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「ヒーローインタビュー途中打ち切りで考える テレビはスポンサーが優先か?それと公共財か?」

 テレビにおけるプライオリティー、いわゆる最優先事項って何だろう?という問いかけに対し、ひと昔前の僕なら真っ先にそれは「視聴率の獲得」でしょうときっと答えたいたはずだ。もうちょっと言葉を足すと、テレビの収益はスポンサーからの収益で成り立っている以上、視聴率を取るのが至上命題だ。視聴率が悪かったら番組は打ち切りになる。市場の論理である。人気がないテレビに限らず、人気のない飲食店、サービス業は商売が成り立たないので淘汰される。

 でも先日の日本シリーズでDeNAの桑原選手のインタビューが途中で放送が終わるという出来事が起きた。これは恐らく後続番組のスポンサーに対する編成部と営業部の兼ね合いによるものだろう。放送時間が遅くなることで視聴者の数が減る。スポンサーの立場で言えば同じ金額を払ってるのに放送時間が深くなるほど、視聴者の数は減ったら(視聴率が悪かったら)払い損やないかい!ってことだろう。

 ビジネスの論理としては至極全うだと感じていた。なにせテレビを観るという行為は基本、無料である。「無料である以上、ごちゃごちゃ言うなや」というのはテレビ局側の理論であろう。この日、有料のDAZNがやっていたかどうかは確認してないけど、そういうことなのかなと思っていた。

 でもXかな、誰かがテレビは電波を国からあくまでも借りている立場であり、電波とは公共財であるという主張を目にした。テレビとは無料で見れる、テレビ局の利益が優先される、という根幹を揺るがす視点で確かにと思った。テレビ局は昔から最後の護送船団方式と呼ばれるほど国から守られている立場だ。総務省が管轄だ。キー局は5局で圧倒的な寡占市場である。こんなビジネスは他には思いつかない。鉄道も寡占かもしれないが採算の取れないところにも路線を運行させるなど、利益以外に公共機関としての役割があるものだ。となると、先日のヒーローインタビューの途中打ち切りは公共財としての役目を果たしておらず、テレビ局の利益優先という自社スタンスは変じゃないのかという思いが沸く。

 あの場面で本当にスポンサーは怒りだすのか?
 公共財であるテレビのCMに出資している以上、視聴者の興味を優先するのもナショナルスポンサーの役割じゃないのか?これがもし地震が起きたら何の苦情もなく編成は予定の番組を変更して特別番組をやるだろう。それが公共財のはずだ。

 日本シリーズのヒーローインタビューは自社の利益優先に負ける案件なんだろうか?僕にはちょっと疑問符が付く。そもそもここ10年以上続く、テレビ局自身の番宣(番組宣伝)も辟易している。すっかり慣れっこになっているが自分の局で自分の番組を宣伝するって「電波の私物化」である。本来、公共財であるテレビの電波を使って自社の番宣をするってどうなんだ?
僕ら放送作家は出入り業者なので局の言われるがままに「ああ、ここ番宣入るんですね」と受け入れるしかないが本当は変な話だと個人的には思っている。

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