痛サバイバー
幼い時から体格が良く(なんと幼稚園の時には『健康優良幼児』で表彰された!)怪我も大病もなく(骨折はおろか捻挫すらしたことがなかった)、
縦も横も文字通りすくすくと大きく育った私が最初にくらった打撃が、この坐骨神経痛だった。
あれは3年前。きっかけはブーツだった。
美容院に行く時って、ちょっと靴に気を使う。シャンプー台でリクライニングされた時、膝掛けから覗く靴がへたっているとちょっと恥ずかしい。
その日もそんな変な気を使って、買ったはいいけどフィット感がイマイチであまりはいていなかったブーツを、引っ張り出して履いて行ったのだった。
仕事の後、職場から行くのにちょうどいい時間を予約したので、まあまあな距離を歩くことになった。
歩き始めて気付いた。
タイツだけだと中で滑って歩きにくいんだったっけ。
あまり履いていなかったので忘れていたが、タイツに靴下を重ねてちょうどいいサイズなのだった。
ひたすら我慢して歩き、終わって家に帰り着く頃には腰がバキバキ、ふくらはぎはパンパンだった。
翌日は立派な腰痛の人だったが、まだ普通の筋肉痛レベルだった。
ここで、私は洗濯を、いや選択を誤る。
庭で、ひとりで枇杷の木の剪定をしてくれていた夫君をみかねて手伝ってしまうのだ。
切った枝をまとめて紐でくくる。ひもでくくる。ヒモでくくる…。
まあまあな重労働。
そして終わった時にはよくわからなかった異変は、夜寝てから訪れた。
脂汗をかいて目が覚めた。
痛い。
どこが痛いのかすぐにはわからなかったが、起きあがろうとして思わず声が出た。
腰!腰が痛い!
仰向けも、うつ伏せも、右向きも左向きも、どう寝ても痛い。立とうにも腰が立たない。生まれたての子鹿のほうがまだましとばかりに、前屈みになりながらなんとか立って、かべを伝いながら階下に降りた。
時は11月。晩秋の未明はひんやり冷たい。
リビングのホットカーペットをつけて座り込むが、じっとしていられないほどの痛みに苦悶する。
なんとか正座から前屈した姿勢が一番楽だとわかりうずくまったが、痛みはひかない。
一睡もできずに長い夜が明けるのを待った。
朝一番に病院へ。夫君に送ってもらう。
病院内の移動も前屈みでヨタヨタと、まるで老人のよう。
レントゲンを撮ってもらい、息子ほどの若い先生に
「多分、坐骨神経痛では」と診断され、とりあえず薬を飲んで様子を見てと言われた。
薬を飲んでしばらくしたら痛みはマシになり、少し眠ることができた。
不思議なのだが、マットレスよりも、フローリングにホットカーペットだけという固いところで寝るのが一番楽だった。
そして、どうも左の後ろ腰から太腿の後ろあたりが痛いのだとわかった。
ネットで調べまくって対処法をいろいろ試すが、これと言って効果はない。
じっとしていないで、なるべく歩くようにと言われていたので、ヨタヨタしながら近所のドラッグストアに行く。数メートル進んでは休み、進んでは休みの牛歩戦法。道路のわずかな傾斜ですら辛い。
今まで何も考えずに歩いていたが、腰や股関節が柔軟に補正してくれていたのだと再認識する。
そして、カートに上半身を預けてしがみつくように歩くのが、すこぶる楽ちんなのを発見!
おばあちゃんたちの手押しカートには、ちゃんと意味があったのだ。
椅子に腰掛けるのも難しい状態だったが、左の骨盤の下に手を差し込むと楽になることがわかった。始終手を入れていたのでは何もできないので、試行錯誤の末、手拭いを何度も固く結んで団子状にしたものをハンカチで包んで、左骨盤の下に入れて座ることにした。
楽!かなり、楽!これだ!
結果的に、おだんごちゃんと名付けたこの手作りの物体によって、私はまっすぐ歩けるまでに回復したのだった。再診した際、お医者さんにびっくりされるくらいに。
50を超えるまで健康に何の不安もなかったわたしだったが、これに懲りてジムに通うことを決めたと言っても過言ではない。
筋肉がないから姿勢が保てない。
太っていては介助してくれる人の負担になる。
元気な時にはわからなかった、当たり前のことに、ようやく思い至ったのであった。
上半身と下半身を繋ぐところ。
腰。
肉月に要とはこれ以上ない、ぴったりの漢字だと思う。
体に大事じゃないパーツはないけれど、腰は大事!しみじみと思う。
腰は大事!
あ、あとはサイズのあった靴を履くこと!
努努忘れることなかれ!である。