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まだ残る家族へのちょっとしたイライラを解消できるような気がしてきた

こんにちは。
福豆です。

脳内が平和に満たされている福豆ですが、実は毎日、家族(特に義理父と義理母)に対するイライラが未だに解消できずに悩んでいました。

ひろの式カタカムナでカタカムナを実践し、自分の内側が愛と平和で満たされているにも関わらず、どうしても義理の父・母の言動と行動にプチイラっとしてしまいます。

一応、前置きしますが、決して仲が悪いわけではありません。
私の心をかき乱すような言動・行動の一部として、
①人の容姿について文句を言う(なぜ、容姿に文句をつけるのか疑問)
②全てが自己中心的な考え方
③主張が通らないとなると必ず捨て台詞をする
④言葉遣いが年齢の割に幼稚で乱暴
⑤嘘をつく
⑥遠回しな会話をする(相手の出方を探るような雰囲気)

でも、決して仲は悪くありません。
なぜかと言うと、これらの行動や言動を上回る憎めない人間性でして、とても不思議な方々なのです。

カタカムナを実践するようになってから自分自身、精神的に強くなったのか、間違っていると思われることはハッキリ・キッパリ、そして何故、要望に応えられないのか、そのことがダメなのかを分かりやすく伝えるように努めている。

それでも、理解が難しい場合は、一旦、話を中断し避難するようにしている。毎日一緒にいる家族に対して、イライラする自分自身の気持ちが嫌だなぁと思っていました。

義理の両親に対してどう自分を変えていったらいいのか、毎日悩みました。
今朝も家事をしながら、このことを考えていました。
出勤し、銀行に用足しに行く車中でも考えました。

そしたら、急にふっと閃いて気が付きました。

私は、義理の父と母を私の物の考え方に当てはめようと必死だったし、義理の父と母の間違った行動や言動を絶対に改めてもらうと、無意識に正義感に駆られていたことに気が付いたのです。
正義はあっていいけど、それが正義感となると自分が絶対に正しいという確証もないまま、相手の存在すら否定する考えになってしまうような気がしました。ここ間違っているかな?

義理の父や母の行動や言動すらも、それぞれの人生であり、私がそこに執着する必要はないと思いました。
誰かに迷惑がかかるようなことがあれば、もちろん注意はする。でも、伝えたらそこで終わりにして、いつまでも執着することをやめようと思ったのです。
家族とはいえ個人の人生。私が自分以外の生き方に良い悪いのジャッジすることは当然できないと思います。
しかも、私より色んな人生経験をしてきた二人。
逆にリスペクトするべきなんだと思う。

だから、悩むのもイライラすることも、もうやめることにしました。


長い間、悩んで悩んで、自分はこの二人が嫌いなのかと思うほど、ずっと気が付かずに過ごしてきた。
答えは、とても簡単だった。

「自分が正しいとは限らない」
「人の人生まで介入しない」
「執着しない」

もし、イライラしそうになったら?
作り笑顔でもいいから、無理やりにでも「笑顔」にする。

1月15日は神社の神様に行く日。
今日の参拝で神様から気付きのヒントをもらえたような気がしたのでnoteに書こうと思いました。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。
それではまた。

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