お弁当屋の妻になることは、決まっていたのかもしれない。
本を読むのが楽しかった頃(小学生から大学生くらいまで)もっぱら読むのは、小説。今も捨てられない本の中に
とか
があります。
まさかお弁当屋の妻になると1ミリも思っていなかった私が・・・
実は、『食』にまつわることが昔から好きだったのかもなぁーとポツポツと思い出してきていているのです。
そういえば・・・今まで40年。
あちこちにいまここに至る『点』が散りばめれているようなきがします。
料理がすきVS料理がすき
そういえば、とても小さい頃レシピを紹介するTV番組は、祖母とよく見ていたような気がします。
誰かが料理をつくる番組を見てる時、祖母が一生懸命メモをとっていたり、「美味しそうだね」と微笑んでる存在感を感じる。
私の母もお料理は好きだとおもうのですが、祖母もそんなこんなで大好きだったとおもうのです。
台所の取り合いでいつも母と揉めていた記憶があります。
いわゆる『嫁姑問題』ですが、これがほんとうに毎回嫌でした。
糠漬けの漬け方
味噌汁の塩加減
ご飯の硬さ
おかずの量
もう、良い加減にしてもらえませんか??
とは、子どもですから言いませんけど、まぁよく母は私に祖母の愚痴を言いましたし、祖母も同じように私にいってきたので、両方のことが好きな私からしたら、大混乱させる状況がずっと長期に渡って続いていました。
でも、祖母も衰え
味噌汁を手放し、糠床を手放し。
母に委ねたとき、どんな気持ちだったのだろうか??
と今想像すると、全く表情もその時の行動もおもいだせない。
もっと祖母の話をきけばよかったなぁーと少し後悔する。
きっと、二人の間にいることが心底めんどくさかったことを自覚していた時期かもしれない。
でも、きっとすごい決断だったのかな?ともおもうし、仕方なくだったのかな??とも思う。
そういうときは、必ずやってくるのだろうなぁー。
お料理がすきな人って、誰かを想える人だとおもうんです。
それは、もちろん自分自身を含めます。
祖母も母も誰かは、『家族』であって、同じものをおもっているのに、揉めてしまうのでは、時代というか性というか・・・。
二人にとって必要な時間であり、きっと私にとっても貴重な風景だったのだと思います。
わたしは、結構な英才教育を受けていたのかもしれない・・・
とおもうと、この職業についた理由も納得する。
ポロポロと思い出す、『食』にまつわる記憶を大事に、今日もみんなの
お台所として大事に食事を作っていこうとおもいます。
新しい朝は、希望の朝。
今日もすばらしい1日へいってらっしゃーい。
また明日!