【本屋】「迷惑」という言葉からこどもを守るために必要なこと。
3か月ほど「家族が暮らせるシェアハウス」を
コンセプトのひとつとして掲げているシェアハウスに滞在していました。
家族だけで暮らしていてはできなかった体験にもたくさん恵まれ
子供にとってテーマパークのような楽しさがありましたが
一方で親の立場からすると不安な点が多々あり、数か月、幼児に至っては1カ月、小学生でも2か月が限界でした。
理由はひとつではないのですが一言でいうと
「ぜんぜん子供が"暮らす"ことを想定した設計じゃない」
のが理由です。
でも、同時に「これがリアルな社会なんだな」と思いました。
つまり、「わたしたち、こどものこと思ってまーす!」と商売の風呂敷を広げても、本当の子育て社会のことを理解していないとこうなるんだ、と。
とてもひとつの事例だけでは言えないのですが
この滞在は学びの場でもあったので、記録として残していこうと思います。
あ。もちろん、楽しかったことや助かったことも、書きますよ。
「迷惑かけてしまうかもしれないこと」ってなに?
滞在してひと月ほど経った頃でしょうか。
リビングのなかで、子供に対する戸惑いや怒りを感じるようになったのは。
ちょうど、虫が大量発生していてキッズルームが使えないことと
家族世帯が3世帯入ったこともあって、リビングは子供達であふれかえっていました。
共有リビングで大人たちが話しているところに子供が行こうとすると
無言でクッションなどを使ってバリケードを本気で作る人もいれば
「ここは勉強する場所だから入ってこないで」という人も。
そういうこと、大人にも言うのだろうか。
「共有」のリビングなのに、どうして、子供はダメ、と堂々と言い切れるのだろうか。
そんな疑問が靄となって頭に浮かび始めたころ、全員が参加しているSNSグループにサポートファミリーから以下のような案内がきました。
急に家族が増えてわたしたち戸惑っているから「子供の特徴や迷惑をかけてしまうかもしれないこと」についてテンプレ用意したので書いてね。(要約)
ここのシェアハウスはコミュニティを重視していて
コミュニティマネージャーやサポートファミリーと呼ばれる人がいるのですが
こうしてシェアハウスで快適に過ごすために、全体で考えた方が良いことなどは、こうして案内がくる…の、ですが。
えっ?
このシェアハウスがはじまって一年経つんですよね?
すでに赤ちゃんとか住んでいましたよね?
ここ、家族を歓迎しているシェアハウスですよね?
なんでいまさらこんなテンプレ書かなきゃいけないの?
ちょうどこれと前後して
代表含めた運営の人に家族世帯が呼び出されて
夜に集まったのですが、そこでも
「家族が増えてきたんだけど18時~20時の時間帯が子供たちが騒がしくて危ないから迷惑かけないようになんとかして(要約)」
と言われたのもあり
「これが家族を歓迎しているシェアハウスなのか…?」
とびっくりしたのですが
どちらにも戸惑った理由が
「迷惑をかけてしまうかもしれないこと」「迷惑をかける」
という項目でした。
この戸惑い、というか衝撃(まさか家族歓迎の場で迷惑といわれるとは…という衝撃)はシェアハウスを出てからもつづき
「迷惑」という言葉に何カ月も向き合うこととなりました。
「迷惑」という感覚はひとそれぞれ。
「迷惑」は突き詰めていくと、もう生きてること自体が迷惑なんじゃないか。と思ってしまう私ですが
こどもといると特にいろんな場面で「迷惑かけている」と感じることが多いんです。
・夜泣きが迷惑
・電車で泣くと迷惑
・相手にぶつかると迷惑
・ごはんをこぼすと迷惑
・大きな声ではしゃぐと迷惑
・汚い手でさわると迷惑
・夜なかなか寝なくて迷惑……
こどもだけじゃなく、こどもの相手をしている親も
「迷惑をかける人」と認識されます。
もちろんなかには
「赤ちゃんって、こどもってそういうものだからねー」
とか
「えっ全然気にしていなかったー」
という人もいます。
そう、いるんです。ちゃんと。
そういう人にとって、これらのことは「迷惑行為」ではなく
「当たり前のこと」として受け入れてくれます。
シェアハウスにもいました。
「家族を受け入れるシェアハウスなんだから、こっちもそういう姿勢が大事だからねー」
と言ってくれる人。
リビングのソファで見立て遊びしても
廊下で戦いごっこをしても見守ってくれる人。
あったかかったし、ほんとに、支えられました。
見守ってくれる人が入居者にいたにも拘わらず
運営側が
「共同生活を円滑にするために『迷惑をかけてしまうかもしれないこと』を書け」という。
入居者ですらこどもの行動をみて迷惑なことと迷惑じゃないことの価値観がばらばらなのに
なぜ、私達親に「迷惑をかけてしまうかもしれないこと」がわかると思うのだろう。
むしろ、なにを迷惑と捉えたのかおしえてほしい。
おしえてほしいけど、100人近くも暮らすシェアハウスに一人で聞きまわるのは心が持たない。
そう、約100人いたら「約100通りの迷惑」があるはずで。
それを相談とか、あちら側の意見とか一切言わずに
ただ親に想像させて書かせる、というその行為をみて
「ここは、子供のための場所じゃない」と感じたわけですが。
「迷惑」は相手も罪悪感を覚えることば
なぜ、彼らは「迷惑をかけてしまうかもしれないこと」を私達親に書け
と案内したのか。
なぜ、彼らは「こういうことが迷惑だからやめて」と言わないのか。
これは推測ですが、彼らは
「〇〇が迷惑だからやめて」と言えなかったんだろうな、と思うのです。
前項でも述べたように、なにが迷惑と感じるかは人それぞれ。
いびきが迷惑と感じる人もいれば、安心するという人もいるでしょう。
毎回食器が洗われていないと気が済まない人もいれば
一日の最後に本人が洗ってくれればよい、という人もいるでしょう。
(シェアハウスの生活の話で、夫婦などの話ではないです念のため)
要するに「迷惑」という言葉を使うとき、その文脈で自ずと
「自分の器量の狭さ」を露呈することになる。
だから、簡単に言えない。言ったら自分に返ってきてしまう。
そんなの気にしなくていい、と思える人が、その殻を破って言える。
でもシェアハウス内で「いい人」と思われたいと、なおさら言いづらい。
きっと、そんなところなんだろうなー。と。
でもそうやってガマンされても、結局無視するとか、不機嫌な態度を取るんだから、言った方がいいのにな、なんて思っちゃうんですが。
こどもが来たことで
「迷惑なのに迷惑って言えない」という不満を持つ大人たちと
「なにが迷惑かおしえてほしい」という不安を持つ親たち。
自分が滞在しているあいだに
その解決策・落としどころを見つけることはできませんでした。
共通認識の「迷惑」ってなに?
なぜ、こどもが来たことで
大人も親も落ち着かない気持ちにならなければならなかったのか。
こどもの一件はすこし脇に置いて
どういったときに「これは迷惑だよね」と共通認識を持てるのか
考えてみました。
たとえば電車の迷惑行為。
電車内で通話している人がいたら「迷惑」と認識されます。
座席に並んで対話している人と同じ声量でも。
マナーモードで着信音が鳴らなくても。
「迷惑」と認識され、注意を受けます。
映画館でも大きな笑い声をあげたり拍手をしたら
迷惑と認識されます。
海外では歓迎されていても。
どんなに爆笑するコメディでも。
上映前に「迷惑行為」の案内が出ます。
これらが「迷惑」として共通に認識されているのは
運営側が「迷惑だからやめましょう」とルールを定めているからです。
シェアハウスでも
自分が使った食器はすぐ洗う。
共有リビングでの私物はすぐ片付ける。
というルールがありました。
つまり
その場で定められたルールを逸した行為があってはじめて
「共通認識の迷惑行為」がうまれるのであって
ルールを設けていないと個人の価値観に委ねてしまうため
「迷惑」の定義があやふやになる。
のです。
このシェアハウスは「家族も暮らせる」「こどもがのびのびと」と謳っていながらこどもを「迷惑」から守るためのルールを作っていなかったのです。
結果的に、親も大人も、双方に戸惑いを与えることとなりました。
「迷惑」という言葉からこどもを守るために必要なこと
その場で定められたルールを逸した行為があってはじめて
「共通認識の迷惑行為」がうまれるのであって
ルールを設けていないと個人の価値観に委ねてしまうため
「迷惑」の定義があやふやになる。
こどもと今まで接していない・興味も持たなかった人にとって
こどもの行動すべてが迷惑でうるさくて面倒にみえるでしょう。
実際「こどもが苦手な大人がいることも理解してよ」
と言われたこともありました。
(そんな人のいるシェアハウスでどうやってのびのび育つんだろう…ほんとに矛盾だらけだった…)
はじめに「こどもを『迷惑』という言葉から守るためのルール」があれば
そういった大人がいてもそのルールを頼りに
理解してもらえる、と希望を持てたかもしれません。
・夜泣きへのご理解おねがいします。
・学校・園から帰宅後しばらくはリビングで騒ぐことがあります
・就寝までの時間こどもが話しかけたら差別なく受け入れましょう
とかとか?
実際、飲食店にはけっこうあるんですよね。
「お子様の食事の片づけはスタッフが行います。
ごゆっくりおくつろぎください。」みたいな。
バスもそう。
こどもがぐずっていたり、ベビーカーで乗り込んでも
もバスの運転手さんが一言「配慮をお願いします」といえば
乗客に「このバスのなかでの定義」が伝わり、トラブルは防げます。
飲食店にしろ、バスにしろ
こうした「運営側」に「家族世帯に対するルール」を明示していると
たとえ子育てしたことがなくても、子供に興味がなくても
「この場所でその行為が迷惑か迷惑でないか」の基準を認識することができる。
大人のための場所(Barとか)であれば、言わなくてもいいけれど。
子供や家族を歓迎している、あるいは日常的に受け入れざるを得ない場所であれば
「こどもを『迷惑』という言葉から守るためのルール」
を周知するのはとても重要なことのように思います。
と、いうわけでわたしもシェア本屋を運営しているのですが
ルールを可視化して、お客さんとシェア店主さんに作ろうっと。