女は英語でよみがえる
ちょっと前の話だし、本人にも書いていいと言われたので、知り合いのマリちゃんの話を書こうと思う。
マリちゃん(仮名)とは同じ高校に通っていたのだが、彼女は文系クラス、私は理系クラスだったのでそんなに交流はなかった。共通の友達がいたため顔見知りだったが特に仲が良かったわけでもなく、廊下ですれ違ったら手を振る程度。卒業後は東京の私立大学に進学したと聞いた。
そんなマリちゃんだが、高校卒業から10年以上経って再会を果たした。それは30歳の夏、高校時代に仲が良かったゆかりんが出張で東京に来た時だった。
ある日突然ゆかりんからメールがあり、2週間後に東京に来るとのこと。既に東京在住の同窓生には連絡が回っており、ゆかりん上京翌日の土曜日に新宿の居酒屋でミニ同窓会を開く手はずが整っていた。
私にはもう子供がいたのだが、パパさんが世話をしてくれると言うので全面的に任せ、3年ぶりくらいに居酒屋に出かけた。
居酒屋で席に案内されると…そこにマリちゃんがいた。高校時代の三つ編みからイメチェンし、ショートヘアで白いうなじをすっきりと出したマリちゃんは光り輝いていた。先に来ていた同級生に聞くと、マリちゃんは大手企業に就職し、同期の女性の中では一番の出世頭だという。「おお、キャリアウーマン!」とやや怖気づきながらマリちゃんの仕立ての良い白いスーツを遠くから眺めていると、「あ、あきちゃん!来てたの~。」と昔と変わらず、笑顔で手を振ってくれた。
マリちゃんは同窓会の幹事の一人で、出席者の確認をしたり、飲み物の注文をしたり、追加のお皿をもらったりと忙しそうにしていた。スーツできびきび動くマリちゃんの姿を「私にもこんな人生がありえたのかな~。」と不思議な気持ちで眺めていた。私は大学卒業後すぐに結婚し、子育て真っ最中だった。さすがに同窓会にはスカートをはいて来たが、Tシャツとジーンズ以外の服を着たのは久しぶりだった。
「あ~、お腹すいた!」と言いながらマリちゃんが隣に来て座った。
「あきちゃんは今何してるの~?」
お皿に残っているポテトフライやピザの切れ端を口一杯に頬張りながら、マリちゃんが聞いた。
「私?子供が生まれてママやってるよ~。」
「働いてないの?」
「今のところはね。そのうち、ちゃんと働きたいとは思ってるけど。」
「ふ~ん。」
もぐもぐもぐ。
「結婚っていい?」
「そうね~、私は楽しいかな。」
「そう…。」
もぐもぐもぐ。
後で聞いたのだが、ちょうどその頃マリちゃんは大学時代から付き合っている、かなり年上の彼氏にプロポーズされたばかりだった。また、旧態依然とした会社の中で女性幹部候補生として、嫉妬ややっかみを向けられながら働き続けることにも疲れ始めており、「結婚」を本気で考え出したところだったらしい。
マリちゃんが会社を辞めて結婚したことを知ったのは、翌年の年賀状でだった。
その同窓会でメアドと住所を交換して以来、マリちゃんから年賀状が届くようになった。5年目に届いた年賀状には、かわいらしい赤ちゃんの写真が載っていた。
その年賀状から約半年後、マリちゃんからほぼ初めてのメールが届いた。私だけに送ったものではなく、同窓会で会った、子どもがいる人全員に送っていた。
「英語育児ってどう思いますか?」と、そのメールには書いてあった。
子供をバイリンガルに育てたいんだけど、有名なネズミのキャラクターの英語教材はすごく高い。でも、本当に子供のためになるんだったら無理をしてでも買ってあげたい…。
メールからは、何事にも全力投球のマリちゃんの、思いつめた感じがひしひしと伝わってきた。
あ、ちょっとやばいかも。瞬間的にそう思った。初めての土地で、初めての専業主婦で、初めての子育て。何年か前の自分と同じだ。
「私、ネズミの英語教材使ってるよ。ちょっと話そうよ〜。」と、メールにSkypeのIDを書いて返信した。すると、すぐにSkype通話がかかってきた。
「もしもし、あきちゃん?」
マリちゃんだ。
「ネズミの教材使ってるの?どう?やっぱり全然違う?全部持ってるの?」
すごい勢いで聞いてくる。
「えっとね、ウチはね、中古屋さんでCDと絵本と使い方手引書だけ買って来た。高いから中古でいいと思って。全部一度に買う必要もないと思うよ。」
「中古は嫌なのよ。高いけど、全部ちゃんと使えば法外な値段じゃないと思うし。」
突然、強い調子でマリちゃんが反論してきた。
思いがけない反応に驚きながらも、私は先輩ママとして説得を試みる。
「でも子供ってすぐ育つし、同じ赤ちゃんって言っても一人ひとり個性があるから兄弟が生まれてもその教材が全員に合うとも限らないし…。」
「兄弟はもう生まれないかもしれないの…。」
マリちゃんがぽつりと言った。
実は子供が生まれるまで3回流産したこと、もう自分は子供を産むことはできないと思って絶望していたこと、でも4回目の妊娠はどうにか臨月まで持ちこたえ、赤ちゃんが無事に生まれてきてくれたこと、初めてわが子を抱いた12歳年上の旦那さんがこの子が大学を卒業するまでは引退できないなとぼそっと言ったこと…。
マリちゃんはこの6年の間に、精神的にも身体的にもつらい思いを一杯してきたんだ。だからこそ、やっと生まれてきた赤ちゃんに自分ができるすべてのことをしたいんだ。そう思った。
「えっとね、ウチの場合はね、私が英語を勉強してるの。そして、子供と一緒にCDを聞きながら教材の絵本を見たりしてる。」
「あきちゃんが英語の勉強をしてるの…?」
「そう。だって、親が英語できないとなかなか英語育児って難しいよ。ネズミの英語教材はいいんだけど、すごく難しい。本気で準備してからじゃないと教えられないよ~。」
「そうなんだ…。」
「だから、私が最近は真剣に英語の勉強やり始めたんだ。あのさ~、何年か前に『女は英語でよみがえる』って本があったの知らない?」
「知らない…。」
『女は英語でよみがえる』は1999年6月に はまの出版からオリジナル版が、また2008年に12月にアルクから新装改訂版が出版された、安井京子さんの本である。
内容は英語を使った職業の説明、実際にそれぞれの職業に就いた女性の体験談、そして英語の勉強の仕方、と多岐にわたる。
残念ながら現在では古すぎて使えない情報が多くなってしまったが、出版当時はバブル崩壊後の「失われた20年」まっただ中。女性のみならず男性にとっても再就職が難しい時期に、「英語」という専門的なスキルを武器にして颯爽と社会に復帰する方法を詳細に述べたこの本は、キャッチーなタイトルと相まってかなり話題になった。
「女は英語でよみがえる、かあ…。」
この言葉は、マリちゃんに強烈な印象を与えたようだった。
それからもマリちゃんの年賀状は毎年来たが、メールやSkypeは一度もなかった。年賀状の赤ちゃんが毎年大きくなり、ある年もう一人赤ちゃんが増え、マリちゃんが二人の子供のママになったことが分かった。マリちゃんも、白髪が目立ち始めた旦那様も、嬉しそうに笑っていた。
10枚目の年賀状が来たとき、いつもの微笑ましい家族写真の横に、マリちゃんの綺麗な字で「英検1級取得しました。」と書いてあった。えっ!マリちゃん英語勉強してたんだ!ちょっと嬉しかった。
翌年の年賀状には「全国通訳案内士試験合格しました。」と書いてあった。その翌年には、「TOEIC講座の講師として再就職が決まりました。」と。
そして去年の春、年賀状とは別のハガキが届いた。
「英語教育のコンサル会社を設立しました。」なんと、マリちゃんは起業して経営者になっていた。
これは大変、お祝いしなきゃ、と十数年前のミニ同窓会に集まった、東京にいるはずの同窓生に連絡をした。みんな40代半ばになっており、結婚した人、まだ独身の人、離婚した人、とそれぞれ彩り豊かな人生を歩んでいたが、マリちゃんのために開業パーティを開くことに賛同してくれた。開業パーティも十数年前と同じ新宿になった。残念ながら同窓会をした居酒屋はなくなっていたが、近くのおしゃれなイタリアンレストランを貸し切った。
今回は私が幹事の一人となった。なんだかんだ言って25人もの同窓生が集まり、和気あいあいとパーティは進んだ。
パーティも終盤に差し掛かり、ちょっとぼーっとしていたら、マリちゃんが隣に立っていた。
「あきちゃん、ありがとう。」
「ううん、今日は私は何もしてないよ。会場の予約とかは全部山本くんがやってくれたし。」
「違うよ~。子供が生まれた後、Skypeで話をしたこと覚えてる?」
「うん、覚えてる。何を話したかは覚えてないけどね。」
「あの時、あきちゃんは『女は英語でよみがえる』って言ったのよ。」
「あ~、あの本ね。買ったの?」
「ううん、買わなかった。本屋で立ち読みはしたけど。でも、その言葉がず~っと頭に残ってて、子供に英語を教えるよりも、自分が英語を勉強しなきゃ、って思ったの。」
そうなんだ。そして、マリちゃんは英語でよみがえったんだ。
今でも時々マリちゃんの元気そうな姿をFacebookで見かける。起業した会社がうまくいっているかどうかは、子供さんのバスケの応援とペットの猫たちが中心のFacebookの写真からはわからないけれど、とにかくマリちゃんは毎日イキイキと楽しそうに生活している。
私も今、社内通翻訳者として英語を使って働いている。
確かに、女は英語でよみがえるのだ。
(この記事は実話を元にしたフィクションです。実在の人物、団体などとは無関係です。)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
今回のテーマは、以前Twitterで募集した下記ブログテーマの⑨「女は英語でよみがえる?」です。(なぜか元のツイートが貼れないので、スクショを貼っておきます。)
まだまだ書いていないテーマがあるので、これからも少しずつ書いて行きます。読んでいただけると嬉しいです!
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