地蔵会のご本尊。
ご本尊のお姿はやはりあった方が拝みやすいのですが、
必ずしもその仏さまのお像やお軸を持っているわけではないです。
まあ、いろいろ事情がありまして…。
別に不思議系の事情ではありません😁
お像とかお軸もお安くはないですし、
これが好き!というのに出会えることも少ないですのでね。
我が祥鈴庵にある仏像はいただいたものと、作ったものです。
作ったものにはやはり愛着がありますけど、クオリティ的には…?
国宝とか重文とか見慣れちゃうのも良し悪しですね。
今回の地蔵会にあたり、友人がお地蔵さまを描いてくれました。
その画像を開眼してご本尊として拝むわけですが、
その際にはどのような仏さまとしてお迎えするかの意図を持って
開眼することが必要です。
このブログの下の方の告知にもある通り、
「生きとし生けるあらゆるものへの祝福
この世界にあるあらゆる諸霊へのご供養
全ての大地から生まれるあらゆるものへの感謝」
を受けてこの世に働きを現してくださるような
お地蔵さまになっていただくわけです。
しかし同じように意図して開眼しても、上の写真のお像と
絵のお地蔵さまと、微妙に雰囲気が違うんですね。
これはやってる自分としても不思議な感じがします。
個性があるというか。
そういえば、これはもう感覚のお話でしかないんですが。
もう結構前になりますが、東寺にお参りして講堂に入った途端、
なんかすごく「ここ!ここ!」みたいなアピール力を感じました。
見て!見て!みたいな。
あまりのことに何事かとそっちの方へ近づいてみると、
そこにおられたのは帝釈天のお像。
イケメンのお像で有名なあの方です。
その吸引力にびっくりして思わずしっかり拝んでしまいました。
それはその次に行った時も、東京の国立博物館に出張されてた時も
同じ雰囲気だったんですけど
それから数年経って東寺にお参りした時には
すごーく物静かで穏やかな雰囲気になっておられて、アレ?という感じ。
なんか中の人が変わったみたいな。
博物館に出展するなどで仏像を運ぶときは
一回いわゆるお性根抜きというものをしてから運ぶのですが、
その時に変わったのかな?と思ってしまいましたが。
多分なんらかの事情があるんだろうと思います。
仏像や絵姿にも個性があるというのは面白いです。
人が一人一人違うように、こちらの世界に現れてくるときに
個性が生まれるのかと思うと親しみがわいてきます。
開眼する僧侶の性格にもよるという話も聞いたことがありますが、
本当のところはどうなんでしょうね?
今回からデビューのご本尊の絵姿はこちら。
※複写・再配布等はお控えください。
実物はカラーです。
次回以降、地蔵会のご祈願をご依頼いただきました方には
ご自宅供養の時のご本尊として願意に合わせて開眼して
お送りいたします。
https://ameblo.jp/tegre/entry-12668409810.html
次回の地蔵会もどうぞよろしくお願いいたします。
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毎月24日はお地蔵さまのご縁日。
この日に小さな法要を営み、
生きとし生けるあらゆるものへの祝福
この世界にあるあらゆる諸霊へのご供養
全ての大地から生まれるあらゆるものへの感謝
をお祈りいたします。
お地蔵さまへのお願い受け付けてます。
締め切りは5月20日です。
宗派宗教にかかわらずお申し込みいただけます。
お問い合わせ、お申し込みは下記アドレスまで。
enshu0615*gmail.com (*を@に置き換えてください)
折り返し申し込み要項をお送りします。
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