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塩崎 沙和
2020年1月5日 19:52
前回のあらすじ学校で作品作ってるだけじゃダメだと気付き頭打ちになり悩んでいた私が、物を作って売るという学校の外の世界への新しい活路を見つけた!これは創作意欲において、かなりの希望でした。「・・・でも、同じものを何個も作るの、飽きてくるな。」そう、なんと私は同じ作業を繰り返すのが苦手だったのでした。笑もっと沢山作る方法を考え工場を探そうと思い、タウンページを開きます。
2019年12月24日 08:40
(前回のあらすじ)「学校の授業だけこなしていても、卒業後、社会で通用しないよな、これ…」と思い、学校の内部で比較してるんじゃなくて、学校の外の世界と自分から接点を作っていかなきゃいずれまた何もやってこなかった自分に愕然とする!学生という恵まれたこの環境は、卒業と同時に泥舟になって沈むと気付き、危機感を持ちました。学校の外の世界にいる大人と接点を作ろう!と外部講師を当たっ
2019年12月20日 20:03
専門学校2年のある日、担任の先生が登校拒否(?)で学校に来なくなってしまいました。しっかりしていて真面目な人で、尊敬していた先生だったので驚きました。あまりに突然だったので、学校も対応ができない。代行の先生も人手が足りず対策も何もなく、「今日は自習です。」と、朝の教室で毎日同じ発表を聞きました。数日だけの出来事かと思いきや、これが1週間、2週間と続いてくるわけです。す
2019年12月15日 15:25
(前回までのあらすじ)フリーターを1年挟んだ為、みんなより1年遅れて入学した私は、専門の1年生の年にちょうど二十歳になりました。その時、二十歳のお祝いにとおばあちゃんが20万円をお金をくれたのですが、あまりの額の大きさに、そのお金の意味について真剣に考えてしまいます。真面目です。笑もちろん普通にオシャレしたり欲しいものは沢山あって、雑誌やショップの値札を見てはお金が欲しい
2019年12月13日 09:12
前回のあらすじ4月、晴れて念願の学生になれました。専門学校のグラフィックデザイン科です。とはいえ1年目はひたすらアナログな基礎。デッサンや色や造形の勉強です。さて、デザインの専門学校って、美大の受験に落ちて入ってきた人や、高校時代美術部だった人が集まる場所でもあります。そんな人たちの中、私はというと、美術やデザインの経験もなく、絵を描いていたのも絵日記の中の落書きレベル。
2019年12月8日 18:13
(前回のあらすじ)高校も3年になると、いよいよ進路でクラスがソワソワします。大学どこ行く?将来どうする?やりたいこときまってるから専門学校?はたまた就職で稼ぐ?私は落書きとオシャレが好きだから、デザイン系の専門かなーと思って、夏休みは学校見学を何校も回っていました。そして、とある専門学校を見ていた時、他にも見学に来ていた高校生同士が、「専門どこにする?」「まだ決
2019年12月6日 20:39
(前回のあらすじ)ホワイトブリーチをした頭で登校し朝から生活指導の先生と校門で揉めましたが、どうにか無事に1日の授業が終わり、放課後、その足で原宿のラフォーレに行きました。目指すはウィッグ屋さん。そう、カツラです。何個も試着して、焦げ茶色のコロンとしたレトロマダムなウィッグを買いました。そして翌朝、学校の校門。生活指導の先生が私に当然目を止めます。先生が私の頭を見て言葉
2019年12月2日 17:45
(前回までのあらすじ)髪を好きに染めてみたい。でもくらい髪の色だと、自分でピンクとかに染めても直射日光くらいの光に当たらないとあまり色がわからなかった。一度、地毛の暗い色を抜かないと、カラーを入れても見えない。じゃあ、明るくブリーチしてみるか。やるからには思い切り。金髪くらいの色の人はもういるし、いっそ白なら誰ともかぶらない。というわけで、髪をベリーショートに切って
2019年11月30日 11:56
(前回のあらすじ)私、中学の頃は冴えないメガネのいわゆるオタクでした。今ほどオタクに地位も市民権もなかった当時、私はクラスの序列でも下の方でした。いつも狙ってないのに浮いてしまって、変な人と失笑されてしまう私の夢は、「普通になること」でした。できるだけ周りに馴染んで、目立たなくなることが憧れでした。そんな変な自分を返上したくて、生まれ変わりたくて、私を知らない人ばかり
2019年11月28日 22:01
自分の記憶障害を隠すため、15歳の頃から書き始めた絵日記。過去22年22冊の絵日記を、時々アップしていこうと思います。はじめまして。塩崎 沙和と申します。普段は仕事で大人に絵日記を教えていますが、先生である私自身の絵日記は特に人に見せる機会もないので、過去を書いたあれこれを、こちらで公開していこうかと思います。他愛もない1人の人間の生きた記録ですが、面白がって頂けたら