自己肯定感を得た結果(?)虚無に陥った話
自己肯定感は万能薬なのか
ここ10年ほど、日本社会は自己肯定感ブームの中にある。
ここまで長く続くと、もはやブームを越え、完全に定着している段階にあると言えるしれない。
自己肯定感に関する言説は、あらゆる問題は自己肯定感の不足に由来し、自己肯定感さえあれば万事解決に向かうかのごとき勢いでその重要性を訴えかけている。
自己肯定感が重要であることに関しては、私も異論はない。
自己肯定感のない人生は、不幸に満ちている。
しかし、自己肯定感の問題さえ解決すればあらゆる問題が解決する、というわけでもないだろう。
この記事は、私が自己肯定感を獲得していく段階で直面した問題について書くものである。
正しく、整然とした世界
自己肯定感が欠如していたころ、私はこう考えていた。
・世界は絶対に正しい
・世界には絶対的な「世界の理」が存在する
・辛いことが起こるのは「世界の理」に従わない、あるいは従えないからだ
・世界にはたくさんの辛いことがあるように見えるが、「世界の理」に従う能力がある人にとってはとても快適な場所である
・「世界の理」に従う能力が、自分以外にはあるのに、自分にはない
・だから自分はダメだ
・辛いことがあったとしても、それが「世界の理」であり、辛いのは自分に能力がないためであるので、受け入れなければならない
だから辛かったし、短期的な目標に取り組むことで日々をやりすごすしかなかった。
自己肯定感の獲得に伴う変化
高校生の頃だっただろうか、自己肯定感を高める必要性を感じ、取り組みを始めた。
何も特別なことはしておらず、よく言われるような「自己肯定感を高めるための行動」に取り組んだだけである。
失敗も多くあり、効果を感じるまでは何年もかかったが、以前と比較すれば、確実に自己肯定感は高まったと思う。
また、自己肯定感を獲得しようとする過程で、意外な効果も現れた。
それまで、自分が生き延びることに精一杯だったのが、他者を思いやる余裕が生まれたのだ。
これは、以前の私が他者に冷たい者だったという意味ではない。
他者に優しくする理由が「他者に敵意を抱かれ、生存が難しくなることを回避するため」とか「道徳的な義務であるため」とかから、「他者に優しくしたいという自発的な意志」に切り替わったのだ。
混沌に包まれた世界
一方で、他者を思いやる余裕が生まれたころ、こんな体験もあった。
私は駅で電車を待っていた。
ふと前を見ると、駅前にタワーマンションが建っており、そのベランダの何割かに洗濯物が干してあるのが見えた。
その時私は、「あの巨大なマンションの一室一室に人が住んでいて、自らの意志で洗濯物を干している」ということに思い至った。
この瞬間に私は、頭では理解していたが、納得はしていなかった事実、すなわち「すべての人が自分の意志で行動している」ということを本当に得心した。
「世界の理」のもと動く他者など存在せず、人はみな自らの意志で動いていたのだ。
そう結論したとき、やって来たのは希望ではなく恐怖だった。
「世界の理」によって駆動される世界は、整然として美しかった。
しかし、この世を本当に駆動していたのは「世界の理」ではなく、決して覗き見ることができない人々の意志であり、この世は予測不可能な混沌に満ちた場所だったのだ。
私は「自分の後ろにいる人が、自分を線路に突き落とそうと考えていたとしても察知できない」という恐怖に襲われた。
私は「今までそんなことは起こらなかったし、見たこともない」と冷静に考えることで落ち着きを取り戻したが、この体験の前後から、「世界の理」は崩れていった。
私だけが原因でないとしたら…
「世界の理」が崩れた結果、いろいろの辛さの原因が私だけにあるわけではなかったということがわかった。
一見良いことのように思えるが、当時の私にとってはそうではなかった。
私は「世界は100点 私はマイナス100点」と考えていた。
辛いことがあるのは自分が正しくなくて弱いからで、世界はいつでも正しくいつでも完璧だから100点だと考えていた。
私も人よりはゆっくりだが、少しずつ正しく強くなって、いずれは「世界の理」に従えるようになる、そうなれば至福の日々が待っていると考えていた。
だが、世界は正しく、完璧でもなかった。
かといって、自分も正しく、完璧でもなかった。
「世界は100点 私はマイナス100点」は均されて「世界は0点 私も0点」になってしまったのだ。
私も0点、あなたも0点、日本も0点、人類も0点、地球も0点、太陽系も0点。
平等だが、みんな価値がない。
「世界の理」から解放されたら、目指すべき価値が消えてしまい、目的を自分で探さなくてはならなくなった。
目的を探すべく「有意義なこと、なすべきことは何だろうか」と考えたが、個人も、人類も、地球も滅びを運命付けられていることを直視せざるを得なくなった。
何をするのも無意味に感じられた。
運命を受け入れた上で前向きに生きる「超人」にも、なれそうにもなかった。
私から行動する理由は、「楽しみを求め、苦しみを避ける」ことしかなくなってしまった。
私は、完全に虚無に陥ってしまった。
この後、この事態を打開するヒントが意外なところから現れるのだが、これについては次回の記事で書こうと思う。
次回の記事はこちら
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