遠い国のふしぎな(ほんとの)おはなし
まだまだ暑い日が続くので、今日はわたしの地元、藤沢から離れ、涼しい北欧の
ふしぎなお話と、それを取り上げた翻訳記事なぞ。
トムテは、小さな妖精のおじさん
北欧は、色々な種類の妖精や伝説が伝えられている場所でもあります。
「がらがらどん」に出てくるトロルなども伝説のひとつですが、今回は
トムテをご紹介。
一番ポピュラーな北欧の架空の妖精といえば、サンタクロース。
スウェーデン語では「Jultomte(ユールトムテ)」といい、クリスマスのトムテ、
という意味になります。
(赤と白の服装は、現代にマーケティング戦略で作られたイメージ)
一般的にはトムテは「森の小さなおじさんの姿をした妖精」。
白雪姫を助けた、7人の小人がちょうどイメージに近いかもしれません。
さらに詳しい情報は、トムテのWikipedia などを御覧ください。
今回は、スウェーデンのボルネス(Bollnäs)という街の地元紙に書かれた記事をご紹介します。ヘルシングランドという地方で、地元の人々がトムテを目撃した、という内容です。
出典:スウェーデン、ヘルシングランド地方紙
Hudiksvalls Tidning、2013年12月16日版
目撃したトムテは本物?
2013年12月16日、9:16 am
ヘルシングランド地方では、「小さな人たち」を見た、という話をよく聞く。
ボルネス郊外のヘルボーという村では、別々の人による、別々の時の目撃情報が上がっているが、目撃場所は1ヶ所に集中している。それを見た人々は口をそろえて言った。トムテは小柄で灰色の服をまとい、帽子をかぶった小柄な姿をしており、突如消えて
しまったと。
ほぼ20年前の、とある水曜日朝8時頃のこと。ベッティル・ブロディンは、ヘルボーの運動場での仕事へ向かっていた時、奇妙なものを目にする。
その日は、もうすぐクリスマスだというのにまだ雪は降り始めておらず、冬の初めが
しばしばそうであるように、空は曇って少し暗かった。
テニスコート横は、森への入り口になっているのだが、そこで動く何かが気になり、
目線を走らせた。その先にいたものを、今日に至るまで、臆せず明言できる。
「それはトムテでした。身長はおよそ1mで、灰色の帽子と灰色の襟付きコート、
それにつま先の尖った靴を履いていました。」
「もう何年も前だというのに、その時の記憶ははっきりと覚えていますよ。こんな場面に出くわしたらまず、忘れることなどできないでしょう。」
そして、その灰色の人物が何か動物や影、子供などとは絶対に見間違えていない、と
ベッティルは言う。
「いいえ、子供などではありません。別物です。二本足で歩き、体は小さいのに大人の外見でした。歩き方も少し前かがみになっているのが分かるんです。僕がいた所から
トムテがいたところは20メートルも離れていなかったから、しっかり見てました。
彼の姿が次第に薄くなり、消えてしまうまで。」
当時ベッティルは知るよしもなかったが、運動所すぐ横の家に住むアストリッド・
ファルクも、ちょうどその時、キッチンの窓から同じ灰色の人物を目撃していた。
彼女もベッティルと同じく、早朝の運動場で起きている事が気になった。
「こんな早朝に、子供を一人で歩かせてるなんて、いったいどういうこと?と思ったのを覚えています。それでテーブルから立ち上がって、電灯の下をその子がうろうろと、
行ったり来たりしているのをしばらく見守っていました。すると彼が転んでしまったんです。そこへ、ベッティルが道路からの道を歩いて来て、フィールドに向かうのが見えましたから、「ああ、あの人が転んだ子を起こしてくれるわね、よかった、と思った
わけです。」アストリッドは回想する。
それから数日後、アストリッドはベッティルに、転んだ子がその後どうなったかを
尋ねると、そこにいたのは子供ではなかったこと、そして、2人が見た灰色の人物が
あの後、突如姿を消したということを伝えられた。アストリッドはその時初めて、
あの時の小さな子供がトムテだったということを理解した。
アストリッドは言う。「2人でトムテを同時に目撃していたのは幸いでした。2人の目撃者がいれば、作り話だと疑われないですから。」
アストリッドもベッティルと同じ位、その日運動場で起きていたことがとんでもない
何かだった、という確信がある。
「まさに。この目ではっきりと見たんですから。もちろん奇妙な出来事だけど、天国と地上の間って、まだまだ謎に満ちていますしね」と彼女は言う。
同じ村の、アストリッドの家からぽーんと石を投げたぐらいの先にある家に住む
リスベット・シェルストレムも、トムテを目撃している。それも1回だけではなく、
2回も。
初めてトムテを目撃した時、彼女は運動場に面したキッチンの窓から外を見ていた。
その先はちょうど、ベルティル・ブロディンとアストリッド・ファルクがトムテを目撃した場所でもある。リスベットはちょうどコーヒーを淹れている最中に、小さな灰色の人物が、運動場の端から、すぐ脇の森の中へと歩いて行くところを見た。
「はっきりと見ました。それは紛れもなく、他の何ものでもない、トムテでした。
自分の言うことに間違いはありません。」リスベットは言う。
キッチンの窓からそれ以上姿を追えなくなると、リスベットは二階へ駆け上がり、
バルコニーからトムテの向かった先を探したが、トムテの姿はなかった。
しかし、彼女が再度キッチンの窓からトムテを見たのは、それから1年も経たない頃
だった。最初は、近所のアストリッドの家の裏から走り出てきた、小さな野ウサギを
目で追っていた。きれいな野ウサギだったので、家の回りの草むらから運動場に向かって走る様子に見とれていた。すると突然、野ウサギが走り出てきた同じ草むらから
トムテが現れたのだ。野ウサギどころではなくなったリスベットは、トムテの姿に
釘付けになった。野ウサギを数メートル後ろから追いかけていくトムテを、この時も
リスベットはじっくりと観察していた。
「やっぱり灰色の服をまとった小柄な人物で、最初に見たトムテと実にそっくりでした。でも、顔自体は見えなかったので、最初に見たトムテと同一人物だったかどうかはわかりません。」
ただし、彼女がトムテを他の何かと見間違えた可能性については全くなく、疑いの余地はないと言い切る。
「私はデイケアで何年も働いていて、子どもたちの姿なら普段から見慣れているから
わかります。トムテの姿は子供のそれとは完全に別物でした。また、絶対に動物でも
ありませんでした。」と、リスベットはきっぱりと断言した。
セーデルハムンの宗教史の専門家であるサンドラ・ランツは、同じ村の人々がトムテを目撃したことについては驚かないという。この話に対して懐疑的な人というのは、例外性というよりも規律性に対するものだと説明する。
「科学的な裏付けがないものを嘘と言うのは簡単です。でも、まずはこれらの話をする人々の世界観なり経験なりを理解しようとする姿勢から入ることから始めるべきだと思います。
- 今回の話に懐疑的な人も、もしも聖職者に「神はいると思いますか」と尋ねらたら、
自分の世界観や経験から神が存在すると思い、イエスと答えることでしょう。個々の経験に基づく判断という点においては、民話や伝説も同じなんです。
聖人アウグスティヌスが「信念を持たない者は、いずれにおいても理解できないであろう」という言葉を残しています。もちろんこれはキリスト教に関して言った言葉では
ありますが、民話や伝説に対して信じることに関しても通じています。
ですから、トムテの話についても、本当に存在するかどうかの議論自体が的外れということになります。
民俗信仰に関して(正否を判断する)これといった基準がないために、このような話を聞いた多くの人々がただのおかしな妄想だ、と片付けてしまう要因になっているのだ、とサンドラ・ランツは言う。
「たかが民俗信仰だ、と片付けてしまうのが、外側の世界では最も一般的な理解のしかたになっているため、主観的な見解に対して、さらに幅広い視点を与えてしまい、1つの国の中であっても民話にバラつきがでて来てしまう結果となります。そう、村単位で
さえも、話に違いが出てきます。単純に、キリスト教の伝承にあるような、真偽を分けるための定説が民俗信仰には存在しないからです。このために、民俗信仰は無法地帯となり、キリスト教的視点からみても信じるに値する合法的基準というのがないに等しいんです。民俗信仰に付与されている迷信的なものとしてのラベル付けを、キリスト教が早々に外すべく対策をとり、まっとうで組織的な宗教として確立した点も注視すべき」とサンドラ・ランツは強調する。
ベッティル・ブロディンとアストリッド・ファルクの2人に共通している点は、トムテを目撃するまでは、12月の早朝にサンタ・クロースが現れるという話など全く信じていなかったということだ。それはリスベット・シェルストレムも同様で、トムテを目撃するまで懐疑的だった。今は一転し、3人とも信じるようになったという。
「そうですね、紛れもない本物のトムテを見てしまった以上、今では信じざるを得なくなりました。トムテ以外の何者でもなかったのですから。はっきりと分かったんです」
ベッティルは言った。
取材:クリスチャン・マッサナ