利他、利他、利他。だけじゃない。
定期的に花を買います。
仏さまのお供えとしてはもちろんですが、
自分のためにも買っています。
季節の花を見ると心が安らぎますし。
香り高い花もよいですね。
ちなみに、棘のある花は基本的にはお仏花には
使わないことになっています。
すごくきれいですけどね、薔薇とか。
他の人を利することをしましょう。
お友達に親切にしましょう。
他人によくしてあげましょう。
よく言われることですけど、実はこっちばっかりは
大変です。
宗教とか道徳は利他をよく賞賛するので、
自分を捨ててでも他人のためにいいことをしてあげるのを
勧められてると思う人が多いでしょうけど、
「利他」は「自利」と不即不離です。
「自利利他」という四文字熟語で使われます。
この言葉の並びから考えると、
まず自分の利益になることを行ってから、他の利益になることをする。
つまりアレです。
飛行機に乗った時に流れる機内安全ビデオにある、
「まず自分が酸素マスクをつけてから、他の人を援助しましょう」
というやつです。
さとりを目指す修行は自分のために行いますが、
さとりを得ることを目指すのは他の衆生を済度するためです。
自分がさとりを得てからの方が、効果的に他の衆生を済度できます。
ここでも書きましたが。
因果の来し方行く末をはっきり知っているのは仏となった方、つまり
さとりの智慧を得た方だけ。
その人の業がどのように動いているかが分かれば、最も良い方向で
済度することができるということ。
そして、自利を得てから利他を行うのですが、
そもそも利他のために自利を得る努力を始めるわけです。
なんだか、卵が先か鶏が先かみたいな話になってますが、
これはどっちもみのりがあるから両方やりましょうよ、というのが
大乗仏教の立場です。
自分はさとりを得てWin。
さとりを得た人に助けられる他の人もWin。
お互いそれをやり合うなら、win-winサイクルが
ぐるぐる回るということになります。
でも、そもそも自分も他人も実は違いのないもの。
みんな如来と同じものでできており、
みんな個別に存在しているように見えるだけで
縁起の中で全てつながっていると言う状況も
みんな同じ。
天台宗の伝教大師のお言葉に「忘己利他」というものが
ありますが、この言葉はもしかしたらこういう内容も
含んでいるのではないかなと思います。
「己を忘れて他を利する」というのは
自分よりも他人の利益を優先しましょうという文脈なのですが、
己を忘れて自分と他人の違いをはっきり意識しないなら
他人に対して自分にするのと同じように利益になることができる
という意味のようにも思えます。
なので、他人を利益するために自己犠牲、というのも
自分のことに集中して他人を利益するのが完全に後回し
というのもどっちも違うということになります。
どのような対人援助のお仕事でも、
援助者も援助対象者もどちらも安全で適切な状態であることが
大事なのは同じです。
これが鉄則。全ての基礎です。
なので、自利はあるのが前提。その上で十分働ける時、
大きな利他の行いを積むことができるでしょう。
なので、他人の役に立ちたいと思って
自分の基礎をつけるべく努力してる時に
横から利他利他うるさくいう人には、
「うっせえわ」と呟くくらいはいいかもね。