「いい父親になると誓った」第1話
|はじめに
「遠田くんが、どんな人間なのかよくわからない」
最近、とある方に言われました。
確かに自分のことを話すのが苦手で、どんな人間なのか自分でもわかっていないことの方が多いと実感する日々です。
「喋れないなら綴ろう」と考え、
僕という人間がどんな人間なのか知ってもらえるようなnoteを書きたいと思います。
|「あんな父親にならない」と決めた幼少期
山形県遊佐町という田んぼしかないような地域に生まれた僕。
築100以上の座敷童が出そうな家に住んでいました。
夜になると、タヌキなのか屋根裏を動物が走りまわる音が聞こえる。
そんな僕は
「自分を守るので精一杯。」「何に対しても偏見を持つ」
ような子でした。
なぜ、そうなったのか?
明確な理由はありませんが、家庭環境が大きな要因であると思っています。
本当に小さいとき(2~3歳頃)に、親が離婚しました。
家族構成特殊で7人家族で男性が僕だけ。
「父親がいない家庭」で育ちました。
しかし、離婚した父親と全く会わないというわけではありませんでした。
時々、父親側の実家の焼き鳥屋さんのお手伝いをしたりなど、父方の祖父母はとても優しい人で、とても楽しい時間でした。
でも、そこに父親が現れると空気が一気に豹変します。
たばこのキツイ匂いや酒によって暴走する父親の姿。怯えながら、僕を守ろうとする祖母。
この状況を目の前にした当時5~6歳の僕は、「自分のせいで怒っている」と考えたため、好奇心旺盛で明るかった性格が、他人から嫌われることが無いよう、どこか本心を隠す性格になった。
そんな子供だったので、いつも一人でいることが多かったです。
1人でいる時間は、絵を描いたり、レゴで恐竜を作ったりしていました。
|嫌われることが一番怖かった。
当然田舎だったので、中学受験という概念はなく、地域の中学校に入りました。
それなりに、勉強もやって、部活で所属していたソフトテニスも楽しかった。でも、やっぱり周りを気にしながら生きている。
好きな子が入るということで地域の頭のいい方の高校を選び。
なんとなく、ソフトテニス部も続けて、なあなあで青春時代を終わらせてしまった。それを思い出すと、少し寂しい気分になります。
「努力が嫌い」というより「努力して結果が出ないことで自分はできない奴」というレッテルを貼られるのがとても怖かった気がします。
努力をしない努力をするのがうまかったという印象です。
|らしくない挑戦した大学時代
上京して、始まった大学生活。コロナの影響で入学当初からずーーっと家にいるだけで、ほぼ1年生は終わりました。
このままではまずいと思い、2年生からは積極的に行動しました。
音楽は聞くのも、
歌うのも好きだったので
アカペラサークルに入ってみたり
先輩がAIに詳しい方で,
AIサークル作ってみたり
学生のキャリアを支援する団体に所属してみたり。
結果的に、どれも正解だったと思います。
行動した上で得られた人脈や経験は今でも役に立つ事が多く、自分にとって苦手な新しい環境に飛び込むことの重要性を知れた経験でした。
そして、僕の中で「熱意のある人の人生を手助けできる存在になりたい」という目標ができました。
かといって性格の根幹から変化が起こったわけではない。
結局、自分に自信を持ち、嫌われる勇気を持てたわけではなかった。
|そして今「インターン」をしている。
今僕は、周りの人に恵まれています。
自分にはない、一切揺るがない熱意を持って行動する。
これを当たり前にやっている人がいる。
東京に来て、そんな方々と多く出会う中で、
「僕はその手助けがしたい。」
だから、成長したい。
その行き先が、よくわからなくても、前に進んで
将来は、関わる人の想いや夢を叶える手伝いがしたい。
と思っています。
|最後に
まだまだ浅い内容で、読みずらい点多々あったと思いますが、
これが僕の現在地であると思います。
もっと深堀っていきます。そして成長と共に過去への捉え方も目標の方向性も変わっていくと思います。
また、更新で着たら書きます。