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その理由は、ただ「好きだから」

ミステリの「謎」には、多くの種類がある。

最も一般的なものは「誰が犯人か?」という「Who」に関する謎である。

また、犯人は分かっているものの、どのように犯行に及んだかが焦点となる「How」に関するミステリもある。

しかし最も興味深いのは、なぜ犯行に及んだのか、という「Why」に関するものだ。
恨み、復讐、愉快犯・・・。
こうした動機に関する人間の心理を考える上で、神崎ユウさんの『四季-移ろいゆく季節の中の変わらぬ狂愛-』は、興味深い事例を教えてくれる。

この物語の主要な登場キャラは2人と2匹。
すなわち「ナツ」と「アキ」という人物と、「ハル」と「フユ」という猫である。

メインとなる彼らの物語が、第1話、第2話、第3話・・・と続いていき、その間に第1.5話、第2.5話・・・という話が挿入される。
それも「第1.5話(表)」「第1.5話(裏)」という裏表の不思議な構成を取りながら、である。

こうした物語の配置には、極めて幾何学的なものを感じる。
というのも、作者の神崎ユウさんは『儚き魔術師は虚無に棲む』なるノベルゲームをつくるほど数学への深い造形があるからだ。

無機質な線と点の配置に、人の想いが交差するのは、まるで曼荼羅のようではないか。

その悲喜劇の大曼荼羅の中央に坐するのが、「Why?」なる不可思議な問いである。

なぜ「Why?」が不可思議か?
それは「Who?」や「How?」の問いとは異なり、「Why?」は断定しきれないという面があるからだ。
人の心理は複雑怪奇。
「あの人のことを憎んでいたから、殺した。でも・・・愛してました」ということである。
あるいはもっとよくある事例で言えば「自分でもよく分からない」「我を忘れて」「魔が差して」「気が付いたらこんなことになっていた」など。

これらの現実は酷く乱雑であり、人はこの無秩序に耐えられない。
だから人は、美しい物語を求める。
ここで言う美しさというのは、いわゆる綺麗なものという意味ではない。
そうではなく、筋の通った、犯人の強い意志があるかどうか、ということである。
たとえそれがグロテスクなものであっても良い。
いや、むしろ創作としてはよりグロテスクなものであることの方が要求される。

無意味で無秩序で乱雑な現実に対して、これぞという物語を見せてほしいという、いわば優れたショウを願う気持ちである。

そしてこの物語でも、間に挟まれる「*.5(表)」の物語の舞台はワイドショウである。
これは極めて示唆的だ。

ところで、ミステリのレビューを書くというのは難しい。
既読の読者に限定した文章であるならともかく、未読の人のことを考えるとネタバレ厳禁だからだ(とはいえ、この物語は、ちょっとやそっとではネタバレしきれないほどの一筋縄ではいかない驚愕の展開がある)。

そんな制約がある中だが、改めてタイトルを確認しよう。
『四季-移ろいゆく季節の中の変わらぬ狂愛-』。
メインの2人と2匹が、四季にちなんだ名前を持つことを連想するのは当然として、注目すべきは「狂愛」という言葉である。
日常的にはあまり目にしない単語であろう。
しかし、何も難しいことはない。
簡単言ってみれば、「好きなもの」ということである。

分かりやすい話をしよう。
食べ物の好みは人それぞれである。
ある人にとっては大好物であっても、別の人にとっては苦手ということはよくある。
激辛がその代表例だ。

あるいは納豆が苦手という人。あの臭いと粘着した糸を引く姿が絶えれない。
また、甲殻類が苦手という人もいる。エビ、カニあるいはシャコの見た目が受け付けられない。
カキやホヤなどのどろっとした姿が気持ち悪いという人もいる。

食は、五感の中で最も保守的なものだ。
自分の体の中に取り込み、体の一部として吸収していくわけなので、より敏感にならざるを得ない。
(これに対して見るだけで済む視覚は、最も冒険をしやすい)

食の好みは健康とも密接に関係する。
往々にして体に悪い方がおいしいと感じることは多い。
それでも人は食べてしまう。

他人から、そんなものを食べるの!? なぜ!?
と問われても、食べてしまう。
理由は、ただ「好きだから」としか言いようがない。
人は、好きだから食べるのだ。
それを念頭に、ぜひこの物語をお読みいただきたい。


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