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擬人化すると身近になるけども。
今日は新月。
ということはFU☆SA☆TSU✨
布薩のタイミング。
満月から今日までの半月の間の行動を
振り返ってみてくださいね。
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先日、高野山を盛り上げるのに密教も擬人化キャラとか
作ったらもしかして人気出るのかも?
なんて話を友達としてたのですけどね。
擬人化キャラといえば有名どころは
刀剣乱舞とか
ヘタリアとか
あたりですかね。
一時期かなり流行りました。
仏さまも擬人化キャラにしたマンガやゲームがあったそうです。
見てはいないですが、多分文殊菩薩って十中八九
クールメガネキャラですよね(笑)
密教はシンボリズムを駆使する宗派なので、
すでに公式の世界観やキャラデザが
かなり強固に作られており、
そこからさらにキャラ化すると
各方面からたくさん異論が出てくるだろうと思います。
なので、高野山のいろいろ擬人化計画は難しそうね、
という話になったのですけどね。
そもそも仏さまのお姿自体がすでに擬人化ですし。
仏さまの本質や、仏教の教えの真髄は
色や形で表すことはできません。
しかし、それではあまりにも理解することが難しいので
さまざまな象徴によって、仏像や仏画などの形で
表現しました。
仏さまは3つの種類の身体のあらわれ方をなさいます。
法身 真理そのもの、仏法そのものの姿。
報身 菩薩の時に立てた誓願によって修行し成就して得た仏身。
阿弥陀如来や薬師如来など。
応身 衆生救済のために身体を持って現れた姿。
歴史上の人物としての仏陀。
このうち、色や形で表せるのは報身と応身。
本来大日如来は法身仏としての性格を持つ仏さまですので
姿形はないはずです。
摩訶毘盧遮那の名の通り、大いなる光という感じ。
でも大日如来の仏像はあります。
仏像や仏画は人間が作るものですが、
仏さまが衆生済度のためにその仏像を通して現れて
くださっているのだと考えると
応身と見ることができます。
これも一種の方便なのですが、こういう具体的な
お姿があるからこそ、私たちは仏さまを心に描いて
身近に感じることができるのです。
通常の人間的理解を超えたものである仏さまに
心をよせて近づこうと思うにはこういうきっかけが必要です。
とはいえ以前、擬人化して人間の感覚によせすぎて
理解しない方が無難、ということを書いたことがあります。
仏さまがこの世界に現れてくださるのは
私たち一切衆生を仏教の教えによって
救うため。
利益を施し、苦を抜き楽を与え、最終的には
全員成仏させるためです。
ですので、仏さまがそのお姿によって
私たちに受け取ってもらいたいと思っておられるのは
美しさや親しみや安心感や頼り甲斐という
感覚的なものだけではなくて、
その感覚を通して、自分がよりよくなるための方向が
こっちにあるのだよということ。
わかりやすくしすぎること、身近なもの、人間的なものと
思いすぎることで受け取り損ねるものもあります。
仏さまはキャラクターやモデルではなく、
私たちよりもよいものを知っていて、先に進んでいる
教師や先達や道案内人として見る方が望ましいです。
そう思うと、どのようにお参りすればいいかの
作法や心がけもわかってくるのではないかな。