9月地蔵会無事終了しました。一切衆生が託されたもの。
すっかり秋です。
彼岸花もそこここに咲いているのを見かけますが
本当に彼岸に咲くのが面白いですね。
今月の地蔵会も終了しました。
施餓鬼供養の施主さまには引き続きあと3日間
お勤めよろしくお願いいたします。
地蔵会祈願の施主さま、また無料祈願にご参加の皆さま、
今月もありがとうございました。
今日の地蔵会はやはりご供養の雰囲気がたっぷり。
以前相互供養のお話を書きましたけども。
私たちがお地蔵さまをご供養する時には、
お地蔵さまの方からも私たちを供養してくださっています。
私たちやお地蔵さまが供養しあっている時には法界も供養されて
法界も私たちやお地蔵さまを供養します。
今日のお地蔵さまは
綺麗な青空の下、
秋の気配の漂い始めた美しい野原を
衣をなびかせて歩きながら
出会ったものの頭をにっこり笑いながら撫でてくださる
というイメージを見せてくださいました。
人も動物も、大人も子どもも、餓鬼や修羅、天人、龍、夜叉も、
出会ったものは区別なく。
地蔵菩薩本願経嘱累人天品というお経の冒頭に
お釈迦さまがお地蔵さまの頭を撫でて
「あなたは素晴らしいね」と讃嘆するところがあるのですが、
そんなイメージです。
これはお釈迦さまがお地蔵さまを可愛がって
頭を撫でている訳ではなくて、
お釈迦さまがこの世からいなくなり、次の仏として
弥勒菩薩が下生するまでの間の「無仏の時」の
衆生を救う役割をお地蔵さまに託していることを示します。
頭を撫でるというのはそういう意味があったようです。
とすると、今日のお地蔵さまは実に広い範囲の衆生に
何かを託されたのかもしれませんね。
何を託されたのでしょう?
多分ですけど。
誰でも他の誰かのためにできることがあって
それをするのに資格はいらない
ということかなという気がします。
できること、というのはご供養でしょうね。
もちろん、仏さまや大菩薩のご供養と
私たち衆生のご供養とでは
質的量的におそらくすごく違いがありますが、
だからといって私たち衆生の行うささやかな供養が
無駄だからしなくていいというものではなくて、
ささやかであっても全く意味がないということはない
だから動物でも人以外の生き物でも、もちろん人でも
できることをやりなさいとおっしゃっているのではないかと
思います。
大きければ大きいだけ、小さければ小さいだけ。
その人そのものに見合ったご供養を行うことを
託されているのかもしれません。
私たち衆生がそれを行うことで、
全ての仏さまたちにも、法界にも届くなら、
どんなに小さくても世界を良くするための一石を積んだ、
ということになるのでしょう。
徳を積む、というのはそういうことかもしれません。
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