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なぜ中学受験はやめづらくなるのか|始める前に知っておくべき心理と構造(後編)
中学受験に関するインタビューをしてきて、「これが近年の中学受験の最も悩ましい点ではないか」と感じたのは、1度始めた中学受験はやめるのが難しい傾向にあるということです。
このことがもっと知られた方がいいと思ったから、このブログを書き始めた。そう言っても過言ではありません。
後編となる今回は、中学受験がやめづらくなる「構造」について、解説します。
※この記事は後編です。前編はこちらからご覧ください。
中学受験がやめづらくなる理由(構造編)
中学受験がやめづらくなる要因は、保護者の心理的ハードル以外にもあります。
📍子どももやっているうちに受験に執着が出てくる
中学受験をすることに執着を感じるのは、保護者だけではありません。子どももやっているうちに、中学受験に対して執着を持つようになります。
子ども自身が受験したい明確な理由を持っている場合は当然のことながら、保護者に言われて何となく塾に通い始めた場合でも、そこに一緒に取り組む仲間がいれば、自分も受験するんだという気持ちにはなっていくものです(ただし、そこに保護者が期待するレベルの行動が伴うとは限りません)。
(↑「子ども起点での受験」の項で、友達の影響で塾に通いはじめ、そのまま受験することになった事例をいくつか紹介しています。)
たとえ保護者が主導し、嫌々やらされてきた受験勉強であっても、やっていくうちに、子どもにも「今やめたら、ここまでやってきたことが無駄になる」という気持ちが出てきます(むしろ、嫌々やってきたからこその執着でもあります)。
サンクコストに影響を受けるのは、大人だけではないのです。
大手の塾に通わせていた子どもが、小4の半ばに「塾に行きたくない」と言い始めた。 もともと親に言われて仕方なく塾に通い始めたうえ、授業で当てられてもわからない・宿題が解けない・宿題をめぐって母親とゴタゴタする、といったことが嫌だったのだと思う。
「受験もやめるので大丈夫?」と尋ねると、少し考えた末に「やめる」という返事が返ってきたため、塾も受験もやめることにした。
しかし、塾に行かなくなってから数ヶ月後、子どもが「やっぱり受験する」と言い出した。「受験をやめたら、遊ぶのを我慢して勉強したのが無駄になる。今やめたらもったいないと思う」とのことだった。
また、小学校低学年や中学年のうちは、何の疑問も持たずに保護者の言うことをきくような子も、高学年になると自我が芽ばえ、自分の意志を強く主張するようになっていきます。
中学受験を始めるときは、保護者の意のままに上手く受験のレールに乗せられたとしても、一定取り組みを進めると、保護者がこれはやめるべきだと感じる状況になっても、一存では決められなくなることを、心に留めておく必要があります。
小6の後半、子どもが受験のプレッシャーから、塾の前に腹痛を起こすようになった。「やられているな」と感じ、塾を休むように言ったが、子どもは塾に行くと言ってきかなかった。
📍家庭内で意見が割れると、身動きが取りづらくなる
中学受験は家族のプロジェクトです。
子どもが受験に執着を持つケースもそうですが、夫婦間でも受験を継続すべきかどうかについて意見が割れると、身動きが取りづらくなります。
家族1人1人の中でも、受験をやめることに対して心理的ハードルを感じたり、気持ちが揺れたりしますから、それぞれに「思い描いていた受験生活と違う」と感じていても、なかなか話がまとまらないことがあります。
厄介なのは、「家族全員で合意できるまでは、現状維持で受験を継続」としていると、そのあいだにサンクコスト効果によるやめづらさが大きくなっていく点です。
子どもが受験に向かない様子で、本人もやめたがったため、受験をやめようとしたが、当初は受験に否定的だった夫が反対。 努力することに意義があるという信念が強く、努力してもいないのに途中でやめることを許さなかった。
また、多くの場合、中学受験は家庭にも負荷がかかりますから、受験生活を送る中で、親子間や夫婦間のストレス・不満が蓄積していきます。もともとは円満な家庭でも、受験生活でたまった不満からお互いに態度が硬くなり、スムーズな話し合いが難しくなることがあるため、注意が必要です。
とくに、受験を始めるときに家庭内できちんと話し合いができていないと、立ち戻る原点がないために、話がこじれやすくなります。
たとえば、妻の内心は「当初の期待に反して、自分も子どももしんどい戦いになってきた。このまま続けるべきなのだろうか?」と感じていても、妻から見て
子どもの将来のことを、自分ほど親身に考えてもいなければ
これまでやってきた中学受験のサポートの大変さもわかっておらず
何なら中学受験に対して、どこか斜に構えている
ような夫に、「もうやめたら?(だから自分は反対したのに)」と言われれば、腹が立って、感情的に反論したくもなるものです。
フラットに話せる初めのうちに、
📍子どもに勉強させるために、公立中学を否定しがち
お子さんに勉強してもらいたいからと、地域の公立中学を下げるような言い方をしていると、後で「受験をやめて公立中学に進学する」という選択肢は取りづらくなります。
以下は、ある中学受験生のお父様がおっしゃっていたことです。
中学受験勉強を始めると、保護者も塾の先生も、子どもに勉強させるために「受験をして行く学校はいいところだ」と魅力づけをする。
そのときに、つい「地域の公立中学よりも、中高一貫校の方がよい」という言い方をしてしまうと、後になって今さら公立中学にしようとは言えなくなると感じる。
📍人生で1度きりの機会、必ず終わりがある
中学受験は、泣いても笑っても人生で1度きりの機会。
小6の1〜2月の入試シーズンを過ぎれば、そこで強制終了です。
そのため、小6の後期ともなれば、「無理をしても、何とか走り切ってしまおう」という気持ちが働きます。
高校3年生の甲子園のように、「次の機会にがんばればいい」とはいかないからこそ、やり抜こうとする。
必ず終わりがあって、それ以上の泥沼はないと思うがゆえに、それだけ無理をしてしまう。
という構造です。
この「人生で1度きりの機会、必ず終わりがある」という構造自体は、高校受験も同様です。しかし高校受験では、一般的な中学受験と違って
難関私立を除き、試験内容が学校の授業の延長線上
拘束時間の長い塾が必須ではない
保護者の伴走が不要
ですから、そもそも子どもや家庭に過度な負荷がかかるのを回避しやすくなっています。
(高校進学率が99%に近づいている昨今、「そもそも高校受験はやめられないじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、だからこそ高校受験は99%の子のための仕組みになっているとも言えます。)
選択と対話の難しさ
いかがでしたでしょうか。ぜひ一度、想像してみてください。
本人が希望する学校に合格できるようにと、心を鬼にして子どもに勉強させてきた。
小6の夏休み、(親から見れば、いろいろ不足はあったものの)、ハードな夏期講習を休まずこなし、本人としては、相当がんばっていたと思う。
でも小6の秋になって、子どもがプレッシャーから腹痛を起こすようになった。
「身体が悲鳴をあげているのだから、しばらく塾は休みなさい」と言っても、子どもは休もうとしない。
こんなとき、皆さんだったら、どうしますか?
中学受験を継続すべきか、やめるべきか。
どちらが正解かは、誰にもわかりません。
続けるとして、どのように続けるのか。やめるとして、どんな意味づけをするのか。
そこには様々な検討の余地があります。
人生の選択と同じで、「選んだ道を正解にする」しかないからこそ、家庭内での対話が重要になってきます。
その対話というのがまた、一筋縄ではいかない曲者なのですが、それについては、以下の記事をご覧ください。
中学受験の落とし穴
中学受験はやってみないとわからない
巷では、そこかしこで「こんな子は中学受験向き」と言われます。
実際、中学受験は、子どもや家庭によって「合う/合わない」「良い経験になる/ならない」が大きく分かれます。
しかし、結局のところ、「その子どもや家庭が中学受験向きかどうか」というのは、受験が終わってみないとわからないものです。あくまで結果論にすぎません。
というのも、中学受験生活の様相を左右するのは以下のような事柄ですが、これらは実際に中学受験生活を一定期間・一定強度でやってみて、ようやくわかってくることだからです。
中学受験が自分ごとになるか
勉強に主体的に取り組むことができるか
(その時点での)学力ポテンシャル
塾が合うか、塾を好きになれるか
目標に向かって努力したり、自分の弱点に向き合ったりできるか
保護者の精神安定度・成熟度・忍耐力
ものによっては、
本番直前になってようやくエンジンがかかり、自ら勉強に取り組むようになった
うちの子は最後までやる気モードになることはなかった
など、最後の最後までどうなるかわからないものもあります。
多くの子にとって、中学受験は人生最大の試練になりますから、中学受験という取り組み自体が「その子がその時点で持っている資質や性格を測るテスト」になります(それをサポートする保護者の資質についても同様です)。
また、小学生の子どもは成長・発達まっさかりですから、中学受験勉強を始める小3や小4のタイミングで「うちの子は今こうだから、受験する12歳の頃には、こうなっているはず」と予想しても、当てになりません。
なのに、やめづらくなる
やってみないとわからないとなると、興味がある家庭は、まずやってみるしかないということになります。
すると当然、結果的に合わなかったという家庭も一定数出てきます。
ところが、合う/合わないがはっきりするまで取り組んでいる間に、受験のサンクコスト(投じたお金・時間・労力)が大きくなるので、合わないとわかった頃には「今やめたら報われない」という気持ちが芽生えています。
つまり、「一定やってみないとわからないからこそ、やめづらくなる」のですが、それは見方を変えれば「やってみないとわからないのに、やめづらくなる」という落とし穴でもあるのです。
「やってみて受かればラッキー」というほど甘くない
中学受験を始めるときには、
新小4(小3の2月)からカリキュラムが始まってしまう。小5にあがってから受験したいとなっても遅い。
(エリアや塾の校舎によっては)早めに入塾しておかないと枠が埋まってしまう。
など、急かされる要素もあり、「とりあえず選択肢を確保しておこう」「始めてしまえば、配偶者や子どももその気になってくれるだろう」と、気軽にバタバタっと受験に駆け込むご家庭も少なくありません。
しかし、後々になって、中学受験をやめることを考える状況になったときの重みは、ご紹介してきたとおり、その比ではありません。
「試しにやってみて、合わなければやめればいい。受かればラッキー」という覚悟で臨めるほど甘いものではないということが、お伝えできたなら幸いです。
中学受験をより良いものにするヒント
逆に、「何が何でも中高一貫校」というわけではない家庭にとっては、このやめづらさの問題さえクリアできれば、中学受験のリスクとされるもののうち、
親子関係が悪化する
子どもがストレスを抱える
といったものは気にしなくてよくなります。こういった状況も、深刻化する前にストップをかけることができれば、影響は限定的で済むためです。
これはまた、中学受験のあり方をより良いものにしていくヒントでもあるように感じています。
最後に
前編と後編にわたり、1度始めた中学受験がやめづらくなる理由について、お伝えしてきました。
要点を絞ってお伝えすれば、
ハードな受験に多大なお金・時間・労力を投じることで、サンクコスト効果が働き、「今やめたら報われない」心理になる。それは子どもも例外ではない。
家族で臨むプロジェクトだからこそ、受験の方針決めにあたっては、家族間の様々な思い・感情が絡み合う。いざ受験が「思い描いていたのと違う進展になった」ときの舵取りは、始めるときよりも複雑で難易度の高いものになる。
と、たったこれだけのことなのですが、その状況について、少しでも具体的なイメージを持っていただくことができたなら、嬉しいです。
なお、この記事では、保護者目線でのやめづらさについて書いてきました。そこに登場するお子さんの姿・声も、インタビューさせていただいた保護者の方の視点から見えたものです。
ぜひ、「お子さんの真意は、その通りなのか」についても、考えてみていただけたら幸いです。
「やめづらさ」を克服するための対策については、記事をアップしましたら、以下にリンクを貼らせていただきます。
付録:参考になる書籍・サイト
考え方の1つとして、どうぞ。
▼『中学受験必笑法』おおたとしまさ(中公新書ラクレ)
中学受験に「必勝法」はないが「必笑法」ならある、というコンセプトの、「やってよかった」受験にするための中学受験指南書。
▼『中学受験で失敗するパターン』中学受験を考える塾長のブログ
中学受験の「撤退」に関する考え方について、書かれています。
▼きょうこ先生の「教育何でも相談室」
中学受験の継続や方針に関する相談の実例。