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会いたいと願っても、会えないから今日もわたしは料理を作る

使命感や、焦りが心のどこかに常にあった。
残り時間なんてどこにも表示されていないし、誰に言われたわけでもないのに、常に意識していた。
体調が悪いわけでも、持病があったわけでもないのに、だ。

祖母と過ごした時間

11月18日は祖母の命日だった。
亡くなるまでの間、できる限り、飛行機に乗っては祖母の元へ向かっていたから見送る者としては後悔はなかった。
「会う」以外でも後悔なきように、たくさんのものを受け取っていたから、その感謝の気持ちを手紙に書き、そっと棺に入れて見送った。

祖母は鹿児島の人だった。祖父も同様で、仕事の都合で来広。最期まで広島で過ごした。
実家も割と近く、会う頻度はかなり高かったと思う。
小さな頃はそごうの時計の前で10時に待ち合わせして、食堂でよく食事を共にしたものだ。
10時に待ち合わせなのに、絶対30分前にはいる。そして、私たちは遅れる。遅れても、また次に会う時は30分前には待ち合わせ場所にいた。そんな人だった。
食堂で食事をする際、祖父は必ずラーメンだけど、祖母はいろいろ食べる、2人は真反対。そんなお決まりも今となってはとても大切な記憶だ。

ルーティンメニューのなかった祖母だけど、お寿司については孤高のルーティンが存在していた。

ハマチ。

ハマチが好きすぎて、おかわりしている祖母。回転寿司だと確実に6皿中4皿はハマチだったような気がする。今となっては、なぜ好きか、聞けば良かったと思う。聞いたのかもしれないけれど、記憶にはない。でも、理由なんてないのかもしれない。理由はないけど、愛の溢れる好物ってあるもんね。

過ごす時間が多い分、心のどこかで、ずっとそばにいてくれる、と思った。
人はお別れが必ずあると分かっていても、いつになるか分からないから、どこか現実として捉えてなかったのかもしれない。
現実を、意識し始めたのは祖父の死だ。
祖父が亡くなった当時、わたしは上京していて、調子を崩していたことも知らないままに訃報を聞くこととなってしまった。そんな状態だったことを教えてくれなかった両親に不満を抱いたし、両親が私に心配させたくなかった、というのもわかるから複雑な気持ち。
ただ、その件がきっかけで、残りの時間はもうあまり多くはないんだな、と分かったからこそ、祖母とは沢山の記憶を作りたいな、となった。

旅行に行ったり、家でたくさん会話したり、祖母が孫全員(+うちの犬)分それぞれ貯金箱を用意してくれて、大人になってもそれは続いていて、祖母宅に行くたびにお金を出してはにまにましたり。いつだって祖母の前では10歳前後の子供に戻ってしまう。

集まる日には絶対あった魚巻き

お正月など、みんなで集まる機会がある。
そこで必ず作られる祖母の魚巻き(さかなまき)という鹿児島の郷土料理が大好きで、毎度楽しみだった。
だけど。前述の通り、残り時間はそう多くない。わたしも作れるようになりたい、そう思った。
思い立ったらすぐ行動、ということで早速ある年のお正月に習いながら作った。祖母はどこか嬉しそうで、調理の役得ということで切れ端をつまみ食いして2人でニマニマしたり。

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(当時の写真。プチトマト、なにがあったんや)


みんなでテーブルを囲んでワイワイしながら、おいしい!と食べた時間はとても尊い時間となった。祖母も「初めてにしては上手」とたくさん褒めてくれた。また集まる時、作ろうね、と約束して、2人でせっせと巻いていた。
とはいえ、習いながら作ったのは結局2、3回になってしまった。やはり残り時間はそんなに多くはなかったのだ。

体調を崩して、病院、施設へとうつり、看取ることとなったのだけれど、危篤は2回ほどあって、意識が朦朧とする危篤状態の中で話すことが「刺身が食べたい」とか食べ物の話が主だったのは笑い話となっているし、みんな食べるのが好きなのは祖母のおかげだな、と思う。
最後の方は私のことを私だと分からないかもしれない、と言われて会いに行ったけれど、すごくはっきり覚えていて、久しぶりにしゃきっとしていた、と母に言われ、すごく嬉しかった。
「元気になったら魚巻き、作ろうね」と言った時の笑顔、表情は忘れられない。

衝撃の事実とつながっていく記憶


親族の中で魚巻きを教えてもらったのは私だけ。
鹿児島の「郷土料理」、作れるようになって良かったねぇ、と言ってたのだけれど、衝撃の事実。鹿児島にはそんな郷土料理はなかったのだ。ググればすぐわかるはずなのに、なぜだかずっとググらなかったわたしたち。不思議である。

結局のところ、どうやら、祖母が大好きでやまないハマチの創作料理を考案したようだ。

かれこれ二桁の年数はみんな郷土料理と思ってた食べていたが、実際は創作料理だったという最高の置き土産。
逆に言えば唯一無二の創作料理の作り方を知っているのは私だけ、となってしまったわけである。

祖母は時代には珍しく、看護師として定年まで働いたワーキングマザーで、実は料理はそんなには得意ではなかったらしい。
そんなことは信じられなかったくらいどれも美味しかった。その中でも孫一同の大好物は魚巻きと卵焼き。
私は魚巻きを、妹は卵焼きを習って、作れるようになった。そしてそれを自分の家族に作っている。祖母が会いたかったひ孫も、曽祖母の顔を知らないけれど、味は知っている。

レシピは生きている。そして、レシピとともに記憶が蘇り、それを口に出すことで伝わる人の記憶。レシピとして、祖母は生き続けることができるのだ。

祖母にはもう会えないけれど、祖母との記憶たずっと胸にある。魚巻きを作るたびに祖母への想いが溢れてくる。大切に歩んでいこう、と思える料理に出会わせてくれてありがとう。これからも作っていくよ。

紅生姜がハマチの脂っぽさを程よくさっぱりしてくれる魚巻。作り方はとてもシンプルなのでぜひ試して欲しい。(お米もお魚も合うよ!)

レシピ

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◆レシピ 2巻分
ハマチ(カンパチ、ブリでも) 1柵
卵 2個
ほうれん草 2束
紅生姜 1パック
のり 2枚

1.ハマチは2つに縦に切り分けておく
卵をとき、薄焼き卵(味付けはなし)を丸いフライパンで焼く
ほうれん草は茹でて水気を切る 紅生姜を水気を切る
2.のりに卵をのせて、ハマチ、ほうれん草、紅生姜をのせて巻いていく
3.具材が馴染んだら切り分ければ出来上がり

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