なんだか大掃除をしていただいたような感覚でした。心経法報恩会祈願のご感想その1
報恩謝徳とは、受けた恩やめぐみに感謝の気持ちを持つこと、
受けた徳に対して恩返しをすること。
良いものを受け取ったら良いものを返したいというのは
ポジティブスパイラルを回そうとする前向きな行動。
徳を積むということはポジティブなスパイラルを回し続け、
行動がもうネガティブな方向へは行かないように
歯止めをかけることでもあります。
懺悔と感謝と供養が大事、ということを以前書きましたけども。
懺悔と感謝と供養を行おうとする気持ちは、
ネガティブな方向への歯車の逆回転を起こさないようにするためには
最も適切な心の態度です。
心経法報恩会のご感想いただきました。
ありがとうございます!
「圓珠さま
おつとめお疲れ様でした。
私も修法をさせていただいている間、徐々にすっきりとした感じがありまして、
なんだか大掃除をしていただいたような感覚でした。
一回しかできなかったのが心残りではありますが、
参加させていただいてよかったです。
また気になるものがあれば申し込みさせていただきます。
今年は圓珠さまとご縁をいただき、気になっていたことが片付いた一年でした。
また来年もよろしくお願いいたします。
それではよいお年をお迎えください。」
ご供養ができていない、という気持ちは
いろんな方にとってお寺やお坊さんにアクセスするきっかけに
なることが多いようです。
何回か「恐怖からではなく愛から行って」ということを
書いてはいますけども、多少後押ししてくれる感情がなくては
行動を起こすには至らないことも多いので、これは一つの仏縁と
いうものでもあると思います。
懺悔や報恩謝徳の思いを持つということは、自分の中にある
ネガティブな感情や記憶、思いぐせや信念を
神仏にお預けしてクリアリングすること。
現実世界でも断捨離をすることがスペースを空けて
よいものを入ってきやすくする、ということが言われ
普通に行われるようになってきましたが、
いうなればこれは心や記憶の断捨離にもなるわけです。
以前も書きましたが、懺悔は謝るとか許しを乞うという意味はなく
悔しくて後悔するような過去の行動を告白するということ。
懺悔や報恩謝徳を行うと心や記憶のスペースが空き、
新しい感情や記憶、信念や思いを持つ余裕ができます。
何より、過去の重さを手放して自責や罪悪感を軽くすることが
できます。
人には生きてきた歴史があります。
その全てを尊重し、自分の歩いてきた道を祝福し、
未来へ向かう朗らかな強い心を思い出すことができます。
あなたの前に道はなく、あなたの後ろに道ができます。
どんなに曲がりくねった険しい道であっても、
少なくともそれをきれいに掃除しているなら
もしかしたらその道を後からくる人がいるかもしれません。
知らず知らずのうちに誰かにとっての先達となり
誰かに対して恩恵を及ぼす。
あなたが切り拓いてきた道が他の誰かにとっての美しい道となりますように。