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今はまだその時ではない。辛抱強く待とう!

一休さんと言えば、「とんち話」が有名です。しかし、『一休和尚年譜』を読んでみると、一休さんのとんち話は、ほとんどデタラメであることがわかります。

では一休和尚はどんな少年だったのでしょうか。
少年の頃の一休さんの周りには、家柄の良い僧侶たちがいっぱいました。むしろ家柄が良くないとなかなか僧侶にはなれませんでした。しかし少年一休は、「仏の前では皆平等なのに今の出家の世界は全く違っている」と強く不信感を抱きました。

少年一休はその不信感を漢詩に残しています。

犀 牛 扇 子 与 誰 人 行 者 盧 公 来 作 賓 
姓 名 議 論 法 堂 上 恰 似 百 官 朝 紫 宸

犀牛の扇子、誰人にか与えん、行者盧公、来って賓となる。
姓名を議論す、法堂の上、恰も百官の紫宸に朝するに似たり。

簡単に言うと、「仏性は誰もが平等に持っているのに、身分を問題にするのはおかしいではないか。そんなのは役人出世の世界の話だ」という意味です。

この漢詩を見た一休の師匠は、一休にこう言いました。
「一休よ、あと30年待て。今の仏教会の腐敗は今のお前一人では立て直せん。とにかくチャンスを待つのだ」

少年一休は、師匠に言う通り耐えました。そして、大人になったら身分や性別年齢などの隔たりなく平等に接しました。

一休さんの時代から何百年経っても、私たちが生きる世界は変わりませんね。身分、家柄、ステータス、経済力などでつい人を評価してしまいます。色眼鏡を外して、何の先入観なく、人を見るように心がけたいものです。そうでないと、一休さんから「喝!(かーっつ!)と、怖い声が飛んできそうです。



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