9月地蔵会終了しました。
すっかり秋です。
日中は少し日差しが強いですが、それでも
風は涼しいし、虫の声もすっかり秋。
お米も柿も良い実り。曼珠沙華が色を添えます。
今月の地蔵会も無事終了です。
施餓鬼供養の施主さまには引き続きあと3日間
お勤めよろしくお願いいたします。
地蔵会祈願の施主さま、また無料祈願にご参加の皆さま、
今月もありがとうございました。
ご感想等いただければ大変嬉しいです!
無料祈願のご案内にもなんだか豊饒の予感、
みたいなことを書きましたけれどもやはりそのようですね。
今日のお地蔵さまの供養法を修していたとき
気になったのは右手。
お地蔵さまの像容には色々あるのですが、
祥鈴庵のお地蔵さまの右手は施無畏の形で錫杖を持っておられます。
施無畏というのは手のひらを開いて外側に向けて挙げた形。
「怖くないよ、安心してね」ということを示す手です。
錫杖を持っているのは出会う人を救うために
世界を遊行しているということを示しています。
お地蔵さまは六道の世界をあまねく歩いて、人々を安心させ
恐れを取り除いて救います。
世界は変化しています。
この世は変化流転するもの。
常にそれ自体で存在するものはありません。
昨今の変化はそれでもちょっと早すぎるきらいがありますけど
それでも怖れることはない、ということのようです。
秋の実りは、大地の働きが人間の世界の動きに関わりなく
きちんと動いているということを見せてくれます。
大地にしっかりと足を踏みしめて、その恵みを受け取れていれば
心配することはないのでしょう。
人の心はいろんな情報を受け取って、次々と心配のタネを
見つけてしまいます。
でもその心配のタネは、タネのままにしておけばいいだけのこと。
どの種をまいて、どの種をまかずにいるか、
それを決めるのは私たち自身です。
動物たちは過去を思い煩わず、未来を不安に思いません。
私たち人間も、たまにはそういう時間を持ってもいいのかもしれません。
自分の心がまあるくてコロコロ転がる玉のようなものだとしたら、
その玉をバランスよくどこかに置いてみる。
卵を立てようと思った時、コロンブスは卵を割って立てましたが
卵を長い軸に沿って回転させたらしばらく立ったままでいますよね。
心の安定というのは、完全な静止ではなくて
動きながらも軸が安定している、という方がいいみたいですよ。
なんとすごーく昔、そういうことを書いてました!
「心を活発に働かせて、そしてみんな笑っていてほしい、
っていうのがお地蔵さまの願いなのかもしれません。
慈悲ってそういうことかもね。」
って、いいこと書いてますねえ…(自画自賛)
お地蔵さま、ほんとにこう思ってらっしゃいそうです。