”この支配からの卒業”は死ぬまでありえないなんて嫌だ

 学生時代の誰かの支配が終わって、晴れて大人として自活して、、、
自由を謳歌してた。大人っていいいよね、自分の責任のもとで自由だ。

非常に難聴の元気な方が少しだったけど利用してくれた。重度の方が多いこのデイサービスで、唯一の要支援の方。うちのデイが近所だった、という理由で包括センターから紹介があった。

やっと借金も返し終わったらね、気が抜けたのよ、とか、娘がこうこうでどうだったんだよ、などと普通の会話ができる。

それが、元々の性格で、遅刻しがちだったらしく、慣れてきたら約束の時間にマンションの駐車場に降りてこなくなった。一階のエントランスに鍵がかかっているから、一階から呼び鈴を鳴らすも出てこない。耳が悪いから。聞こえない。

待ってみるが、近所故、また、車に乗ってるの嫌い、と言うので、送迎最後に行くため、とりあえず車で待たせている他の利用者を一度降ろすためデイへ向かう。

で、また戻るんだけど、その間に、「あら、居ないわね」と、車とは違う道からデイへ一人で来たことが2回もあった。
まだまだ近所までは自由に外出してるくらいの人だから、要支援。
耳が悪いので玄関の呼び出しも、電話も聞こえない。以前毎回やってたFaxすら、「紙入れないと見ないのよね、意味ないよ」と本人から言われやめた。

連絡取れないと倒れているんじゃないかとか、やっぱ心配になる。市内に住む家族に電話しても、そうですか?後で見ておきましょう、程度。。。

ただ、自力で歩いて来た日はとてもハツラツしている事に気付いた。
「私が来たいから来たよ。」

これじゃないか?

デイに来るようになってから、失禁が続いたり忘れたり、認知度が落ちてきたので、区分変更がかかった。
内心、デイなんか来ない方がこの人頑張れるのでは?と悩んでいた。

今朝は5分待ってたら降りてきた。
でも先週は10分待ってデイに戻ってる間に降りたらしく、歩いてきた。

この緩さか?
この人の元気の源はおそらく自由かどうか。自発的な行為かどうかなのかも、と思ってたところ、

ケアマネから家族から苦言が来てると。

電話で話してみたところ、一人で歩いて行った時に事故に遭ったらどうするんですか、と苦言を。

連絡取れない時に電話すると、あー後で行ってみます、とか、(あー、じゃないよ、倒れてないか心配なのに)と、ヤキモキしてるのに連絡なかなかなくて、昼前くらいにこちらから連絡すると「今日はもうやめときます、本人行く気ないみたい。」と言われてしまい、勝手にイライラする方が悪いのかと思い直した。

「1人で歩いて来てる途中で事故に遭ったらどうするのか?」と言われて、このご家族は何を大切にしているのだろう、と改めて考えて気付いた。

そのリスクを回避する方法は、家族が朝来て送り出しするしかない。
もしくは鍵を預からせてもらって朝の準備手伝うとか。実際認知度が深いとか身体的な問題でそこまでをこちらでやる人もいるが、この方の場合、そこまでの支援するにはしっかりしているし、身体も動く。
だから、他人がそこまではできない。家族しかできない。

朝遅刻するなら家族の支援必須、と言ってるのではない。
朝遅刻するのを誰かの責任にしたいならそれは家族の責任以外あり得ないということだ。

私が悪いのだ。
遅刻するなら受けられない、とこの場合はっきり言うべきなんだ。
遅刻したらご家族で送迎お願いします、とか。責任は持てないと。

社会的な正解はわかっている。

でもね、本当はこの方の希望を通すべき。
途中倒れようが私の責任だし私は大人として扱われたい。というメッセージを彼女から感じていた。
大人として生きてきてても、年を取ったらこんな支配のもとで生きるなんてなあ、
70歳すぎた私なら、ちょっと不自由な頭と身体でも

「私を誰も支配するな!」って怒鳴ってると思うんよね。怒鳴ってるくらいの自分で居たいな。



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