英訳版ユング自伝で学ぶ英語『ユング自伝 思い出・夢・思想』
カール・グスタフ・ユング(1875-1961)は、スイスの心理学者。フロイトやアドラーとならんで非常に有名な人です。
ユングの著作のなかでもっとも広く読みつがれているのが彼の自伝(『ユング自伝 思い出・夢・思想』)。
英訳版で読んでみました。この英訳は学問の世界では評判がよくないそうですが、普通に読み進めるだけならとくに問題はないと思います。
文章は難しいです。とくに理論的なパートが超難解。ユングは頭の中で考えたことや精神的な体験についてもみずからの生涯の一断面として語っていくのですが、そのようなパートが文章も内容も難しい。しかも量が多い。
ユングはわれわれ現代人の常識を飛び越え、いわゆるオカルトとカテゴライズされるような領域にもずんずん踏み入っていきます。彼自身がある程度のシックスセンスをもっていた模様。
10年ぐらい前に本書を読もうとしたときは、そのような内容についていけずにギブアップしたのですが、今回はむしろそうした内容が出てくるのが楽しみで読んでいたところがあります。
なんとか読了までこぎつけ、リベンジを果たしました。
以下、本書のプロローグにある最初の文章を読んでみます。
まず全体を日本語に訳すと以下の通り。
「私の人生は、無意識が自己を実現していく物語である。無意識の中にあるすべてのものは外へと表現されることを求め、人格もまた無意識の状態から進化し、自分自身を全体として体験することを望む。私はこの成長の過程を自分の中でたどるために科学の言葉を用いることはできない。なぜなら、私は自分自身を科学的な問題として体験することができないからだ。
私たちが内的な視点でどのように見えるのか、そして人間が「永遠の観点から」どのように見えるのかは、神話を通してのみ表現することができる。神話は科学よりも個別的であり、生命をより正確に表現する。科学は平均値という概念によって動くけれども、それは個々の人生の主観的な多様性を正当に評価するにはあまりに一般的すぎる。
このような理由から、私は今、83歳という年齢で自分の個人的な神話を語ることを決心した。私はただ直接的な言葉で語り、「物語」を語るしかない。その物語が「真実」かどうかは問題ではない。唯一の問いは、私が語るものが私自身の寓話であり、私の真実であるかどうかである。」
それでは1文ずつ順番に解読していきましょう。
「私の人生は、無意識が自己を実現していく物語である。」
the self-realization of the unconsciousを「無意識の自己実現」と訳すと意味があいまいになってしまうので、「無意識が自己を実現していく」と訳したほうがいいでしょう。
・self-realization 自己実現
・unconscious 無意識
「無意識の中にあるすべてのものは外へと表現されることを求め、人格もまた無意識の状態から進化し、自分自身を全体として体験することを望む。」
the personality too desires to evolve out of its unconscious conditions and to experience itself as a wholeのところは、the personality desires to A and to Bという構造になっています。「人格は望む、Aと、Bを」という構造。
で、Aのところにはevolve out of its unconscious conditionsが入り、Bのところにはexperience itself as a wholeが入っているだけ。
「私はこの成長の過程を自分の中でたどるために科学の言葉を用いることはできない。なぜなら、私は自分自身を科学的な問題として体験することができないからだ。」
ここでのforは「なぜなら」という意味。becauseに近い。このforはよく出てきます。
「私たちが内的な視点でどのように見えるのか、そして人間が「永遠の観点から」どのように見えるのかは、神話を通してのみ表現することができる。」
sub specie aeternitatisは「永遠の観点のもとで」という意味のラテン語。哲学者スピノザの著作に使われていることで有名な言い回しです。
永遠とかいうからわかりにくいですが、要するに時間を超越した普遍的な視点に立つということです。
・myth 神話
「神話は科学よりも個別的であり、生命をより正確に表現する。」
andが何と何とつないでいるのかを見分けるのが重要です。andは初歩的なものに見えますが、中級者~上級者でも普通に苦労することが多い。
・Myth is more individual than does science.
・Myth expresses life more precisely than does science.
この2つの文章を連結したのが原文。
なお最後のdoes scienceは倒置によって文章のリズムを整えています。普通に書けばmore precisely than science doesとなるところです。
「科学は平均値という概念によって動くけれども、それは個々の人生の主観的な多様性を正当に評価するにはあまりに一般的すぎる。」
too A to Be構文の登場。「あまりにAだからBできない」の意味。too general to do justice toで、一般的すぎて~を正当に評価できない。
科学のベースには統計学があります。全体をざっと眺めて、大まかな傾向をつかみ、それを説明する理論モデルを考え出し、いくつかあるモデルのうちから現象をもっとも効率的に説明できるモデルをとりあえずの真実としておく…これが科学の方法。
自伝を書くうえでは、そういう巨視的な視点からこぼれ落ちてしまうものを扱わなくてはならないとユングは言っているわけですね。そしてそのための方法がユングいわく神話です。
・do justice to ~を十分に評価する、~を正当に扱う
「このような理由から、私は今、83歳という年齢で自分の個人的な神話を語ることを決心した。」
このit is thatは強調構文。「他のだれでもないこの私が語り始めたのだ」みたいなニュアンスを全面に出そうとしています。とはいえ、日本語に訳すだけならとくに気にしなくても問題なしです。
「私はただ直接的な言葉で語り、「物語を語る」しかない。」
「その物語が「真実」かどうかは問題ではない。」
whether or not構文の登場。「~かどうか」の意味。whether or not A is Bの構造になっています。「AかどうかはBだ」
「唯一の問いは、私が語るものが私自身の寓話であり、私の真実であるかどうかである。」
こちらはor notのついてないwhetherですが意味は同じ。
・fable 寓話