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今日の名言は、「楽観主義であれば、ど真ん中にいながらエッジを追いかけられる。悲観主義者だったらそれは難しい。ディストピアだけを見て、うまくいかないことばかりを主張する。」
パンケーキ大好きなかおるんです。いつもエンピツカフェの決まった席で本を読んでいます。
悩みごとがあるときに、ふっと何か大切なものを気づかせてくれる先人の名言を紹介しますね。
「楽観主義」を掲げることが、いまほどラディカル(現状を変えることに積極的)な時代はないのかもしれないわね。
悲観主義者が語る、または報道する情報は「正しい事実」なのかもしれない。でも、その情報は必ずしも「人類にとって発展」的なものではないですよね。
目の前にある真実を語ったからといって、その先には何があるというのだろう?むしろ絶望しかないのではないでしょうか?
科学やテクノロジーと人類とのかかわりを考え続けるBig Thinker(偉大な思想家)であり、「WIRED」US版の創刊時にエグゼクティヴエディターを務めたKevin Kelly(ケヴィン・ケリー)さんは、いまこそ楽天主義が必要だと語っています。
楽観的であるということは不謹慎でも、無責任でも、お花畑でもない。楽観的である方が、より良好に行動することができるということです。
つまり、進歩は革新に依存し、革新は楽観を必要とする。楽観が多く存在するところに革新があるということなのです。
Kevin Kelly(ケヴィン・ケリー)さんのこの一言。
楽観主義であれば、ど真ん中にいながらエッジを追いかけられる。悲観主義者だったらそれは難しい。ディストピアだけを見て、うまくいかないことばかりを主張する。
さらに、こんなことも言っていました。
フェイクニュースに限らず、私たちはニュースを読む。そのニュースが知らせるのは当然ながら普通ではない異常なことだ。
着実な前進なんて実に退屈なことだからね。本当のニュースとは「何も起こらなかったこと」なんだ。今日亡くならなかった人々や、強盗が起きなかったことなどは報道されない。
従って私たちが耳にするのは当然ながらネガティブなことだ。一流の新聞さえもね。
確かにニュースを見るという行為について、ちょっと考えちゃいましたね。