補助アプリとコロナ?
もうだいぶ前の話なのですが、とある視覚障害者向け補助アプリが新たな取組についてのお知らせを事前通知してきました。
視覚障害者が見えづらくて困っているのを、ボランティアの方のスマホと結びつけることで支援ができるお手伝いをするアプリです。内容的には支援を受ける視覚障害者と支援するボランティアユーザーとの支援中のビデオのやり取りを、AIトレーニングに利用しますという内容でした。
皆さんはどう思いますか?
言い分はある
もちろん運営者の言い分やその目的はしっかり書かれています。ツッコミが来そうですが、長い英語の文章だったので、それこそGoogleの「Gemini AI」先生に翻訳&要約をしてもらいました。これやって思いましたが、長くて読む気にならないような「利用規約」なんかも、まずはAIで要約してみるのもこれからの便利な使い方になりそうですね。
要約された結果を、さらにえんじろうが整理しました。
運営者がやりたいこと
あくまで翻訳後の時点での話ですが、そこには「ビデオ通話」のやり取りをAI管理会社に受け渡すことが記されています。
そしてこれを提供することで、このアプリ上で行われている本当に善意の「視覚障害で困っている人を、ビデオ通話を介して目の代わりとなることで助ける」という目的と方法ごとAI学習のモデルケースに含めてゆきたいという目的が書かれていました。
AIにこういった取り組みがあることを教える(見せる?)ことで、間違って障害者への偏見や差別につながるような行動を取りにくくするための一環だと説明されていました。
今後は?
期日になったらアプリユーザーは自動的にビデオ通話の内容をAIの管理会社に送ることを許可する設定になるようです。
ところでオプトアウトって何だって思いましたが、設定を任意で拒否できるよって意味のようです。しゃれた言い回しをされると困りますね。とりあえず全員情報提供許可の状態になることがちゃんと告げられていることは大切ですね。
判断は自分で
さて、ここまでの情報であなたが利用者だったら、そのまま使い続けますか?それとも拒否設定をしてこれまで通りの状態で使いますか?
実はえんじろうは、登録こそしたもののまだ自分には必要ない(本当は知りたさよりもビデオ通話に対する緊張のほうがでかい)ということで、アプリはアンインストールしています。
ただ会員ではあるので、メールでのお知らせが届いたということです。
思い切り前向きに
なんと素晴らしいことでしょうか?私達の善意のやりとりが、そのやりとりを見せるだけでAIを善なる判断に近づけさせるかも知れないのです。今まで通りこのアプリを使い続けるだけで、そのやりとりが見習う子供を育てるかのようにAIを育てることになるかも知れない。
いずれはそうやって育ったAIが、人の代わりに善意のビデオ通話支援能力を身に着けてくれるかも知れません。そうなったら、たまたま支援者が全員忙しくて誰も見つからなかったようなときでも、AIが出てきて「それでは私がお手伝いします」という日が来るのかも。そしてそのAIの説明がとても的確になっているかも知れないのです。
ひとりひとりが参加するだけで、同時にたくさんの人を支援できる可能性を持つシステムを育て上げる手伝いになる、かも知れない。そうなったら素晴らしい。
あなたの参加が、たくさんの視覚障害者の仲間を助けることに繋がるかも。
思い切り煽る
よく考えてください。あなたと支援者とのやり取りが、明日から標準で第3者機関に横流しされるのですよ。
やり取りの中でうっかり固有名詞なんて出して良いものでしょうか?ビデオ通話も音声通話であっても、人が自然に話す言葉の中に常に個人情報を入れずに話すなんて、至難の業だと思いませんか?それにそもそも、声には声紋という指紋のように個人を特定できる要素が最初から含まれているのです。これで個人情報は利用しませんなんて言えるのですか?
あなたはそんな得体のしれない実験にその実を捧げるのですか?確かに1人の情報なんて大したものではありません。ただ大多数から得た情報は力を持つことになるのです。民意を決めてきたのが数であるのと同じように。我々は知らぬ間にとんでもない物を作り上げてしまう可能性があるのです。この情報提供がその一環にならないとは言い切れないのですよ。
それでもあなたは、提供しますか?
えんじろうならば
判らないことがはっきりしない間は提供しないかも。正直えんじろうがこのアプリをよく使う人間だったら、この内容だけで同意するのはちょっとと思ってしまいます。
翻訳で消えてしまったのか判らないのですが、まずそのAIに内容を届けるための第3者機関がどこなのかが判らない。
それからビデオ通話の内容から個人情報を排除することは、どこまで可能なのかが不透明。ボランティアの人が「〇〇さんもうちょっと左を写して」なんて言った際に、〇〇だけを抜いて提出するのか?でもそれではAIはそこに名前が入るモデルだということが判るのか?そもそも声紋を含む音声データのまま溜め込むのか、文字起こししたものを溜め込むのかも判らない。
そもそも提供データがちゃんとAIモデルとして役立つものになるかどうか、もうちょっと検証しなくていいのって思っちゃいます。十分やったのかな?やっぱりせめてどこのどのAIに提供されるのかは判らないと気味が悪いです。
コロナとワクチン
そして久々にコロナの話題ですが、こちらも理由も判らないうちから色々なことをやり始めてしまった典型例だと思います。
憶測から生じた大漁の可能性を前提に、色々なものを組み上げて、それが正しいかどうかも確かめる時間もなく実施されてきたものを大量に含んでいると感じています。今では「今更引き下がれるか」みたいな雰囲気も感じますし。
良いか悪いか?
でもそれが良い悪いではないのです。もっと手前の問題。今でもそれらが良い悪いの判断ができないくらい情報が錯綜するばかりで、実際確定している情報は足りていないのではないかと感じるのです。
ワクチンが開発者の描いた通りのシナリオで動いているのかどうかすら、どこまで確かめられているのか判らない。数が足りない統計結果を見て「きっとこういうわけに違いない」と言っているだけに感じます。
そしてこれは「ワクチンに効果がない」と言いたいわけでもないのです。だって「効果がない照明」もできていないのだから。
コロナが騒がれたときもそうでした。本当に判っている情報と、おそらくこうだろうという情報が、同じ箱に入れられてばらまかれたような印象でした。
考えなしに箱を開けて受け取ると、間違いか正しいか判らないままパッケージには正しいと書かれているだけの情報も受け取ってしまう。そして新しいおもちゃでも手に入れたかのようにみんなに伝えたくなる。そこに正義感や名声や利益が絡みだすと後にも退けなくなる。
罪だと思う
過激な言い方をします。本当に判っているかを確かめもせずに発信することは、ある意味罪だと思う。
はい当然、えんじろうのこの文章だってそうです。だからこれも単なる1人の人間のたわごとであることをちゃんと伝えるべきだと思うし、読む人もそれを頭において読んでいただきたいと思ってます。
間もなくリリースされるワクチンには、驚きの新機能が追加されるようですよ。僕が言うと偏った味方になるでしょうから、気になる方は色んなところで情報を集めることをお勧めします。
とにかく自分は利口だから、読んだだけで内容は理解できるのだとは思わない方が良い。疑いフィルターは常に通すほうが良いと思うのです。
どうしたら良い?
ああでもないこうでもないといいおって!それじゃあどうしたら良いってんだ?この野郎!
っと、自分でも書いてて言いたくなってきました(笑)
前半の話のように、すごく前向きに伝えることも恐怖心を煽りまくる事もできるのが情報。それはその人がどう感じているかという真実で変わるもの。
だからとりあえずそのまま飲み込まず、これはその人が思ったというだけの部分だろうなというところを排除し、更にどこからその話を聞いたのかも確認しそれが信用できそうなら、ようやく信じてみるくらいがちょうどよいのではないかと思ってます。
保留こそ答え
でも一番安全なのは、自分が「判らない」と思っているうちはどれほど周りが煽ってこようと動かないほうが良いと思うんですよね。
ほら、危険と隣り合わせの動物たちも、判断できないときには固まると言うじゃないですか?それは判断を急ぎ起こした行動が、たいていろくなものにならないことを知っているからではないでしょうか?
というわけで、相変わらず「煽り」が大嫌いなえんじろうでした。
それが証拠に、えんじろうはこれまで一度も「私のライブに来ないと大変なことになりますよ」などといったことはありませんからね。
(・・・普通そんな事言うアーティストはいない)