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キレイごとではどうにもならない!悲しいものは悲しいのです!!

いつもやんちゃばかりしている一休和尚が、珍しく禅僧らしくお経をあげています。しかも涙を流しながら唱えています。

そんな師匠の一休和尚の姿を見て、弟子たちも驚きを隠せません。
「誰か大切な人が亡くなったんだろう。一休和尚はきっと一人でお葬式をしているんだろう」

弟子たちも本堂に入って一休和尚と一緒にお経を上げようとしましたが、棺桶が見当たりません。
「お前たちも来てくれたか。顔だけでも見てあげてくれ」
「あれこれはただの雀じゃないですか」
「そうだ、昨日まで元気だったのに今朝起きたら亡くなっていた」
「まさに諸行無常です。一休和尚、でも禅僧たるもの、いくら悲しいとは言え、そんなに大泣きするべきしなくてもよいのでは」
そう進言した弟子の鼻を強くつまみあげました。
「痛たたたたた・・・・」
「黙れ、弟子よ、今、諸行無常と言ったか。釈迦は諸法無我とも言っておるぞ。諸法無我、全てのものに実体などないなら、お前の実体もないはずじゃ。実体がないのに何で痛いんじゃ。よいか、諸法無我でも痛いもの痛いんだ。悲しいものは悲しいのじゃ。今。私にとっての真実は可愛いい雀が死、そして悲しいという気持ちだけじゃ。だからからわしは泣いておるのだ。お前にとってはたかがスズメかもしれんが、わしには大好きで大切な雀じゃ。だから悲しいのだ!」

その後、一休和尚はその雀に「尊林」という戒名をつけました。しかし、一休和尚が書いた「尊林」という字、ちょっとおかしい字になっています。「尊」の上のところが逆になっていて「ハ」となっています。これは一休和尚の優しさで、見るとあたかも亡くなった雀が仲間の雀と対面して楽しく遊んでいる様に見えます。

畠山記念館コレクションより

この逸話は『狂雲集』に詳しく載っています。
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