『他者と私』
おはようございます☀
通勤電車でふと気付いた事があったので、忘れない内に書き留めようと思う。
家に大人1人、3人娘と暮らすようになって早一年少々。
不安・ざわつき・責めたくなる気持ち・被害者意識、色々な感情を感じることが出来た。
長女は学校へ行かなくなって半年。
私のせいなのか、なぜなのか、そんな葛藤を抱えながら、元夫からの離婚の催促と責め立てる言葉の数々にとても疲れてしまったんだな、と今更思った。
張り詰めてた心が少し緩んで、『よくやってるな
…』と素直に思えた。
そんな時、まだまだ日々起きる事に『何故こうなった?こうなるということは、私がどんな事を考えて、何も感じていたからなのか?』
とベクトルを自分に戻す事が、内観する事だと思っていた。
でも違うのではないか、と。
長女が不登校になったのは、
私の気づかないほど奥深くにある未消化の感情を表現してくれてるのだと。
私はごく普通の田舎の家で育ったと思っていた(今も思っている)
だけど、家で安らぎや完全な安心、を感じたことはなかった。
勉強と部活、部長という立場、割と上位の成績、1日の時間をしっかり管理して、全集中して取り組んだ。
たまの部活のない休日に目覚ましをかけずに少し遅くまで寝ていると、
『いつまで寝てるんだ!』と一緒に住んでた祖母に怒られてたことを思い出した。
勉強をリビングでしていたら、片付けなさいと毎日怒られた。
今まだ覚えてはいたけど、抑圧した思いがあった事を今認識した。
『あー、疲れてる時くらい休ませてくれたって良いじゃないか』
『少し広げただけで目くじら立てなくても良いじゃないか』
こんな思いを私が気付かない故に、娘が表現してくれたんだな、それなら私は感謝して受け止めて、どんな感情も引き受けようと思った。
多分他者はみんな、こんな感じで教えてくれてるんだね。
愛で溢れてる。