好きをもっと単純に純粋に柔軟に
わたしはこれまで、かなりオタク気質なので、一度気になるとトコトン調べてしまうし、一通り調べ終えたあたりにはもうすでにどっぷりハマっていることが多かった。
そうやって、好きな事、好きな人の一挙手一投足まで情報を仕入れて、毎日そのことを考えて、ここが好き!これが好き!と、毎日ツイッターに呟き倒していた。
けれど、ここ最近、コロナのおかげで自由な時間が増え、好き、とまではいかないけれど、気になる!なものにたくさん浮気したと思う。
でもなぜか、そのどの要素にもとことんハマらず、ふわふわいろんな界隈を回っていた。
時間と熱意は有限なもので、そうやって気になるものが増えてしまうと、これまでゾッコンだった好きなことからも少し遠のいてしまう。
その結果、今までゾッコンだったものまで、好き、と公言していいのか分からなくなってしまった。
アイデンティティを消失した気がして、なんだか心にポッカリ穴が空いたように感じる。
そもそも、
『好き』と公言していいか、よくないかのハードルは高い気がする。
『好き』と言うからには、その物事を知っていなければならないし、その物事をいつでも誰にでも説明できるくらいの準備は揃えておきたいし、他人にも同じように要求してしまったりする。
例えば、野球が好きで『このチームを応援しています!!』と言われたら、「へえ〜!じゃあ最近そのチーム成績どうなの?ランキング何位位?エースは誰がいるの??」と聞くのが、普通ではないだろうか。
そこで、『えっと〜、、今のランキングはちょっと、、、分かんないです、、。』とか言われたら、多くの人が「ホントに好きなの?」と思うんじゃないだろうか。
このハードルの高さが『好き』を難しくしていて、さらに言えば、このハードルの高さゆえに
好きなことが見つかりません、とか
趣味がないんです、とか
そんな悩みを抱えてしまうんじゃないだろうか。
もっと気軽になんでも『好き』って言っていいんじゃないかな
と、思う。
別に好きなことなんかなくても生きていけると思う人もいるかもしれないけれど、
好きなこと、というのは、自分を安らかにしてくれる時間、ということだ。
好きなことを『好き』と認めることは、
自分を安らかにできる時間を意識的に作ることに繋がるような気がする。
今自分、好きなことやってる!!自分のこと休めてあげてる!!!
そんな感覚に救われる日だってある。
もっと自分の『好き』に自信と勇気を持って、
柔軟に生きていきたいなぁ、
と考えた、そんな一日でした。