とある工学女子大生が森博嗣さんの『喜嶋先生の静かな世界』を読んで気付いた勉強と研究の違い
どうも、こんにちは🌸
今日は最近読んだ、
森博嗣さんの
『喜嶋先生の静かな世界』を読んで気づいた
「勉強」と「研究」の違いについて、
現役で大学にて「研究」をしている私が、
お話させて頂きます。
とは言っても決して堅苦しいものではなく、
『何の為に勉強するんだろう??』と疑問に思っていた幼少期の私の悩みを解決してくれるものだったので、ぜひみなさんとも共有したいと思ったのです。
はじめに
この本のあらすじはここでは紹介しませんので、類似の記事を参考に見てくださると幸いです。
さっそくお話に入りますね。
勉強と研究の違いは、一言で言えば『答えがあるか、ないか』。
そんな程度の説明なら聞いたことがあるよと思うかもしれませんが、私もこの程度の説明なら聞いたことがあります。
答えがあるかどうかというのは置いといて、
多くの学生が小学校から大学3年生まで「勉強」、さらに詳しく言えば「学問」を学びます。
「学問」は答えがある(前例として誰かが原理や定理を発見もしくは研究している)ので、私たちはその「答え」を知る(テストがある場合は『覚える』)だけで良いのです。
国語の平仮名や漢字、文の構成、数学の計算の方法はもちろん、理科ででてくる自然の原理や、社会の歴史なんかはそうでしょう。私たちが発明したり、発案した訳ではないですね。
一方で「研究」はどうでしょうか。
私の大学の研究は『水環境について』の研究なのですが、だれも調査していない河川のあれこれを、機械や装置を使って調査します。
この『調査をする』という行為は、未だかつて誰も行っていない河川で調査するので『研究』です。
しかし、機械や装置は誰かが発明したものなので、機械や装置の使い方に関しては、『研究』とはいえ
『勉強』しなければなりません。
ちょっと難しいですね。
つまり、誰もしていない(答えのない)問題を解決することが『研究』なのです。
研究室の教授や先輩は、揃って『論文を読め』といいます。
大学で研究室に行った時には、
まだ真意は分からなかったのですが、
つい最近気づいたことがあります。
それは
『論文を読む』=「研究をする」
ではないことです。
では『論文を読む』とは一体どういう真意があるのでしょうか。
ずばり
『論文を読む』
=自分がどんな研究をすべきか分かる
ということなのです。
どういうことかというと、
『論文』は過去の誰かが『ある研究』をした記録のような役割を果たします。
つまり『論文』を読むことで「誰が」「何を」「どこまで」研究したのか分かるということですね。
「研究」は誰もしていないことを行い、初めて「研究」と呼べるので、
研究を行う前に、自分の研究に限りなく近い『論文』を読み、誰もしていないことを確認する必要があるのです。
具体的には『誰もしていない』ことを確認するので、自分がしたい研究が見つかってはダメですけどね(笑)
例にたとえると、「卵と牛乳と小麦粉を混ぜて焼いたらホットケーキになる」ことは分かっている。(誰かがすでにそれらを混ぜた。)
そこで、『卵と牛乳と白玉粉を混ぜて焼いたらどうなるのだろうか?』(誰もまだ混ぜた人はいない)
ここで、『卵と牛乳と白玉粉を混ぜて焼いてみる』が研究にあたります。だから、論文を読んで混ぜた人がいないか事前に一生懸命調べる必要があります。
しかもこの場合、卵、牛乳、白玉粉とは何か?
また、混ぜるとは何か?どんな器具を使うのか?
焼くとは何か?温度はどのくらいか?というのは知ってないと研究は始まりません。
そうなんです。
気づいた人もいるかもしれませんが、この事前に知る必要がある『材料』や『器具』や『温度』や『調理方法』が、
研究でいう『国語』や『理科』などの
「勉強」にあたるのです。
なぜ私たちが『研究』を行う前に『勉強』をする必要があるか気づきましたか?
この『勉強』と『研究』の違いを、「喜嶋先生の静かな世界」を読んで気づくことができたのです。
このように『勉強』と『研究』の話が理解できれば、将来『研究』するかもしれない私たちは、
『勉強』の必要性も理解できるはずです。
就職するから『研究』しないよ!
って方も、社会に出るなら勉強していて損はありません。
社会は想像以上に複雑です。
日頃、買い物ができるのも『国語』や『数学』の勉強のおかげですし、例えば企業がビジネスとして成功できるのは『経済学』や『会計学』、『マーケティング学』などが関係しているのです。
これらの活用の為には、やはり
「勉強」が有利に働くことが多いです。
(あまりここでは触れることはできませんが)
この記事を読んで、『勉強』をすることの大切さに気づいて頂ければ幸いです。
そして機会があればぜひ、森博嗣さんの『喜嶋先生の静かな世界』を読んでみてくださいね📕