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タロットのLe Mondeと茅の輪くぐり

Facebook 2020-07-30

「茅の輪くぐり」の季節ではあるのだが、遅い梅雨明けですっかりこうした「行事」からはご無沙汰してしまった。茅の輪とタローカードの「Le Monde / The World」に見られるリース状の輪のことを書いたら一部の方から若干の反響めいたものがあった。「The World」のカードが21番目のものと22番目のものがあったために、もう一度改めて大アルカナを並べて全貌の確認をするということをやってみた。

「マルセイユ」と呼ばれるセットは比較的古くから標準的なカードの一つとして知られている(英語圏でもっぱら実際の占いに広く使われているA.E. Waiteなどのセット(Deck)よりもずっと古いもの)。自分の持っているこのデックは、そのマルセイユのカードにややモダンな着彩をしたもので、成立した当初(かつて)はこういう色合いであったのかもしれないと思わせるものになっている(一般的には原色4色刷りくらいの木版画のような単純な印刷のものが多い)。このセットでは大アルカナと呼ばれる主たる22枚の「絵札」の中で、「愚者」を除くカード21枚が三層構造の歴史の3周分に相当するようになっていて、謂わば3週間のカレンダーのように並べられる。第3週の最後の日(サバト/安息日)が「The World」になるのであり、これがその他のセットでも一般的だ。

しかるに、先日見た3つのセットの中でスペイン由来の「El Gran Tarot Esoterico」(偉大な秘教的タロットとでも呼ぶべきか)では、何故か「El Mundo / The World」のカードが22番目になっていた。これもきちんとカレンダーのように並べてみて、何がどのようにずれているのかを見極めてみることにした。

すると、マルセイユでは番号がない「愚者」(El Loco / The Fool)のカード*が21番目に来ており、「El Mundo」を外に押し出す形になっているのであった。これは意味を考えるとなかなかの衝撃だ。つまりズレは最後の最後に起きていて、あろうことか「愚者」が割り込んで第3週の「最後の日」を締め括る形になっているのである。今回撮った写真では「El Mundo」が右端に押し出されたように撮影してしまったが、22日は第4週の第1日(日曜日)のことでもあり、また「世界」自体が世界を放浪するようにも、はたまた「世界」が常にどの時代にも遍在しているようにも読める。つまり決まった居場所がないかのように見えるのが「愚者」ではなくて「世界」そのものなのであった。

* Waiteのカードでは「0」という数字が当てられている。

タローカードは過去の出来事についての知識・知恵を後世に伝えるもの(書籍/神話)であると同時に、歴史は繰り返される以上、未来を占うものとしても利用される。そして印刷物の形で伝えられるものである以上、常に伝達者による一定の解釈が追加されるものでもあり、その点で言えば、どちらか一方が「オリジナル」に近く、他方が解釈によって改訂されているとも考えられるのである。

タローカードはそもそもエジプト由来で、ジプシーの人々がエジプトから逃れた際に、一緒に持ち出したものであるという説がある(諸説あろうが)。ユダヤ人が(旧約)聖書とともにあって、「出エジプト」を断行し、モーゼ五書を伝えたように、ジプシーはタローと共にあったというわけである。それではこのカードがどのように欧州世界に伝わったのかを考えると、主たるルートとしてはエジプト→アラブ世界→地中海→西欧という流れというものがあるのではないかという気がする。これは欧州世界に「科学」が伝わった経路に等しい。仮に地中海経由で伝わったとすれば「マルセイユ」のカードはおそらくマルセイユから「上陸」したためにそのように呼ばれているのではないかと推察できると思う(全くの想像)。一方、スペインはと言えば、長らくイスラム教の影響下にあったことを思えば、その地に伝わったタロットの方がより原型に近い形をとどめている可能性もある。

とすれば、どこにも属さない「愚者」が3週の世界を巡って様々な人物や出来事に遭遇していくというストーリーは絶対ではなく、全能的な「マギ」(1番目のカード)が世界を開始して、最後は愚者として終わり、世界はそれを傍観しているようにも見える。あるいは「巡る時間そのものが世界なのだ」というメッセージとしても解釈可能であるように感じるのだ。

まことに出版物(もとい、「聖典」)というものは、版の違いがあってこそ、その差異の部分に重要な真相や課題が潜んでいるわけであって、そのような「ありがちな普遍的な傾向」を、これらタローカードも保持していると言えるようである。

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