「なんでそうなったの?」って何度聞いてもわからないことが起きたら『流星の絆』を観るべし
私はミステリーと言うかヒューマンサスペンスみたいなジャンルが好きで、ついつい観たいドラマが偏りがち。それで言えば、
白夜行(東野圭吾)
砂の器(松本清張)
白夜行(東野圭吾)
なんかが人生ベスト3にランクインしているのだが、ぜんぶを履修済みの方はきっと「あ〜!」と腹落ちしてくれたんじゃないだろうか。
つまり、どうしようもなくなった人たちがどうしようもなくなっている様を見ると安心するのだ。だって、どうしようもないんだもの。
どうにかしようとは思うけど、どうにもならなくて、どうにか良くしようとするほど、上手くいかなくてすべてがどうでも良くなる。
それって、ものすごく人間してると思いませんか??
流星の絆の最終回だけ毎回忘れる
何をどう考えても納得できなくて、何度理由を聞いても腑に落ちなくて、向き合えば向き合うほどしんどくなってしまう出来事が起きて、久しぶりに流星の絆を観たくなった。
たぶん、犯人が誰だか毎回忘れてしまうからだと思う。
長男のニノがずっと怒ってて、くすぶってて。三兄妹の末っ子の戸田恵梨香があまりにも真っ直ぐで可愛くて、幸せになってほしくて。錦戸亮の『ラスト・フレンズ』との温度差に毎回新鮮に戸惑いつつ、真ん中っ子ってこういうものだよなと大目に見てあげたくなる。バランサーを担う役割の人間が本当に楽観的かどうかは、実は本人にもわからないものだから。
最終話に近づくにつれ、「あ〜〜〜そうだったそうだった!コイツが犯人だった!!いや、思い出してきたぞ?…で、何でなんだっけ?」という気持ちが高ぶる。
最終話を観て、「そうなんだよね!!とてやっぱりね!確かに、言われてみればそういう経緯だったよね!ハイハイ!だけど、それって本当に人を殺さないといけない理由なんだっけ?幼い子供たちから両親を奪う以外に、方法はないようなことなんだっけ?」と、スンとしてしまう。
そういう流れで、そういう背景があって、そうせざるを得なかったからそうした。そこまでは、わかる。
だけど、それで遺族が「ハイそうでしたか」なんて流せるわけがないことをドヤ顔で主張されたって、収まりがつくわけがない。そんなの、いちいち覚えてられるかよ。
「遺族が笑ったっていいじゃん!いつまで遺族って言われなきゃならないんだよ」
おそらく、流星の絆の真髄はこの台詞に詰まってるんだと思う。
自分にとって理不尽なことをしてくる相手が、こちらの納得できる大義名分を用意してくれているはずがない。
なのに、人生は続いていく。生きていかなきゃいけない。どんなに苦しくても。
物語だから、創作だから、救いがあってほしい。だけど、現実はそうはいかないことを私たちはよく知っている。
万が一、犯人の言い分があまりにも筋が通っていて「そりゃーニノのおとんもおかんも殺されても仕方ないよな」って割り切れるものだったら、こんなに何度も観返したくなったりしないだろう。
有明兄弟がどこかにいる気がして、洋食屋さんに行きたくなったり、ハヤシライスが食べたくなったりしなかったんだろう。
空に輝くよキラリ、涙チョロリ
「あんたとあたしじゃ、悲しみのキーが違いすぎる。1オクターブ違うよ」
たぶんドラマオリジナルの、中島美嘉のこの台詞も好き。
クドカンの演出にクスりとしすぎていつもドラマ版だけでお腹いっぱいになってしまうけど、そろそろ原作も読んでみたいな。
どんな嫌な目にあったって、このドラマの嵐の主題歌のフレーズが浮かんで「そういえば、笑っていいんだった」と思い出せたら、きっとその時が勝ち。