#76 キャンドルに灯して
火 を眺める。
火を眺める状況というのは意外とすくない。
あの日のキャンプファイヤーであったり、あの夏の花火であったり、1月1日の神社であったり。
中でも花火というのは「火を見に行く一大イベント」なわけで、
そういったものにたくさんの人がその日のための浴衣を着て、いつもよりルンルンな気持ちで集まっている。
それってあらためて考えるとおもしろい。みんな火を目指して来ている。
宇宙人からしたら、
『火を綺麗に爆発させる用意をして、イベントの広告をつくって日にちを指定しておけば、オオクノニンゲンヲアツメルコトガデキル(しかもいつもよりおめかしをしている人間多め)』
ということである。
簡単にまとめて爆発させられそうでこわくなってきてしまった。
1ヶ月ほど前、ろうそく、いや、キャンドルを購入した。
商品名がキャンドルだったし、キャンドルホルダーが、ろうそくよりかはキャンドルと呼びたくなってしまうような洒落感をまとっているので、
ろうそくではなくキャンドルなのだと思う。
それからの私は、週に3回ほどキャンドルを嗜む生活を始めた。
夜、22時くらいから部屋の照明をすこし落として、キャンドルに火をつける。この時間が至福だ。
電気の明るさというのと、それは全く違う。
手をかざしたら熱を感じられるくらいに燃えていて、ゆらゆらしていて、なんというか いのち を感じる。
イベントで炎を見つめたり、美しい火をみることはとてもすきだったが、こうして生活の中に 火 をプラスすることはなかった。
あたたかみを感じるからなのか、ゆらゆらをみているからなのか、暗さが丁度よいのか、はたまたそれら全部が組み合わさっているからなのか、
日付が変わる頃に眠くなる。布団に入ってからがはやいし、眠たい、と心と身体が一致してくれるようになった。
そして音楽と火というのがこれまた相性抜群である。
その空間で作業をすることは、秘密の特別なイベントのようで、
家の中なのにちょっと外にいるような気もして、
形容しがたいときめきを与えてくれるのだ。
今日もキャンドルに火を灯そう。