今日の名言は、「ジャーナリズムにおける私の責任はふたつあるというのが私の信念だ。第一の責任は写す人たちにたいするもの。第二の責任は読者にたいするもの。 このふたつの責任を果たせば自動的に雑誌への責任を果たすことになると私は信じている。」
パンケーキ大好きなかおるんです。いつもエンピツカフェの決まった席で本を読んでいます。
悩みごとがあるときに、ふっと何か大切なものを気づかせてくれる先人の名言を紹介しますね。
高度経済成長期の日本で起きた、水俣市のチッソ株式会社 水俣工場の工業排水を原因とした水俣病。
日本の四大公害病のひとつである水俣病は、公式確認から60年以上経ったいまでも、患者認定をめぐる訴訟も続き、多くの被害者は救済されず、本当の収束には至っていないといわれています。
水俣病をめぐる問題が長期化した理由は、加害者が行うべき「被害者の救済」と「発生源対策」についての対応が不十分だったといわれています。
つまり、当時の政府と地方自治体が、被害者への補償はするものの、水俣工場の稼働は止めたくないということで、根本的解決を長引かせたことが長期化の原因となってしまいました。
公式発見は1956年ですが、被害はそのずっと前から水面下で起きていたんだって。
それを世に知らしめたのが1975年にEugene Smith(ユージン・スミス)さんが発表した写真集「MINAMATA」。
ユージン・スミスさんは、妻 アイリーンさんと水俣市に3年間暮らし、水俣病におかされた患者たちや家族の日常、原因企業チッソ株式会社と闘う彼らの姿を撮影し続けました。
一枚の写真が、国境を越えて世界を呼び覚ます。伝説の写真家ユージン・スミスさんの遺作となった写真集「MINAMATA」は、世界へ与えた影響はもちろんのこと、ユージン・スミスさんのフォトジャーナリストとして集大成となる重要な写真集となりました。
かつては第二次世界大戦の最前線で戦場カメラマンとしても活躍し、当時絶大な影響力を誇った雑誌「LIFE(ライフ)」に写真記事を発表する有名写真家であった完璧主義者で頑固者なユージン・スミスさん。
自ら体験した「真実」を追い求め、ドキュメンタリー写真を芸術の域にまで高めた伝説の写真家ユージン・スミスさんのこの一言。
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