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【家族】なぜ大人はこどもの「夢」をつぶすのか

きっかけ
SNSを見ていたら「中学生がもうすでに将来の夢を諦めている」という旨の話があって「それは周りの大人がそう言うからに違いない」という、私もそう思うな、と思い、そこからもっと深堀したくて書きました。


マンガ家の夢を否定された子供の頃

小学生の頃、私の夢は「マンガ家になること」でした。

1冊のノートに1話、ぎっしりつめこんで描いていました。

天使と人間が恋に落ちる話や、中世にタイムスリップした男の子の話、

『犬と恋』ってタイトルで、学校帰りにいる犬の飼い主と恋に落ちる話しなんかを描いていました。(犬と恋って南総里見八犬伝かよ…)

もちろん「将来の夢は?」と聞かれたら「マンガ家!」と答えていました。

中学生になってもその夢は消えず、トーンを買ったり、原稿用紙を買ってみたり、トーンカッターやインク、ペン、本当に買いそろえていました。

でも、いつからか、その「夢」に突然親の声が響いてきたのです。

「あなたになれるわけがないでしょう」「やめときなさい」

「いい加減にしなさい」「簡単になれるもんじゃない」……

おまけに、私にはきょうだいがいました。きょうだいもまた、人の趣味や将来に口出しする厄介な人間です。

「なれると思ってるの?」「うーわ、だっさー」。

家族から否定された私は、私を否定する家族を否定しました。それだけでなく、すべて否定しました。マンガ家になる夢も、自分自身も。

その後、母は私の将来の夢をことごとく打ち消します。唯一、許可したのが「図書館の仕事」でした。

だからといって図書館司書の仕事を目指すわけでもなく、私は私でやりたいことを引き続き探していました。

高校の頃、大学の進路で精華大学のマンガ学部に惹かれたけれど、やはり打ち消します。その後別の職業に出会い、その道を目指そう、と決めました。

その頃は、もう世界は広いということ、親の言葉を鵜呑みにしなくていいことを心得ていたので、迷いはありませんでした。


就職して上京したら、「声」が聞こえなくなった

その後、大学に進学し、さらに複数の業界を知ったことで最終的に出版関係の会社へ就職します。

正規雇用、いわゆる「正社員」枠でした。母は、出版関係の仕事に就きたい、という話も、相手にしていませんでした。

「あなたには無理、無理」とよく言っていたものです。

でも、実際に私は就職しました。もちろん、母は「おめでとう」と言ってくれました。「出版業界に就職できるなんて、すごいな」とも。

それ以来、母は私のやりたいことに、口を出さなくなりました。

新卒で入った会社を辞めたあと、「せっかくの正社員なのに…」などと言われましたがそれ以上は何も言いませんでした。

私にとって正社員の何が魅力か、やりたくない仕事までやってほどの魅力があるのか理解できず、同調できなかったのを覚えています。

就職が決まるまであんなにうるさかった母が、今は仕事を辞めても小言を言わなくなった。

それどころか、「やりたいことあるの?」と聞かれ、答えると「ふーん」と言って「それはどう思ってできると思うわけ?」と、私の考え方に耳を傾けるようになりました。

ありがたいと思う一方、なぜあのとき、こどものときにマンガ家になりたい、と言ったときは否定したのか。

今更私のやりたいことや仕事を認めても、嬉しいと思える自分はおらず、

「この人は私のことを理解できない人間だ」という思いは、
今も心の底にぬめぬめと広がっております。


子育てをしているなかで見えた「母の気持ち」

自分に子供が生まれたら、絶対自由に育てよう!!
子供がやりたいって思ったら、全力で応援しよう!!

初めて妊娠した時、そう思いました。
今も、そういう気持ちを心がけています。

…そう。今は「心がけて」いるんです。
妊娠中は「絶対(略)!!」だったのに。

現在、長子は5歳。来年は小学生です。

ひらがな、文章通りに書けるかな…

英語話せるよ!って言って「ふぇひぇふぇふぇふぁ。ほらね!」って言ってるけど、それ英語じゃないっていつ気づくのかな…

「発達にいい」「こうすれば伸びる!」という言葉に、
つい耳が寄って行って次は視線、さらには思考も奪われそうになります。

本人がやりたいことをやればいいのに、なぜ私はこうも世間の評価や、教育的なものに関心を持ってしまうのだろう。ああいやだ、でも気になる…

この「不安」の原因はなんなのか。
目の前の我が子を見つめ、自分の幼いころを思い返し、
母の変化した態度を見つめていくうちに、ある「仮説」が浮かびました。

その仮説が浮かんだ時
「ああ。これでもう私は気にせずに済むかもしれない」と
ほっとしたのを覚えています。


「社会人」として生きるために親が願うこと

親にとって、我が子というのはとても愛しく、
ずっと支えてあげたくなる存在です。

しかし、そうもいきません。学校という社会に出れば学校で作られたルール、あるいは生徒たちが独自に決めた、教室内でのみ通用するルールに従い始めます。

そこに「いじめ」があったとしても、いじめが明るみになるまで、親は手を出すことができません。
思春期になり、話してくれなくなれば、親はもう、手助けする術を失ってしまうのです。

子供がいじめに遭わないように…
子供が将来困りませんように…
子供がひとりぼっちになりませんように…

その願いの裏返しが

目立つ行動をするな
目立つ発言をするな
周りと同じでいろ

ということに繋がり、かわいい我が子の「将来の(変わった)夢」をつぶしてしまうのではないか…

我が家の場合、家族の中で私は変わり者扱いされていました。家族だけでなくクラスからも変わり者枠でした。

私が「普通」だと思って行動していることは、すべて「異常」。
とはいえ、変わってるのは周りだ、と思っていた私は私を貫くしかなく、

だからこそ母は心配だったのでしょう。実際、母に言われたことがあります。「あなたのこと、理解しようと思っても全然理解できなかった」と。

社会人になって口を出さなくなったのは、実際にひとりで暮らし、働いている姿をみて、ようやく「大丈夫だ」と思えたのでしょう。

きっとそこには、結婚したことも理由にあるのだろうな…と思いながら。


親の最終的な願いとは

自分に初めて子供ができたときに抱えていた不安の原因と
母の態度の変化から見えてきた答えは

「子供が社会人になったときに、どんな人に囲まれているか」
がわかれば安心できるのでは、ということでした。

マンガ家になりたい、といえばそれでいい。
本屋さんになりたい、といえばそれでいい。

大工さん、タクシーの運転手、専業主婦、ネイリスト。
なんにだってなったらいい。

まぁでも、魔女の宅急便と、プリキュアだけは、ちょっと工夫が必要かな…
(今の将来の夢No.1,2)

どんな職業に就く、と言われても最終的に「周囲から愛される人」であったら。

それはなにも、有名大学を出ていなくても、ブランド企業で働いていなくてもいいことです。

周囲の話しに耳を傾け、相手を受け入れる。
そして、自分も受け入れてもらう。
それさえできれば、周りにはきっと手を差し伸べてくれる人はいるだろうし
生きる道が生まれていくはず。

結婚することで母親が安心するのは養ってもらう云々よりも
我が子を愛してくれる人がいると知り
「これで私達がいなくなっても、我が子の生涯を自分よりも長く見届けてくれる人がいる」
という安心感に尽きるのかもしれません。

だから年が離れていると不安がったりするのでしょう。
それも親の勝手な思いですが…

なお、これは一般論で「愛される」形は、結婚という形ではなくても良いと個人的には思っています。

人と人が繋がれる場所に、その子がいること。
その道さえ感じることができたら、安心できるんじゃないか。と思うのです。

社会に出た時に人に愛されるように、と願うばかりに子供の頃の夢を
「一般的でないから」という理由で大人が否定する、というのはなんともおかしな話ですが…

これもまた「親だから愛の鞭として言っている」と思っている親が多分にいるのかもしれません。

(まあ、これはあくまで「仮説」のひとつにしか過ぎないのですが)

夢をつぶしたくなったら「人」に会わせることから始める

結婚云々は脇において、
「愛される人」であるために親ができることはなんなのでしょう。

将来の夢、と聞かれて「愛される人!」と答える子供は、そうそういないと思います。

たとえば、将来の夢は?と聞いて、
「戦場カメラマンになりたい」って言われたら。

ヒゲをはやすことから提案するだろうか。
ゆったりとしたしゃべりをする練習とか?

…んなこたぁない。

戦場カメラマンになりたいって言われたら、まずそれがどんな仕事だと思うかたずねる。

一緒に図書館に行って、戦場カメラマンの仕事についての本を調べる。
一緒に読む。

現実の戦争を知る。きっと私は不安になる。反対したくなる。
「やめなさい」「あなたのことを想って」と言って夢を潰したくなる。

自分が潰しそうになったときは、無理に「応援する」とうそをつかなくてもいい、と私は思っています。

戦場カメラマンとは極端な例ですが、たとえば命の危険がある職業に子供が就きたい、と言ったら全力で否定したくなることはあると思います。

そんなときは、子供の思いを受け入れてくれる人に会っていけばいい。

周りにいないなら、講演会などへ行って会いに行けばいい。

自分の代わりに、背中を押してくれる人を探すことも、親としてできることのひとつだと思います。

そうして、子供の夢や思いを受け入れてくれる人に、どんどん会っていけば
子供はどんどん輝いていきます。

輝かせてくれる人との交流を重ねることで、子供はきっと彼らから愛されるようになる。

その輝く表情をみることで、親もまた自然と応援したい気持ちに傾くのではないかな…と私は思っています。

これは将来の夢に限らず、自分が否定したいことがあったらまずは呑みこんで「へぇー、いいね」とか「おもしろそうだね」と言ってくれる人に会わせていくことは、大切な事じゃないかなぁ、と。

ものすごく身近な存在でいえば、おじいちゃん、おばあちゃんとか。

受け入れてくれる人が、親以外にもいる。
それは、社会に出れば、もっと多くなるということ。

親の反対なんて、とてもちっぽけなものなんだ、と思えるように。
そんな親でありたい。と思うところで、締めくくります。









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