人はみな妄想する―ジャック・ラカンと鑑別診断の思想(松本卓也)1/2

読書ノート

フロイトはこう考えた。すべては夢であると。そして人はみな狂人であると。言い換えれば、人はみな妄想的なのである。

問題設定

なぜいまさらラカンかと問われれば、それはドゥルーズ=ガタリやデリダによる批判は、ラカン自身の理論と実践の核心点を無視されてきたと考えるからである。その核心点とは「神経症と精神病の鑑別診断」である。
まず神経症とは18世紀半ばにウィリアム・カレンによって導入された用語であり、生理学的に説明することのできない神経系の疾患を幅広く指すものであった。18世紀末になると、フィリップ・ピネルが神経症の内部に「精神病」を区別した。ここから神経症と精神病の対立が始まり、20世紀にカール・ヤスパースによって精神医学の体系が基礎づけられるとより対立が鮮明となった。これにより臨床の現場においては、神経症は外来で精神療法的に治療され、精神病は精神病院の入院環境下で管理されるという住み分けが生じた。そして神経症/精神病は、それぞれ軽症/重症、心因性/内因性、外来での精神療法/入院環境下での管理という二分法のもとで把握されるようになった。ゆえに「神経症と精神病の鑑別診断」という言葉は、この二つを区分しなければならないという臨床の要請のみならず、疾病論的な要請やメンタルヘルス政策上の要請のもとにあることになる。本書で行われようとしているのは、デリダやドゥルーズ=ガタリによるフランス現代思想としてのラカン批判や思想史的立ち位置を正しく理解するために、「神経症と精神病の鑑別診断」という臨床的な問題を理解するというプロセスを踏む。

ラカンの理解を構造主義的な手法からのフロイトの再検討というものではなく、サルトルに代表される実存主義への対立から読み解くこともできる。

1950年代からフランスにて爆発的な人気を誇っていた"Existenz"を実存主義と訳したのは九鬼周造である。彼はハイデガーの弟子ということもあって自身の思想にも色濃く影響を及ぼしている。しかし彼の場合は、自由の目指す「有」だけでなく日本思想的な「無」も取り入れているため、また違った展開になっているが。最近ちくま文庫で新たに九鬼周造本が出ていた。

サルトルに代表されえる実存主義とは、個人がいかに生き、いかに社会に参加し行動するかという主体の問題を主眼に置いている。主体の問題を掲げてきた思想は数多いが、WW2以降最も流行ったのはサルトルである。今でもサルトルを読んで云々という人が多いのは、「自分とは何なのか」の類の今で言う「実存的不安」が社会的情勢も相まって押し寄せてくるからかもしれない。そして自分という主体と、社会や他者を客体として置き考えを推し進めていくと、相対主義という平地にやってくるわけだが、この相対主義に関しては『相対主義の極北』というGOODな本がある。というか入不二さんが実存主義を出発点のひとつに置いていたから、この連関自体は当然ともいえるが…。

話を戻すと、実存主義が目指したのは「私」をまっすぐ真ん中に持ってくるためにどうするか、どう生きるか(=意識論、主体性)という問題であるという一方、ラカンは意識ではなく無意識(cf.フロイト)を主体の中心に置くことで、サルトルらが重要視した「私という主体」という問題を脱中心化した。例えばそれは、言い間違いという問題に対してサルトルなら「その言い間違いは偶然である、そんなつもりはない」と言うのに対し、ラカンは「それこそ無意識の主体が現れたのだ」と答えることと言い換えられる。
またラカンは実存主義と完全対立する位置取りをしたわけではなく、スタティックになりがちな構造主義に対して、まずその構造の外側を「無意識」によって確保し、次点でサルトルらの「私、主体」というダイナミズムを導入しようとした。これは本書でも著者によって語られる、DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)での診断方法が、診断者を問わずマニュアル通りにフローを進めていけば必然的に診断を下すことが出来るというコンセプトであることへの問題提起、つまり外来へやってきた者を構造の中に閉じ込め、主体という問題を埋めたまま問診を行いその者自身へは楽観視によって意味づけているという閉塞的な環境へのアンチテーゼとしても現れている。
本書では、通年的な理解が困難と言われるラカンに対して、年代別のラカンの関心から変遷を追う形式をとる。これはミレールにより展開され、向井雅明の『ラカン対ラカン』によって実地を得た、ラカンの思想同士をぶつけ合うという形式からインスパイアされたものである。
『ラカン対ラカン』は現在古書しかないため、ちくま文庫のラカン入門書を張っておく。

三〇年代ラカン―妄想の無媒介性とシュルレアリスム

患者の生活史上の葛藤に潜在していた素材が、象徴的作業を経ずに無媒介的に出現したものが妄想である。ラカンが妄想の無媒介的かつ意味作用の不在に注目したのは、同年代のシュルレアリストであるダリの影響によるものである。これは五〇年代ラカンの鑑別診断にも継承される。

五〇年代ラカン―精神病構造をどのようにして理解するか

この年代にラカンは、精神分析にレヴィストロースの「構造」、ソシュールから「シニフィアン」、ヤコブソンから「隠喩と換喩」の概念を導入。

この時期のラカンは、人間は神経症、精神病、倒錯という三つの構造のいずれかを取り、移行領域や中間形態がないと考えた(ここはちゃんと構造主義っぽい)、一方で英米圏のクライン学派は妄想分裂ポジションと抑うつポジションという二分であるが、グラデーションを持っていると考えられている点でラカンと完全に異なっている。
ラカンによる神経症と精神病の分裂は、症状それ自体では判別する根拠にならないという(鑑別のこと)。この判別の根拠として持ち出すのが「<父の名>の排除」である(意味不明ワードその1)。

<父の名>とは、象徴界(人間の象徴機能)を制御しているシニフィアンのことである。ある患者に<父の名>が存在すれば彼は神経症であり、排除されていれば彼は精神病であるとラカンは考える。

しかし、<父の名>が排除されているとすれば、当然そこに<父の名>は存在しない。では、<父の名>が「無いもの」であるときに、どうやって<父の名>が不在であることを見出すことができるのだろうか?(無いものの証明という意味)臨床的に「<父の名>の排除」そのものを捉えることは難しいという。そしてラカン派もこの難しい問題を理解しており、七〇年代~八〇年代にラカン派で行われた精神病の研究は(ちなみに本書では倒錯を扱っていないので、神経症でなければ精神病、精神病でなければ神経症という二律背反を取る。先ほども書いたように構造主義のためグラデーションや外側は無い)、いかにして「<父の名>の排除」を臨床的に捉えるかという問題を追及していた。研究方法は大きく分けて二つ。

⒈<父の名>の排除の証拠となる要素現象の有無によって精神病と神経症を鑑別する

⒉排除を間接的に示唆する指標であるファリック(phallic)な意味作用の成立の有無によって神経症と精神病を鑑別しようとするもの("phallic"とは通常"phallic mother"のコロケーションで使用される。直訳で男根の付いた母という意味で、権威的に振る舞う女性、自分の自己実現を子に押し付けているなどのように解釈されるのがふつう)

まず<父の名>の排除の証拠となる要素現象の有無によって精神病と神経症を鑑別するについて詳細を追うとする。これはラカン派フランソワ・ソヴァニャによって研究されてきた内容で、要素現象を見出すことが精神病構造の証拠となるという。臨床の現場においての要素現象は、どのような形で体験として現れるのか。本書をそのまま引用すると

精神病においてみられる独特の「確信」体験は、まさに要素現象の構造によって成立している。通常、象徴界に属するシニフィアンは「ある」と「ない」の二項対立の可能性の中にあり、対立項による訂正の可能性がある。例えば、テーブルの上にあるパンは、誰かに食べられてなくなってしまうことが常に可能であり、それが普通である。反対に現実界は、あるところには過充満にありすぎるし、ないところには絶対的に欠如する。精神病では、象徴界の水準にあるはずのシニフィアンが、現実界の水準であらわれる(二項対立の可能性のなかにあるはずのシニフィアンが、対立項を失った形で出現する)という異常事態が生じる。つまり、そこにないということが不可能なかたちで、あるものが現れるのである。ラカンはこのような事態を「弁証法=対話の停止」と呼んでいる。精神病では、シニフィアンは弁証法以前の「即自」として現実界に現れるため、その訂正を可能ならしめる対立項がそもそも存在しないのである。

和らげた言い方をすれば、精神病患者にとって顕著に表れる「確信」は「存在するもの」「存在しないもの」のどちらに対するものにせよ、それ以外の可能性が失われているということである。その患者が無いと言えば、在るという対立項を平常であるぼくたちが持ち出して説得することは無意味だ(例えば「目の前に彼が居るのだ」と叫ぶ精神病患者の確信に対して、どれだけ物理的な不在の実証をしても無意味である)。
つまり、この「確信」という要素現象を臨床の場で見つけ出すことができれば鑑別することが可能であるという結論に至る。この確信を見つけ出すには、「主体のメタ言語位置」に注目することが重要であり、要素現象としての確信は、主体がどれだけ否定しても否定しきれないものである。

先ほどまでが、要素現象のひとつである「確信」に対する記述である。以下に次の「病的な自己関係づけ」をみる。

精神病では、外界の偶然の出来事を自分に関係があると確信する体験がしばしば観察される。しかし、この字義のみでいえば、それは精神病でなくとも見られる現象であり、確証バイアスに近い行動は多くのひとは行っている。この日常体験は、弁証法的=対話的なモードで現れていて、自分の確信や推論に対して適宜反証可能性があらわれているため、むしろ神経症の特徴である。では精神病ではどのようなモードで現れるのか。彼らの関係づけは非弁証法的=非対話的モードで現れる。外に出歩いている際に赤い車に出会うと「車だ。これは不自然だぞ、こんな時に赤い車が通るなんて、何かがあるのだな」という具合に、反証可能性も自己対話可能性も失われた状態で「確信」(ここでもまた確信だ)があらわれる。

次に排除を間接的に示唆する指標であるファリック(phallic)な意味作用の成立の有無によって神経症と精神病を鑑別しようとするものという研究方法について。

ラカンはヤコブソンから導入した隠喩と換喩を使って、フロイトの夢工作を再構築した(初めに書いたフロイトの再構築の話)。ラカンによれば隠喩とは新たな意味作用を出現させることに対し、換喩は新たな意味作用を出現させないものと定義される。定義されてホカホカのまま話をまとめにかかると、セルジュ・ルクレールによる症例では、ある人物が、「おまわり hirondelles(=字義通り「つばめ」であるが、警察官を意味する隠語としてもちいられる)による滅多打ちを受けた数日後から、「鳥に襲われる」という被害妄想を呈した、というものがある。ルクレールはこの症状ではhirondellsというシニフィアンが、妄想のただなかで現実界に再出現している(意味作用を出現させない、無媒介)と言う。つまり神経症の症状の場合、「つばめ」と言うことで「おまわり」を意味するような隠された意味作用がはたらき、反対に精神病ではシニフィアンそのもの(今回では「つばめ」)として現実界にあらわれている。そして現実界にあらわれたシニフィアンに対し、精神病者は困惑する。

六〇年代ラカン―分離の失敗としての精神病

五〇年代ラカンはシニフィアンや意味作用という構造論的な概念で精神病を捉えていた。六〇年代ラカンは理論全体の重心、というか関心が対象a、ファンタスム、享楽に移っていき、精神病に関してもシニフィアンに還元されない側面が重視されるようになる。対象aに関しては、講談社新書の「ラカンの精神分析」が比較的わかりやすいと感じる。

ミレールは六〇年代ラカンの精神病論では、「<父の名>の排除」はもはや精神病唯一の中心的メカニズムではないと言う。そして、「分離の失敗」「ファンタスムの不在」「対象aの非―抽出」といった観点によって六〇年代ラカンを見ようとする(念のため振り返ると、ミレールというのはラカンの思想や鑑別の手法を年代別に分け、それぞれで照射することでラカン全史を理解しようとした最初の人のこと。本書の方法論もそれに従う形をとっているので、忘れないように。一度切り替えて六〇年代を見ていきましょう)。

ひとは疎外と分離という契機を経てはじめて神経症者として構造化される。疎外とは、シニフィアンの構造(=大他者)の導入によって、人間が原初的な享楽を失い、この消失のなかで主体が姿を現すことを指す(サボって大他者について書いてないので下に引用、考えてみればぼくがラカンに興味を持ったのは、大文字の他者のせいだな)。

「大他者(大文字の他者)」について
ラカンは、小文字の他者と大文字の他者を区別している。一方の小文字の他者は、ひとが日常生活のなかで出会う他人であり、自我と同じ水準にいる存在である。そのため、自我と「小文字の他者」のあいだにはしばしば嫉妬や攻撃性といった想像的な関係が結ばれる。他方の大文字の他者は、自我と同じ水準には存在せず、主体とのあいだに象徴的な関係を取り結ぶ存在である。例えば、幼児にとっての全能の母のように、主体を超出する存在が大他者である。また、分析家は分析主体にとってしばしば大他者として現れる。

神経症者にとっての疎外とは、欠如を含んだ大他者に対して、原初的な享楽を部分的に代理する対象aを抽出し、それを欠如的な大他者に差し出す(このプロセスを分離と呼ぶ)。これにより、ひとは欠如を含んだ大他者を認めつつ、対象aを導入することで覆い隠して見えないようにする(欠A+a=A)ことで、享楽そのものから距離を取ることに成功しているが、一方で精神病者では対象aの抽出が成功しておらず(つまり分離の失敗)、享楽から適切な距離を保つためのバリアであるファンタスムが機能せず、致死的な享楽に無媒介にさらされることになる。神経症者の症状はともかくとし、精神病者は分離の失敗によって過度な享楽が渦巻いている場所に存在することになる。この享楽の氾濫は、不安や困惑とともに、ある種の恍惚体験を精神病者にもたらす(妄想気分)。たとえば、対象aのひとつである「眼差し」が顕在化することで監視されているというような被注察感が生じたり、もうひとつの対象aである「声」が無媒介に顕在化することで、声は患者に話しかけ、罪責性を宣告するなどの幻聴が生じる。

六〇年代ラカンをこれまでの観点によって鑑別に持ち込むとどうなるか。五〇年代のラカン理論では、シニフィアンによってパラノイアをもっとも鋭く鑑別することができた。六〇年代ラカン理論では、パラノイアとスキゾフレニーを享楽の回帰のモード(要はさっき書いた、無媒介な享楽体験にもう一度戻りたいという精神病者の回帰志向)という観点から鑑別が可能になる。パラノイアでは「享楽が大他者それ自体の場に見出される」のに対し、スキゾフレニーでは「享楽が身体に回帰する」という違いがあると考えられるようになる。本書では、この鑑別によって「摂食障害」と「うつ病」が検討される。どちらにせよ言えるのは、ファンタスムの作動の有無によって、対象aとの距離感がどうなっているかという手法を用いているということになる。

再度見直すと、この年代のラカンは「分離の失敗」を鑑別に持ち込んでおり、分離の失敗とは原初的な享楽の抽出である対象aが存在せず、原初的享楽自体に身をさらされてしまうことと理解される。このプロセスが、精神病者のものである。

七〇年代ラカン―鑑別診断論の相対化

七〇年代のラカンは、まず前後半で思想が異なる。まず七〇年代前半のラカンは疎外と分離をひとつの式にまとめて表すことのできるディスクールの理論を構築した。七〇年代後半になると、神経症と精神病の鑑別を明示的に論じなくなり、神経症の症状と精神病の妄想を同じ枠組みで論じることを可能にした。この時期においては、ラカン自身の主張が複雑であるためここでは一旦置いておくことにする。ただひとつ引用しておくならば

人はみな妄想する Tout le monde délire

フロイトのなかにあるラカン

フロイトにおける神経症と精神病の鑑別の理論的変遷についてはここでは触れない。世間的に言われる「ラカンの言ったことはフロイトも言っている」という類のフロイト=ラカンの鑑別を一度整理する。

⒈神経症者は相容れない表象を受け入れた上でその表象を加工するが、精神病者は相容れない表象を受け入れずに排除する
→ラカンには抑圧と排除として継承

⒉神経症における無意識は解読を必要とするが、精神病では意識的なものとして現れる
→「精神病では無意識が白日のもとに晒されている」

⒊神経症の症状は隠喩によって構成されているが、精神病の症状は隠喩を欠いたシニカルな命題によって構成される
→隠喩による新たな意味作用の出現を神経症の指標と考えた

⒋神経症ではリビードが外的世界に備給されているため転移が成立しうるが、精神病ではナルシシズムへの退行が起こっているため転移が成立しない
→転移を分析家に対する対象愛の発露ではなく「転移のシニフィアン」の出現と捉え、これを神経症の指標と考えた。

⒌精神病の中核において機能しているのは、同性愛ではなく父コンプレックスである
→ラカンは、これをエディプスコンプレックスの機能不全、及び<父の名>の排除として継承した

⒍神経症と精神病の両者に現実喪失があるが、神経症では空想世界のなかで対象との関係が維持されている。精神病では空想世界を作ることによって現実喪失を克服する
→ファンタスムの有無として理解、また妄想形成でファンタスムの代理をつくり上げると理解した

⒎最終的にフロイトは、否認および自我分裂をあらゆる心的構造にみられるメカニズムとして一般化した
→七〇年代ラカンも同様

三〇年代ラカンは「症例エメ」という妄想に対し『人格との関係からみたパラノイア性精神病』を提出しているが、こちらは上にも紹介した『ラカンの精神分析』にも記述があるので割愛する。

『精神病』における神経症と精神病の鑑別診断

一九五一年、ラカン派「セミネール」と呼ばれることになる通年講義を自宅で開始。ここでラカンが本格的に鑑別診断を論じるのは、セミネールの『精神病』になる。

一般的にこの時期のラカンの鑑別診断は「ソシュールの構造主義言語学、一般言語学講義の影響力にあやかって鑑別診断を『<父の名>の排除』として見出すに至った」という理解がされるが、実際この精神病講義の半年の期間のあいだでラカン自身の理論変遷が生じている。ひとつは精神病を「意味作用」を中心にして理解する時期、もう一つは精神病を「シニフィアン」を中心に理解する時期である(こういうのが頻繁に起こるから、ラカンはむずいし意味わからないなんて言われ方をしてるというと言いすぎかもしれないけど、少なくともそれを加速させるものになってる気がする。それのせいか知らないけど『現代思想の遭難者たち』なんてまさにその難解さに乗じて、関西人の言う「知らんけど」ムーブをかました本だと思っている)。

まず「意味作用」を中心とした精神病理解パラダイム自体は、セミネールの『自我』で挙げられており「(神経症の)症状というのはそれ自体、徹頭徹尾、意味作用」と言われている。つまり、神経症の症状は、幼児体験を、のちに出会うトラウマ的出来事と演算的に結びつける在り方である。他方で精神病に現れる意味作用は、主体自身に意味が不明ながらも何か重大な事柄を意味しているような印象を与えることになる。

ここに、世界が彼にとってある意味作用を持ち始めている主体がいます。…彼は少し前からいくつかの現象にとらわれていました。彼は、通りで何かが起きていると気づいたのです。しかし、何が起きているのでしょうか。…多くの場合、その事態が彼に好ましいのか、あるいは好ましくないのかさえ彼は知らない、ということがお解りになるでしょう。

しかしながら、精神病の主体者はそれを結びつける対象がなく、演算も発生しないために、困惑するしかない(困惑の出現が精神病の鑑別として理解される)。小出浩之はこれを、「読めない外国語」との出会いと例えている。たとえば"စာကြည့်တိုက်"と書かれてしまっても、ビルマ語族以外では理解ができない、インターネットではコピペで対応できるだろうがただそれ自体を与えられたとしたらぼくたちは辞書を引くこともできない、ということになる。

一方でシニフィアンによる鑑別診断パラダイムのラカンによれば、神経症をシニフィアンの連鎖精神病をシニフィアンの欠如として理解を改めた。シニフィアンの欠如とは「縁取り現象」と呼ばれるものになる。神経症は背反的に理解されることと、実際のところ「意味作用」的な理解でもほとんど問題ないように思われるので、精神病に対してのアプローチに限るものとする。縁取り現象とは、中心のシニフィアンに対してネットワークを築いていた縁のシニフィアンという状態から、中心のシニフィアンが欠如することで周囲のシニフィアンとのネットワークが解体され、主体を襲うという構図とる。ここでラカンは主体の「排除」という術語を取るわけだが(どこかで見たことある言葉ですね?)いったい何が排除されるのか、それは『ある神経病者の回想録』にシュレーバーの父が一度しか引用されていないことに注目し、「父である」という基本的なシニフィアンが欠けている、つまり「<父の名>の排除」がここではじめて構造的に概念化された。

後半に続けます


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