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昔は薬とか作ってましたよ。

今日で地蔵会のおつとめも結願。

施餓鬼供養の施主さまもおつとめお疲れさまでした。

祥鈴庵の施餓鬼供養も終わり、ほっとして飲むほうじ茶が美味しいです。


お坊さんの仕事といえば現代では法事やお葬式や御供養、

お寺でのお勤めを思い浮かべることが多いと思いますが。



昔のお坊さんたちは、もっといろんなことをされていました。

お大師さまもお寺を建てたり、満濃池を修復したり、

仏像を彫ったり、筆を作ったりしておられます。

 

昔のお坊さんというのはいわゆる知識階級であり

学んでおくべきとされていた「五明」というものがありました。

 

これはそれぞれ

声明(しょうみょう)言語学、文法や文典に関する学問

因明(いんみょう)論理学

内明(ないみょう)仏教の教理

工巧明(くぎょうみょう)工芸、技術、数学、暦に関する学問

医方明(いほうみょう)医学、薬学に関する学問

のこと。

 

声明や因明は内明のためにも必要な学問分野ですが、

工巧明や医方明についても学びました。

 

多くの僧侶がいろんな分野で活躍できたのは、

こういう知識を身につける機会があったからですね。

 

お大師さまが特別に万能の天才だったというわけではなく、

行基菩薩はあちこちで橋や道路を作り新田を開拓し

大仏建立にも尽力しましたし、

唐から来られた鑑真和上は薬草についての造詣が深く

正倉院に残されている様々な薬の中には、鑑真和上が

日本に持ってこられたものも含まれていると考えられています。

また、道鏡が称徳天皇に重用されるようになったのも

看病僧となり病気を治したことがきっかけでした。

 

僧侶が病気を治す、というと、

修法や祈りによって治すという呪術的な方法だったと

考えがちですが、医術や薬方の知識ももちろん用いています。

 

その上で、神仏の加護を祈ったり、近くにいて話を聞いたり

といったメンタルケアも行えた、ということでしょう。

 

僧侶は仏法を伝え衆生を利益するのが仕事。

ですので、1日でも長生きしてそのために修行したり

説法したりしなくてはなりません。

 

沐浴して身体の清潔を保ったり、

精進などの食の節制を行なったりするのも、

修行や僧堂での集団生活のためというだけではなく

健康に長寿を保つためという目的もあったわけです。

 

ですが、修行するお寺は山などの厳しい環境にある場合も

多く、行に入ると俗人と触れてはならないという

ルールもありました。

 

そのため、お寺などの建物を建てたり修理したり、

病気になった時は薬を作ったり適切に看病したり

ということが自分たちでできなければ

生き延びることも難しかったのでしょう。

 

ですので、お坊さんはセルフケアの知識はしっかり

持っていた方がいいようです。

 

四度加行の時はとにかく成満することを考えろと言われた、

というお話を以前しましたけど。

現代でもそれは同じ。

自分のコンディションを一定に保って無理せず、

調子を崩したら適切な手を早めに打って大事になる前に元に戻す。

 

自分の心と同じように、身体とも向き合って

健康な状態を保つ工夫をするのが必要です。

 

逆にいえば、きちんと向き合って適切に対処できていれば

身体の健康も心の健康も維持できるということ。

 

心身の健康を保つため、ここでも

あるがままに観察する目が必要になってきます。

 

如実に自心を知れば如来になれますが、

如実に自身を見れば如来のような身体になれるのかもしれません。

 

お坊さんでなくても、健康は大切です。

 

コンディションがよいかどうか、

負荷がかかりすぎていないかどうか、

痛みや不快なところがないかどうか、

短くてもいいから一日に一度は

心とも身体とも大切に向かい合う時間を持ってもいいかも。

 

専門家の助けをすぐに得られる場合でも、

知識があれば判断は早くなります。

 

自力も他力も、両方あった方がより安心できるんじゃないかな

と思うんで、学んでおくことに損はなさそうです。

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