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夏休みの宿題から考える「一緒にやる」ということ
ことの始まり
さてもうすぐ8月も終わりですね。我が家には子供が2人いますが、夏休みの宿題に追われる、というのはもはや伝統芸能のようなものと思います。
特に自由研究、こいつは非常に厄介な代物です。
何が厄介かと言うと
「自由」というだけにテーマ設定を考えなければいけない
昔と違ってフォーマットも決まっているわけではないので、「模造紙に書いておしまい!」とはいかない。どの様なアウトプットにするかも自分で決めなければいけない
という、非常に抽象度が高い課題を「子供が考えて自分で実行」しなければいけない点かなぁと思っています。なので、子供にとっては手を付けることすら非常に億劫な難題なんですよね。
結果として「自由研究終わった?(やりなよ!)」というプレッシャーからの「う〜ん…」という非常に芳しくないコミュニケーションが、親子間で発生していたわけです。
そこで今年はやり方を変えてみることにしました。
それは「一緒にやる」ということ。
親自身も自由研究に取り組み、ゴールを「家族間発表会」にしてみたわけです。
結果として何が起こったか
親も隣でテーマ設定から悩むわけです。はて、どの様なテーマで研究するかデータはどこからとるかナドナド。
ちなみに私が最初に考えたテーマは「兄妹喧嘩の理由と時間帯に相関関係は有るのか?」でした。が、兄妹喧嘩が勃発するたびに私が「理由は?いつ仲直りするの?したの?」と聞きに飛んでくるので、ほとほと嫌気がさしたらしく…
結果として兄妹喧嘩が減ってしまったことにより(良いことだけど)データが収集できずあえなく撃沈。
(最終的にノンアルコールビールの分類についての研究にしました)
ただ、私がテーマや研究結果のレイアウトを「あーでもない、こーでもない」と考えている姿を見て、(狙い通りに)子どもたちも同じ様に自由研究を取り組み始めました。
やっぱり大人も子供も「やれ」って言われるより、「一緒にやろう」と言われたほうが手が動くみたいですね。
マネジメントにおける言葉選びとそれを体現すること
仕事においても「やって」というのと「一緒にやろう」というのでは受け取られ方が違うのではないかなぁ、と思っています。
開発プロセスをもっと良くしたい、と思った時に「どうしたらできるか一緒に考えよう!」と言う方が前向きに物事が進めやすい印象があります。
もちろん全部が全部、マネージャーがプロセスの多くを持ってしまうと他の事まで手が回らなくなってしまいますので、どこまで伴走するか等、一定の線引きは必要だと思いますが。
マネージャー vs メンバーの様な残念な構造を産まないためにも、言葉選び含めてしっかりやりたいところです。