
ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい、らしい
花粉症が辛いのんびりのん子です。映画やドラマが好きで、将来は同じような人たちが楽しめて癒されるお店を開くことが夢です。
今回は、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」という映画を観た感想を書きたいと思います。
私は文章を書くのが苦手で、特に何かの感想を書くということが上手ではないということを自覚しています。そしてアクセス状況の数字にもそれが表れている……
ということで、映画を観て思うことがあったら積極的に感想を書いて少しずつ感想を書くことが得意になれたら良いな、と思っています。
そして週末にアマプラで観たこの映画についてさっそく語ってみようじゃないかと思うわけです。
まずはどんな映画かあらすじをぺたり。
“恋愛を楽しめないの、僕だけ?”
―新世代が紡ぐ、やさしさの意味を問い直す物語。
『21世紀の女の子』『眠る虫』で注目を集めた金子由里奈監督による長編商業デビュー作にして、「おもろい以外いらんねん」「きみだからさびしい」をはじめ繊細な感性で話題作を生み出し続けている小説家・大前粟生氏にとって初の映像化作品。『町田くんの世界』以来の映画主演作となる細田佳央太、『いとみち』の駒井蓮、『麻希のいる世界』の新谷ゆづみをはじめ、フレッシュなキャストが競演。
京都のとある大学の「ぬいぐるみサークル」を舞台に、”男らしさ”“女らしさ”のノリが苦手な大学生・七森、七森と心を通わす麦戸、そして彼らを取り巻く人びとを描く。
この印象的なタイトル、だいぶ前に誰かのレビューで読んだので、アマプラで見つけた時には「あ、あの映画か」という感じでした。レビューの内容は思い出せなかったけど、当時その人のレビューをよく読んでいたような気がする。
クリックして詳細をみたら上のあらすじが出てきて、さらに興味が湧きました。ぬいぐるみサークルってなんだろ?男らしいとか女らしいとか、セクシュアリティとか、そういう映画なのかな?と。自分があまり自分のことを女らしいと思っておらず、少しコンプレックスにも感じている部分があるので、その手の映画は積極的に観ています。
でも、この映画のメインのテーマはちがいました。メインのテーマは…なんだろう?正直よくわからなかった、というのが本音です。逆に色々考えさせられました。メインのテーマと考えると、やさしさについて、と言うわけでもないし、ただ生きづらさというわけでもない。うーーん、他の方のレビューを読んだり原作者の方や監督さんのインタビューなどを読んで、人間関係の加害性についての映画なのでは…とも思ったり。映画の雰囲気はやさしいのですが、テーマはやさしい感じではない気がします。人によって見え方が変わる映画かもしれません。
※以下ネタバレ含みます※
七森くんてやさしい?
特に気になったのは、ぬいぐるみとしゃべれる主人公の七森くん。七森くんはやさしいのか?と聞かれたら私は確実にNOと答えます。1番自分のことを優先しているのが七森くんだと思うのです。なので、七森くんの「やさしさ」と表裏の「加害性」がこの映画の真のテーマなのかなとも思ってしまいました。
七森くんは、ぬいぐるみが好きで、恋愛感情がよくわからない、大学一年生の男の子。初日に麦戸ちゃんという女の子と意気投合して、一緒にぬいぐるみサークルに入ります。そして、時は経ち、そのぬいサーで仲良くなったもう1人の女の子白城に、恋愛感情を感じていたわけではないにも関わらず「付き合わない?」と提案するんです。白城は、本人曰くすぐに彼氏は出来るが長続きしてないらしく、見た目も可愛くて、ぬいサー以外にも学祭実行委員会みたいな派手なサークルに入っているような女の子です。七森くんは恋愛(ごっこ)を経験したいという気持ちだけで、仲が良くなった女の子に付き合おうと言える男の子なのです。そして付き合ってからもそのまま白城を好きになれずにいるのに、白城にそれを伝えずにいるような男の子なのです。それってやさしさじゃない、よね?まさか自分が相手をふったら相手が傷つくかも、とか思っていたのであれば、それは私の1番嫌いな気遣いだなあと思いました。
また、白城と言い合いになるシーンがあるのですが、そこでも白城を不快な思いにさせてしまいます。白城の入っているサークルについて完全な否定をしてしまうんです。それってやさしい人がすることとはかなり離れている行動なのでは?と思って不思議でした。私にとって、七森くんの行動はやさしそうに見えて全然やさしくないのです。繊細そうに見えて、すごく図太い。この映画は七森をどんな風に見せようとしているんだろう、と疑問でした。メインのテーマであるかは不明ですが、七森のように繊細でありながら加害性も持ち合わせた人に触れていることは間違いない、と思うのです。少なくとも私にはそう感じられました。
やさしさってなんだ?
それを踏まえて、私にとってのやさしさってなんだろう、と考えました。そして、それは見返りなく相手に喜びを与えること、相手の喜びを喜ぶことができることだと思いました。相手を傷つけないこともやさしさのように思いますが、相手を傷つけることは、時に相手のためになることもあると思うのです。そのひとつが好きじゃない相手とのお別れだと思っています。自分のことを好きじゃないのに一緒にいてもらうってすごく悲しくて辛いことだし、好きな相手が自分に好意がないという理由で自分からお別れするのはさらに辛いことじゃないかなあ。まあ白城ちゃんが七森くんを恋愛対象として好きだったかはわからないんだけど…。過剰に傷つけてしまうかもと思っているって相手のことを思っているようで自分のことを考えている可能性もあるよなあと。
ここまで七森くんはやさしくないって話をしているけど、じゃあ私はやさしいかってそんなことは全然ないです。私こそ自分のことばかり考えているので。笑 ただ、この映画で言われている、ぬいサーのやさしさは私の思うやさしさとは違うなあと思ったというお話です。この映画の中でのやさしさは「人間関係の中で自分が直接的に相手を傷つけないこと(自分も傷つきたくない)」なのかなあ、と思いました。すごくやさしくない解釈かもしれませんが…。作品内でも「無関心」に触れているように、一見結びつかなそうな無関心がやさしいとされるのもこれに当てはまるのかなあと思います。また人にはできないことをぬいぐるみには出来る、というのは、ぬいぐるみが傷つかないと思っているから出来るということで、極端な話を傷つかなければ良い、という感覚もあるんだろうなととれます。だから七森くん、自分のことを好きじゃなければ傷つかないと思って白城に付き合うことを提案したのかな?辻褄が合う気がする。
「わたしたちは全然大丈夫じゃない。」
もうひとつ気になったのは作品中の「わたしたちは全然大丈夫じゃない。」という言葉です。大丈夫ってなんだっけ?と思いました。放っといてくれていいよ、という意味?傷ついていないという意味?ということは、大丈夫じゃないというのは傷ついていることを認めるということなんだろうか。いや、傷ついていることには気づいている気がする。傷ついている自分が悪いわけじゃないと認めること、、なのかな?「わたしたちは全然大丈夫じゃない」は「わたしたちは傷ついているけどそれで良いんだ」ということ?その言葉によって逆に大丈夫になれるということなのかな。大丈夫じゃないと言える存在が大事でそういった存在がいることが幸せだということ、であれば、確かに私もそう思います。「わたしたちは」ということがポイントなのかも。私にはない感覚ですが、自分が傷ついたり落ち込んだりすることで他人に迷惑をかけるんじゃないか、だったり、自分が傷ついていること自体が許せない人もいるんだろうと思うので、この言葉はそう言う人たちに届いて欲しい言葉なのかもしれません。キーになるセリフのはずなのに自分には結構難しかったなあと思いました。
まとめ
かなり解釈がむずかしい映画だなあと思いました。が、これをきっかけにやさしさや大丈夫といった抽象的な言葉について考えることができておもしろかったです。ぬいサーのメンバーに近い方の感想ももっと読んでみたいなと思います。自分とは違う感覚について理解を深めたい。
ぜひ、気になった方はご覧になってみてください。
今回もここまで読んでいただきありがとうございました。