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自分らしく生きる方法

周りの目と常識にとらわれて、なかなか自分らしく生きることができない人は多いと思います。そんな人に、臨済宗の禅僧である一休さんの逸話を紹介します。


「観自在菩薩 行深般若波羅多時 照見・・・・」
読経を終えた弟子たちはこんな心情でした。
「お経はありがたいなぁ。聞いてるだけで心が洗われる気持ちになるなあ」

そこに一休和尚が来ました。
「みんな、ここにいたか。ちょうどよかった。見せたいものがあるんじゃ」

とても臭くて、弟子たちはドン引きしていました。
「なんですか!!!これは!!」

「これはわしの糞じゃ。あまりにもいい糞なのでみんなに見せたかったのだ。どうだ、見事だろう。はははは」

「和尚様、そんなものをお経の上に置いて罰が当たります。ありがたいお経に何てことを!!」

「何をバカなことを言っておる!お前たちは無縄自縛(むじょうじばく)になっておる!お前たちはありもしない縄で自分たちを自ら縛って苦しんでおる。私たちの大先輩である臨済和尚は、誰もがありがたがるお経はトイレットペーパーと同じだ、と。よいか、世間や常識など、ありもしない縄で縛られ人間は自らを苦しめているのだ。禅はそんな縛りから自分を解放できるものじゃ。喝!!!!!」

一休はそう言って何のためらいもないまま自分のお尻をお経で拭きました。


禅は、何ものにも縛られない、という教えです。お経がありがたいと思った時点で何かに縛られているというこです。犬は何のためらいもなくお地蔵さんにおしっこかけます。犬は何にもとらわれていません。もしかすると人間は犬よりも劣っているのかもしれません。

一休の糞にはこんな禅の肝要の意味が込められていました。今回紹介する逸話は、『清庵語録』にある話を分かりやすくするために少しアレンジしました。皆さんは、「無縄自縛」になっていないですか?


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