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COP28で注目される英語表現 — 国際交渉にみる言葉選びの難しさ

言葉を使ってやり取りをする場面においては、たった一つの言い回しの違いが大きな意味の差を生むことがある。

異なる主張を持つ者同士が話し合いを通じて歩み寄り、同じ目標に向かって進んでいくためには、お互いの認識を合わせた上で共通のルールを定めるプロセスが欠かせない。

なかでも、言葉に対する細心の注意と最大限の配慮が求められるシーンの頂点ともいえるのが、国際交渉の場面ではないだろうか。

それぞれ異なる事情と思惑を持った国々の代表が集まり、世界全体に影響を与える決定を下す会議の場では、一語単位の言葉の解釈に対しても敏感にならざるをえない。

"should"か"shall"か — パリ協定の行方を決めた一語

アメリカのワシントン・ポスト紙は、国際交渉の文脈における言葉の選択が与える影響の大きさについて、下記の記事で触れている。

How a single word could hold up global talks to save the planet|
The Washington Post

同記事内の冒頭で取り上げているのは、2015年にパリで開かれた、国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)の舞台裏だ。

COP21で採択されたパリ協定の第4条には、温室効果ガスの排出削減・抑制に関して、先進国と途上国の双方が各国の実情に照らして目標を策定することを示した下記の記述がある。

Article 4
4. Developed country Parties should continue taking the lead by undertaking economy-wide absolute emission reduction targets. Developing country Parties should continue enhancing their mitigation efforts, and are encouraged to move over time towards economy-wide emission reduction or limitation targets in the light of different national circumstances.

Paris Agreement(英文)|外務省

当時、アメリカ国務省の環境管理局副長官として会議に参加していたダニエル・ライフスナイダー氏によると、草案段階の文言では、アメリカを含む先進国の役割を示す箇所で、"should"ではなく"shall"が使われていたという。

“‘Shall’ is a legal obligation. ‘Should’ is not,” said Reifsnyder,…“There’s an absolute world of difference between those two verbs. And frankly, ‘shall’ would have made it impossible for the United States to sign on to the Paris agreement as a legal matter.”

「"Shall"には法的義務がある一方、"Should"の場合はそれがありません」(中略)「この二つの助動詞には決定的な違いがあります。率直に言って、"shall"を使用していれば、法的な観点からアメリカがパリ協定に署名することは不可能だったでしょう」(筆者訳)

How a single word could hold up global talks to save the planet|The Washington Post

日常会話の中で使う"shall"といえば、"Shall we~?(~しませんか?)"のように、相手に対して丁寧な提案をする表現のイメージが強いかもしれない。

しかし、国際交渉の文脈では、「提案」以外に"shall"が併せ持つ「法的義務」の意味合いの強制力が、アメリカにとっての条約への合意を難しくさせていた。

shall (auxiliary verb)
— used in laws, regulations, or directives to express what is mandatory
※複数の定義より一部抜粋

Merriam-Webster|Shall Definition & Meaning

最終的に、草案の文言に含まれていた"shall"を、より表現を弱めた"should"に置き換えるという一語単位での調整を経て、アメリカはパリ協定に署名した(※)。

温室効果ガス排出量の国別ランキング上位のアメリカがパリ協定を批准したことが、当時の他国の動向に与えた影響は少なくないだろう。

※アメリカは、2016年のパリ協定批准後、トランプ政権下の2020年に離脱、バイデン政権への移行を経て2021年に再度協定に復帰している。

合意文書での表現が注目されるCOP28

2023年11月30日~12月12日の13日間にわたり、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開催中のCOP28(国連気候変動枠組条約第28回締約国会議)でも、最終合意文書での言葉選びが注目されている。

同会議は、パリ協定で示された気候変動対策の目標に対する進捗評価を行う、第一回グローバル・ストックテイクが完了する節目としても関心が高い。

COP28の交渉では、脱炭素化の鍵を握る化石燃料の今後の扱いについて、どのような合意がなされるのかが争点となる。

主なポイントは、"phase out(段階的廃止)"と"phase down(段階的削減)"の二つの表現だ。

最終的に化石燃料の使用そのものを止めることを目指す"phase out"と、漸進的な使用量の削減への言及にとどまる"phase down"では、加盟国に求められるコミットメントの度合いが異なる。

これらの表現を使って今後の方向性を示したとしても、具体的な期限や手法など、立場が異なる国々の間でのさらなるすり合わせが必要な項目は多い。

また、化石燃料の扱いをめぐる議論の中で登場する、"abated/unabated"という言葉がさらなる波紋を呼んでいる。

"abated"は、「(力や勢いが)衰える、弱まる」との意味を持つ自動詞の過去形/過去分詞形だ。これに否定の接頭辞"un-"を付けた"unabated"は、abatedと対照的に「(力や勢いが)衰えない、弱まらない」状態を示す。

気候変動に関連する文脈において、これら二つの言葉は下記のような意味合いで捉えられる。

abated
二酸化炭素の回収・貯留技術を使用し、化石燃料の燃焼による二酸化炭素の排出量を抑える対策がされた状態のこと。

unabated
化石燃料の燃焼などによって、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスがそのまま大気中に放出される状態のこと。

COP28では、化石燃料の"phase out(段階的廃止)"と"phase down(段階的削減)"の選択肢のほか、"A phase-out of unabated fossil fuels(温室効果ガスの抑制対策が行われていない化石燃料の段階的廃止)"を示した草案も検討されている。

しかし、"unabated fossil fuels"に関しては普遍的な定義が確立されておらず、その具体性の欠如を疑問視する指摘も少なくない(※)。

明確な定義や共通認識がないままこの用語を使用すれば、異なる立場の関係者がそれぞれの利害に基づいて言葉の解釈を行い、気候変動対策に関する各国の足並みを乱すことにもつながるだろう。

このように、より多くの国々と関係者が受け入れやすい妥協点を探る過程では、特定の言葉の選択がもたらす曖昧さや広範性が、時として協定の効果を薄めてしまうリスクをはらんでいる。

※参照:COP28 climate dispute: What are "unabated" fossil fuels?|Context

国際条約での言葉の選択に求められるバランス

外交や国際交渉の場における言葉の選択には、極めて繊細なバランスが求められる。

気候変動問題は、明確なルール作りによる強いコミットメントが必要とされる、緊急性の高いテーマである。それと同時に、条約を締結する上でより多くの国からのコンセンサスを得るため、ある程度広い解釈の余地を残す言葉を選択する必要性も無視できない。

"phase out/phase down"、"abated/unabated"など、COP28における言葉の定義をめぐる議論は、国際条約で使われる表現によって生じる、複雑な相互作用を浮き彫りにしている。

国同士の思惑が絡み合う中、気候変動に関する今後のアクションの指針となるCOP28の合意文書でどのような表現が使われるのか、一つひとつの言葉が意味する内容に注目したい。


(編集部・Moe)

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