最近、2人ほど、長い付き合いだけど、そんな会ってたわけではない、の友達とゆっくり話す機会があった。 1人は介護施設で知り合って仲良くなって、辞めてからも事業所を通しての付き合いもあった友達。 ケアマネの仕事に疲れ切って、偶然私と同じ時期に長く働いてた会社を辞めた。 話しの中で、「私ってどんなケアマネだったのかなぁ、自分じゃわからない」と言ってた。咄嗟に本音の「優しい人だと思われてたんじゃない?」と返した。実際相手のペースに寄り添ってく人だった。デイサービスが良いと思っても
高校生の頃文通してた新潟の同学年の子がいた。昭和だなぁ ある日手紙に、今人生の岐路に立ってるんだ、ということが書いてあった。 どういう内容だったのかまるで覚えてないのだが、この「人生の岐路」という言葉のインパクトだけが印象に残ってる。 きっと、卒業後の進路だと思う。 ああ、こういうのを人生の岐路って言うのかぁ、将来選んだ方に納得するのかな、と思いながら返事を書いたような気がする。 そんな幼かった私でも、50も過ぎてしまい岐路もいくつか経験してきました。 あれは間違えてた
学生時代の誰かの支配が終わって、晴れて大人として自活して、、、 自由を謳歌してた。大人っていいいよね、自分の責任のもとで自由だ。 非常に難聴の元気な方が少しだったけど利用してくれた。重度の方が多いこのデイサービスで、唯一の要支援の方。うちのデイが近所だった、という理由で包括センターから紹介があった。 やっと借金も返し終わったらね、気が抜けたのよ、とか、娘がこうこうでどうだったんだよ、などと普通の会話ができる。 それが、元々の性格で、遅刻しがちだったらしく、慣れてきたら
実母は要介護5で、アルツハイマー型とレビー小体型が合わさった認知症との診断を受けている。 去年春頃だったか、ついに食事を飲み込む能力に支障が出始めた。 日曜日は私が仕事休みなので、いつもコメダ珈琲店に連れて行っていた。餡子と珈琲とパンの好きな母のためのメニューかと思うほどの大好きだらけで、毎週でも、いつも嬉しそうに頬張っていたから。 言葉少なくなっても マグカップを啜っている母に「美味しい?」と聞くと、しばらく止まってから、「むちゃおいしー」と笑ってくれた。 そんな母
姉が入院している精神病院で、コロナのクラスターが起こった。 病院から連絡があり、姉も陽性になったそうだ。無症状とのこと。 次の日は、出たがっているが感染が落ちつくまでは家族として外出禁止にして欲しいと言われて、先生の考えにお任せすると答えた。 ただでさえ変化に弱いのに、きっと日常が大きく変化してパニックになった患者が多数と想像できる。 以前実家の猫が死んだ時、悲しみに浸る他の家族をよそにペットのお葬式がどうこう大騒ぎしていて、その姿はむしろ楽しそうでもあった。 日常の変
事業所に1人で居て、静かな中、急に斜め上から何か声みたいなん聞こえて、 そういうの怖いより、何なのか知りたい方だったのに、急にドキドキしてきて。 速攻帰った。 それ以上の何かがあったら、と思うと怖くて。 まだこんなことで怖がるんだなー 歳をとったら、むしろ弱くなった。
開業した時、色々と教えてくれた経営者さんが、保険請求はここに頼んだらいいよ、と業者を紹介してくれた。 保険請求という仕事がわからんかったので、その業者に頼む事にした。 毎月実績を渡したら、請求書までやってくれる。 そのうちそこが廃業して、広島に本社のある別の業者を紹介された。 月3〜4万円で委託。不満といえば、10日に届く請求書を急いで、口座振替業者の別の会社のサイトへ入力しないといけない。口座振替が出来るようにして欲しいという利用者さんからの要望で頼むことにしたのだけど
わからんけど、 認知症の人の対応中に急に怒り出したりした時のことを「スイッチが入って」と言われると、毎回イラッとくる。 バカにされた気がするんかな。 じゃあ自分は何て言ってるかというと、急に目つきがグっときたけぇ、とか怒り出したけぇ、などと言ってる。 目つきが変わるのも、怒るのも、何かがあって、その何かを把握しきれなかったり、失敗した結果としての状況だと思うからか。 スイッチが入って、という言葉だと、それを怒った相手に全原因があるように表現してる気がするんだな。 相手も自分も
「ねーねー、その仕事やめたんならうちでまた働いたらいいじゃん。」って気楽に、でも内心また来てくれたらいいなぁ!とわくわくして声をかけた、元スタッフ、で今は大切な友達から、電話が入った。 お!!!もしかして!と勢いよく電話に出る。 「あの話しなんですが、」 (あれ?えらいかしこまってる。。。ああ、やっぱダメかあ…)心の声 「…」 「…」 あれ??え?泣いてる?? 彼女は数ヶ月前に頑張って介護してたお母さんを亡くしたばかり。 美味しいパンを買ったから食べる?と持って行った時に
コロっと死ぬのは難しい。みんな元気なままでコロっと死にたいと話すのに。 久しぶりに会ったケアマネさんと話してたら、「そうそう、〇〇さんね」と以前うちのデイサービスに来てた人の話をしてくれた。 家で一人暮らし。始めは週2回から始まって、だんだん増えていき、終わり頃はうちと他とで毎日デイへ行っていた。おしゃれさんだが、だんだん尿臭がひどくなり、洗濯して帰るようになり、近所の人から家族に連絡が来るようになり、サービス付高齢者住宅に入居した。 それでも来てくれた。 サービス付高齢者
いつもこうなりたい、というイメージがハッキリあって、それに向かってきたのに。 ふと気付くとそもそもの「こうなりたい」がかなりおぼろげになっていて、 やりたい事もよくわからなくなった。 これが老いなのかな。 人に聞かれたら答えられる。 「死ぬ時に楽しかった(面白かった)」と言って死ねるように生きたい。 だから、いつも面白いこと楽しいことを見つけながら生きてたいのに、目の前で起こるあらゆる事を自分なりに言葉にして理解して、それについての自身の感情やどう行動していくかを決め
13歳からの知り合いで、ずっと繋がってきた先生。ある教科を教えてもらっていた。 時々先生から連絡があり、食事したあと、先生の家のあれこれをお手伝いしてきた。 何かと危なかったが、大丈夫よ、と一蹴されるので何となくでここまで来たが、ついに倒れらられた。90も半ばにて。 と思ったら、あっという間に退院してきた。 今日は退院2日後のお手伝いに行った。 先生は一人暮らしで、 セレブというのはこうゆうふうに暮らしているのかと日々感心していたが、 私の他に5人くらいの人が出入りしてて
3回目じゃわ… 入り口がわからないという電話があり、電話で説明して待つ事五分。まだ来ん! 仕方ないからこちらから見に行くと、ニコニコして電話してきたところで待ってた。 顔見たとたん、思い出した。 この人うちの面接に来るの3回目。 「お会いしたことありますよね?」 「え?初めてです。」 「あ…そっか、すみませんね。」 2回目の時も驚いた。あれは10年くらい前かな。その2年前くらいに来た人だと、面接途中で気付いた。あとで、資料見て記憶に間違いなしとわかり変わった子だなあと思った。
イヌを飼っている、 食べたい食べたい!よしよしして!甘えさせて!ダイスキ!眠〜!を繰り返して全力で生きるイヌ。 愛おしい。 ヒトも奥の奥にはみんなこんなとこあるのにね。 無いと思ってるヒトばかりだ。
デイサービスの朝の送迎時。 今朝は体験デイサービスに来るはずだった人、1人を迎えに車を走らせたが、呼び鈴で出てきくれたまだ若い60代のお姉さん、「今日は大変に申し訳ないのですが休ませてください」と5、6回繰り返して謝られるので、「全然いいんですよ、何回も言わせてすみません」とこちらも申し訳ない気持ちになって帰る。 帰り道、1人暗くても意味ないね、と、気持ち切り替えてスマホから好きな音楽を流しながら運転していた。 音楽が中断され、けたたましく電話が鳴る。 取り急ぎ車を停めて
あれこれと実は心の奥に溜まりまくっていた悩みをnoteにぶちまけて、心のおもてに出してみたせいか。 他の人の意見も聞くことができたし、少しは考えを整理できた。 その上で、「〇〇で、だから、こうゆうのはやめない?」と夫にLINEした。 ダメ元。これでノーリアクションなら、もういいと思って。 私の好きだった人はもう居ないのだと諦めもつく。 2日間ノーリアクション。 そうか。そうか。もう次のことを考えよう、と決めた。 そして今朝、たまたま朝ゆっくり仕事に行ける日で、子ど