しつこくても〜阪神・淡路大震災を考え続ける
しつこいようだが、阪神・淡路大震災のことを考える。
ここ数日はあの震災のことばかり考えており、1月18日の父の命日を忘れかけたくらいだ。
ずっと考えていたから、いろいろなことを思い出した。
たとえば、20年前、震災10年の2005年1月17日、私は震災で作られたHAT神戸、人と防災未来センターの横にある神戸赤十字病院で研修医をしていて、真横で開催されていた式典に多くの人が来ていたのを覚えている。
思えばHAT神戸の神戸赤十字病院で研修したのも、阪神・淡路大震災のことが頭にあったからだ。
HAT神戸内には復興住宅がある。
何の機会か忘れたが、復興住宅の患者さんの部屋にお邪魔したこともある。
初期研修をした神戸赤十字病院は、私が研修をする前年に、二つの赤十字病院が統合し移転してできたものだ。
震災のとき、赤十字病院は被災者医療の最前線にたっていた(参考 震災から5年 : 災害医療の現場から)。
震災の教訓を踏まえてできた病院に、たった1年(大学病院とのたすきがけだったので)だが勤務できたことは貴重な経験だった。
考えてもみれば、そもそも、20世紀のうちに神戸大医学部に学士編入制度ができたのも、震災復興という意味合いがあったと聞いている。私のキャリアに震災は深く刻まれているといえる。
震災を経験していない神戸市民という立場は、「共事者」と言える。
だからこれからもしつこく震災のことに触れ続けていきたいと思う。
もう一つだけ思い出したことがある。
以下は震災とあまり関係ない部分もあるので、有料にしておく。
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