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【短編小説】絵空事みたいな春が暮れてゆく

 特に予定のなかったゴールデンウィーク、断捨離をしようと押入れの中を整理していた。ブルーの寝袋の下には薄く丸く畳んであるポップアップテントがあった。僕は捨てる前に『もう一度』と思い、畳の上でポップアップテントを広げてみた。

「直樹、馬鹿じゃないの? 本当に墓地で寝ているの? 」
 僕は一時期、週末になると桜が丘という墓苑にポップアップテントを広げてそこで寝ていた。きっかけは震度4の地震が起きた翌朝、通学のバスの中で隣に座ってきたおばさんが『昨夜は怖かったわね。うちは犬が3匹いるから、もしもの時は桜が丘墓苑にポップアップテントを広げてそこで一時的な避難生活をしようと思うの』と僕に話しかけてきた。
「ポップアップテント? 」
 外を見ていた僕がおばさんの方を見て聞くと
「知らないの? パッってすぐに開くテントだよ。いちいち組み立てる必要もないし一時的にはとっても便利なのよ」
「そうなんっすね」
 僕は適当に返事をして
「じゃあ失礼します」
 会釈をして通路をあけてもらった。
「頑張ってね」
 おばさんは僕がバスから降りて学校に向けて歩こうとしたときも窓から手を振っていた。
 教室についてスマートフォンをロッカーにしまう前にポップアップテントを検索してみた。

「なぁ、高瀬、ポップアップテントって知ってる? 」
「直樹くん、知らないの? パッと広がるテントだよ。海辺とかで使うやつ!! あっ、そうだ、ここだけの話、中学生の頃、同級生がよく家出して公園でポップアップテントを広げてそこで寝てて補導されていたよ」
「寝れるものなの? 」
「まあ、自分が重石になれば、寝れるんじゃない? 身体が痛そうだけれど」
 高瀬が何気なく話した同級生の話と、今朝のおばさんの話がなんとなく心に残っていて僕はアルバイト代が振り込まれた25日アウトドアショップで迷わず7700円のポップアップテントを買った。そして桜が丘墓苑についても調べてみた。市内が一望できる比較的新しい墓苑であることだけはわかった。あと名前の通り桜の木がたくさん植えられていることも。

 
 高校2年生の春休み、僕は友達の家に泊まると母に嘘をついてポップアップを持って桜の丘墓苑まで歩いた。途中、コンビニでコーラとツナマヨのおにぎりを買って。墓苑の入口には広い駐車場と小さなプレハブのような建物とトイレがあった。そして駐車場から続く坂道には名前の通り桜の木が植えられていた。ちょうど桜の花が満開で夕方なのにまだレジャーシートを広げて花見をしている人たちがいた。僕は桜の木が途切れたアスファルトの上にポップアップテントをはじめて広げてみた。その日、風はほぼ吹いていなくてテントの中の真ん中に重石代わりにリュックと買ってきたコーラを置いて、墓苑からの景色を改めてみた。もしも、大きな地震が起きた時、あのおばさんは本当にここに避難してくるのだろうか? 犬3匹と。
 背伸びをしようとしたところで息をきらしながら、男の人が走ってきた。
「君、もしかしてここで一晩を明かすつもりか? 」
「っか、おじさんに関係ないでしょ? 」
「関係なくはない、俺はこの墓苑の管理人」
「えっ? っとと……、僕はただポップアップテントを買ったんでここで使ってみたかったんです。学校や警察には連絡しないでもらえますか? 」
「親は? 」
「嘘をついています」
「持ち物だけ確認させてもらえるか? 」
 僕はそう言われてリュックの中身とコーラとおにぎりを見せた。
「どうしてもここで夜を明かしたいなら、今から親に連絡しろ、事情を説明したら俺も親に説明するから」

 『どうしてもここで夜を明かしたいなら』 僕はそんなにどうしてもここに泊まりたいわけではなかった。深い意味はないのに、何をこの管理人と名乗るおじさんは勝手に深いものにしようとしているのか? でも、まあ──と思い、母にライン電話をしてみる。

「ごめん、母さん、桜が丘墓苑でポップアップテント広げて一晩過ごそうと思ったら管理人に見つかって今、電話した」
「直樹、なにかしたの? 」
「だから墓苑でテント広げて寝ようとしただけ」
「それって悪いことなの? 」
「だから管理人に見つかって電話させられてるんだって!! 」
 僕が苛ついていると
「かわってくれ」
 男がそう言うから僕はスマートフォンを渡した。
「僕は桜が丘墓苑の管理をしているものです。息子さんがテントの中で一晩過ごしてみたいらしくて、まずは両親に電話するように僕が言いました。一応、何かあってはいけないので管理室の目の前に移動してもらって僕が責任を持ちますのでよろしいでしょうか? 」 
 母は理解しているのか、していないのか、
「誘拐とか、なにかあの子が犯罪に手をそめているわけではないんですよね? 」
「はい、ただテントで過ごしてみたいだけなんだと思います。時々、息子さんみたいにテントをここで広げる人は他にもいらっしゃいますから。何かありましたら桜が丘墓苑の管理室に電話してください」 
「じゃあ、お願いします」
 そう言って先に通話を終えたのは母の方だった。

「日が落ちる前に管理室のプレハブの横に移動してこいよ」
 男は僕にそう言うと坂道をくだっていった。高瀬が言っていた通り、テントの中で寝転ぶと身体が痛かった。ほぼアスファルトの上に直に寝転んでいるのと変わらない。それでもリュックを枕にして丸くなって寝転んでいた。ポップアップテントの後ろにはたくさんの墓があった。心霊体験を期待しているわけでもなく、それを恐れているわけでもなく、結局のところ、高校生の僕には墓は杖に思えた。大切な人を亡くした時、何かまだ繋がれる何か──、まだ誰かを大切と思ったことも、亡くしたこともない僕にはすべてが絵空事だったけれど。

 夜7時過ぎるとテントの中は一気に暗くなった。畳み方がわからず、僕はテントを抱えたまま、管理室の前まで運んだ。
 窓に映る影で僕だとわかったのだろう、男はすぐに外に出てきた。そして、『飯は? 』と僕に聞いていて、さっきおにぎりを食べたことを伝えた。
「鰻、鰻重があるんだけど食べるか? 」
「鰻? なんでそんなもの」
「ポップアップテントを広げて一晩明かしそうな若者がいるから今日は管理室に泊まることを彼女に伝えたら、買ってきた。君に食べさすためだと思うけど、食べないなら俺が2人前食べる」
 男がそう言って見せてくれたのは有名な店の鰻重で僕は迷わず手を出した。そして男は
「まあ、お茶をいれるから中へ入れ」
 僕はポップアップテントが飛んでしまわないように管理室の外に置いたあったブロックをひとつ借りてテントの中に置いた。
 案内された管理室の中には小さなキッチンがあって、ベッドはなかったけれどソファーで寝れるようにはなっていた。
「お茶はどっちがいい? 冷たいのか、温かいの? 」
「少し肌寒くなってきたから温かいの」
 僕が言うと男はやかんを火にかけて、湯呑みをふたつシンクの上の棚の上から取り出した。
「仕事ですか? 」
「ああ、これが仕事」
「楽しいですか? 」
「うん? 仕事に楽しさがいるか? 俺は生きてるから働くだけだ」
「結婚は? あっ、そっかぁ、彼女はいるんだ、この鰻重」
「そうだな、結婚はしていない。でももうすぐ入籍はするかな、もしもの時、家族じゃないと駄目なことがたくさんあるから。君は彼女とかいないの? 」
「いません、思ったほど告白なんてされないもんです。スーパーで時々、臨時のアルバイトしているんですが、本当にもてません」
「もてたからと言ってそんなに良いことないぞ」
「はあっ? おじさんがまるでもてたみたいな話ですよ? 」
 そんな話をしながら、男は僕の前の前に湯呑みに置いてやかんからお茶を注いだ。
 そして、『どうぞ』と鰻重の包みと割り箸と一緒に僕に手渡した。
 食べたことのないような味だった。お腹がそんなに減っていたわけじゃないのに蓋を開けた途端に炭火の匂いがしてその中に甘辛いたれの匂いも混じっていた。鰻がふわっと口の中で溶けては残った白米を体の奥まで引っ張っていくような、何かを食べてその美味しさを表現しようと思ったことなんてないのに、思わず誰かに自慢したくなる美味しさだった。
「美味いと思わず無言になるよな」
「ですね、本当に美味いです。なんかありがとうございます。ただポップアップテントをここで広げてみたかっただけなのに──」
「なんでここなんだ? 海とか他の公園とかデイキャンプ場とかあるだろう? 」
「少し前に夜中に地震が起きたじゃないですか? その翌日にバスで隣の席に座ったおばさんが僕に言ったんです。何かあったらこの場所にポップアップテントを持って犬3匹と避難する──みたいなことを。それで僕はどんな場所だよ? って、ポップアップテントってなんだよ? って思ってアルバイト代でテントを買ってここを調べて今日、来たんです」
「他にもゲームとか楽しいことがたくさんあるのに、君にとってはおばさんの話が気になったんだな」
 男はそう言うと、湯呑みにお茶を足してくれた。
 なんでだろ? 親でも先生でも近所の人でもないのに、僕のことを君という目の前の男に気がつくと僕は素直になっていた。これは鰻重のせいか? 食べ終えて外はもうすっかりと暮れて肌寒くもなっていた。
「ライトは? 」
「ないです」
「毛布ももちろんないよな? 」
「はい」
 僕が言うと男は壁にぶら下げてあったライトとソファーに積み重ねてあった毛布のひとつを僕に手渡した。
「鍵は開けておくから、寒かったり怖かったりしたらいつでもドアを開けろ。灯りはつけておくから」
「ありがとうございます」
 僕は自分を毛布で包んだ。風がないのが幸いで、でも夜はやっぱり不気味だった。時々、スマートフォンを手にとっては時間の確認をした。男が言ったとおり、管理室の電気の明るさが月の明るさのようにテントの中を少し照らしていた。毛布がなかったら肌寒いし、痛いし眠れたもんじゃない。だけど、毛布があっても僕は眠ることができず、結局、管理室のドアを開けた。
 男はまだ起きていた。
「ラーメン食べるか? 」
「はい」
 男が作ってくれたのは、具の入っていないチャルメラだったのだと思う。最後に冷蔵庫から卵を取り出して慣れた手つきでラーメンの真ん中に落とした。そして何を思ったか、
「星を見ながら食べてみるか? 」
 男はラーメンが入った器と箸をお盆にのせて僕にドアを開けろと合図した。

 星を見ながら墓をバックにラーメンを食べるなんて!! と思っていたら、星よりも見下ろした街の灯が波のように見えることに僕は感動した。卵しか入っていないラーメンがこんなに美味しいこともきっとこの場所のせいだ。

 そして、僕は確か明け方4時過ぎだったと思う。毛布にくるまってテントにもどった。テントにもどって再び身体を横にして眠りについた。

「おはようございます」
 1時間も経ってなかったのだと思う。管理室の灯りはついていたけれどまだ外は暗かったのだと思う。目を開けると誰も見えない。それでもテントの外から足音が、聞こえていて僕は恐る恐る外に出た。
 ビッグマンとラベルに書いてある大きなペットボトルを持ったお婆ちゃんが歩いていた。僕が声をかけようとすると管理室のドアが開いて
「おはようございます。お婆ちゃん、相変わらず早いな」
と男がお婆ちゃんの手からペットボトルをとった。
「朝一番に、おじいさんに挨拶しないとね」
 僕にそう言うと男と坂道を歩きはじめた。初めて見る空の色だった。真っ黒ではない紺色のような深い碧色に少しずつオレンジ色が生まれているような──。
 僕が空をじっと見ている間にまたお婆ちゃんと男は戻ってきた。
「また明日ね」
 そう言うとお婆ちゃんは空になったビッグマンのペットボトルを大事そうに抱えて帰っていった。
「あのお婆ちゃんは毎朝、よほどの悪天候じゃない限り、おじいさんが飲んでいた焼酎のペットボトルに水を入れて朝一番に墓参りにくるんよ。縁もゆかりも無い土地だけど、毎朝、墓参りしたいからってここに墓を立てたんだって」
「僕にはまだわからないです」
「だよな、俺にもまだわからない世界だ。それでもお婆ちゃんにとっては、おじいさんがここで待ってるんだと思うよ」

 もう随分と前のことなのに、ポップアップテントを広げて中に入ってみるとそこには高校生の頃の僕がいて、管理人の男がいて、鰻重の匂いがして、お婆ちゃんの姿が見えた。

 『直樹、久しぶり、ゴールデンウィークどこにいるの? 』
 高校生の頃のことを思い出していたからか久しぶりに同級生の高瀬からメッセージが届いた。
 『今さ、久しぶりにポップアップテントを捨てるつもりで広げてみたらあの頃のことを思い出して懐かしがってた。桜が丘墓苑のこと』
『私のことじゃないんだ? 私は墓苑のおっさんに負けたかっ!! 』
『何、馬鹿なこと言ってんの? 高瀬、彼氏は? 』
『直樹さ、本当に鈍感だよね? 私、ずっと直樹の後ろ姿を見てたのに直樹は墓に夢中でさ、今だってさ意を決してメッセージしたのにまた墓のこと? この際だから言うけどさ、私、全フリしてるよ。直樹以外と付き合う気はないから』
 
 予定のないゴールデンウィークだった。でも僕は急遽、電車に乗った。
 駅につくとホームには高瀬三奈が待っていた。そして高瀬三奈とタクシーに乗って桜が丘墓苑へ行った。管理室のドアを叩くと
「はい、なにか? 」
ドアを開けたのは見たことのない女性だった。
「あのう、以前、ここにいた男性は? 」
 僕が言うと
「久しぶりだな」
 女性の後ろから男の声がした。
「久しぶりにポップアップテントを部屋の中で広げてみたら懐かしくなって会いに来ました」
「会いに来ましたって恋人じゃあるまいし!! 」
と言ったところで男は僕の後ろにいた高瀬の方を見た。
「結婚するのか? 」
「違います。直樹ったら、私よりあなたのことが好き過ぎて私のことなんか眼中にないんです。今日だって久しぶりに会えたのに水族館とかじゃなくて墓苑なんて、私の気持ちが死んでしまいそうです」
「いやいや、俺に罪はないよ」
 その時だった、僕の脳内に急に鰻重が浮かんだ。
「あのう、今日はここにずっといますか? 」
「ああ」
「じゃあ、待っててください、高瀬も」
 僕はスマートフォンを取り出して店に電話して営業してることを確認してタクシーを呼んだ。

「お待たせ」
 鰻重を4つ持って僕は管理室のドアを叩いた。
「一緒に食べませんか? 」
「もう、鰻重はね、私の18番なのに!! 」
 そう言うとソファーの横に置いていた折りたたみ椅子やテーブルを彼女はひとつひとつ部屋の真ん中に運んだ。
「あの高瀬とあの人は? 」
「お婆ちゃんのお墓参りよ」
「お婆ちゃん? 」
「夜明けに朝一番に、って焼酎のペットボトルにお水を入れて旦那さんのお墓参りに来ていたお婆ちゃん知ってるでしょ? お婆ちゃんも数年前に亡くなったの。彼女がね、彼にあなたから聞いたそのお婆ちゃんの話をして、墓参りしたいって今、墓参りしているよ」
「亡くなった? 」
「そう人は絶対に死ぬからね、今は彼がお婆ちゃんとおじいちゃんに朝一番でお水を墓石にかけてるの」

 高瀬がその話を覚えていたことと、鰻重の匂いとお婆ちゃんが亡くなっていたこと、捨てようと思って今朝、久しぶりに広げてみたポップアップテントは僕をまたここに連れてきた。

 絵空事みたいなゴールデンウィークの初日、僕は管理室の外に出て男と高瀬を待った。 
 僕はまだ生きているからわからない。墓とはなんなのか? それでも管理室の後ろの法面に見えるずらりと並んだ墓石がひとりひとりの生きた証としたら──、

「直樹!! 鰻でしょ? 」
 坂道を下ってきた高瀬の手は空の随分と色褪せたラベルのビッグマンのペットボトルを持っていた。

 あの日、僕の隣に座っていたおばさんの何気ない言葉
 『昨夜は怖かったわね。うちは犬が3匹いるから、もしもの時は桜が丘墓苑にポップアップテントを広げてそこで一時的な避難生活をしようと思うの』
 またここから何かがはじまるんだと思う。まだ何も終わってはいないけれど。

 管理室のドアを開ける前に男は
「よかったな」 
1言だけ言って僕の肩を叩いた。 
 
 ドアを閉める前、外からは春が暮れてゆく匂いがほんの少しだけした。ドアの前にはさっきまで高瀬が持っていた随分と薄くなったビッグマンの文字が書かれていたペットボトルが置かれていた。
  

 

 
 

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