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なぜ弁士は台本を自ら書くのか・ デビュー作「散り行く花」①

この題材で書く事をずっと考えていたのですが、最近話題になったものだから重い腰を上げました。苦笑

私が最初に活弁の説明台本を書いたのは、
最初から。
デビューの時からです。
てか、みんな同じです。
そーゆーものだからです。

いや、びっくりしましたけれどね。

私は2000年の秋に
東京キネマ倶楽部の弁士オーディションを受けて合格。
2001年1月にリリアン・ギッシュ主演「散り行く花」で
弁士デビューしました。

この時、新人女性弁士は三名が同じ作品でデビューしましたが、
私は第二次オーデションのトップバッターに指名されました。
まぁ、弁士としては新人でしたが、当時既に三十路も半ば。
一番年上で役者や和妻の後見など
既に20年近くのキャリアがあったので、
当然のように回ってきた「実験台」としての役割でした。
でもね・・・
本番四日前に言い渡されたのですよ!
「散り行く花」って、
”映画の父”と称されたD・Wグリフィス監督作品ですよ!
約一時間の尺があるんですよ!!!
もう、これだけであんびーばぶーーーー

※この流れは後から書くかもしれませんが、
この時の私に「首を横に振る」という選択肢はありませんでした。

この業界の第一人者である澤登翠師匠のテレビ放送された際の
「活弁トーキー版」が手渡され、
字幕だけは直訳してあるものが手渡され、
(本当に直訳で台詞としては改変が必要)
”パクってもよろしくてよ”
(耳で聞き取って書いてもいいですよ)
という暗黙の了解がありましたが、
とにかく以前同じ劇団で芝居をしていた
脚本が書ける後輩に連絡をして、
「叩き」をざっと書いてもらいました。
彼だって無声映画の台本を書くなんて初めての経験です。
それでも二日で形にしてきてくれました。

が、しかし・・・

残念ながら
それはとても映像の人物が喋っているようには思えず、
声に出して読んでもピンと来ないのです。

ド新人のくせに
「丸々パクる」という事はプライドが許さず、
澤登師匠の活弁トーキー版とにらめっこしながらも
極力自身の言葉を差し入れながら、
ほぼ二日で書き上げたのでありました。

~つづく~






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