第1320回「礼拝のよさ」

毎月開催している「布薩のすすめ」も好評で毎回多くの方がご参加くださっています。

これは体を使いますので、かなりの運動量であります。

体を動かすので、夏は汗をかきますので、八月の布薩は空調の効いた信徒会館で行いました。

礼拝を全部で二十七回繰り返します。

二十七回の礼拝を繰り返しながら、はじめに仏様のお名前を唱えて、そして懺悔文を読み、三帰依を唱え、三聚浄戒、十善戒を唱えます。

最後に四弘誓願文を唱えて終わります。

とくに気をつけていることは礼拝を丁寧に行うことであります。

礼拝は、「らいはい」と読んだり、「れいはい」と読むこともあります。

『広辞苑』で調べますと、「れいはい」は、

「①神仏などを拝むこと。

②キリスト教の主にプロテスタント教会・聖公会で行う祭儀の総称。」

と書かれています。

「らいはい」はというと、

「神仏の前に低頭・合掌して恭敬の意を表すこと」と書かれています。

キリスト教では「れいはい」と読んでいるようです。

仏教ではやはり「らいはい」であります。

岩波書店の『仏教辞典』でくわしく調べて見ましょう。

やはり「らいはい」として、

「仏・菩薩や祖師、尊宿(年長・高徳の僧)など、人格的対象にたいして低頭・合掌し敬礼すること。」とあります。

更に「礼拝は恭敬と信順の心の表現で信仰生活の基本であり、懺悔、祈祷、種々の行法の実習などとともに行われる。

礼拝行為は本来は個人的なものだが、集団の礼拝儀礼(法会)に組み込まれることも普通である。

心のあるところおのずと礼拝行為があるが、逆に礼拝行為や儀礼という形によって帰依と信仰の念が増大するものとされ、これは「礼は信なり」といった表現に示されている。

テーラヴァーダ(上座部)仏教が内心の表白としての礼拝に終始するのにたいし、大乗仏教では外形としての礼拝儀礼を豊富に発達させている。

インドのヒンドゥー教では、生ける王に仕えるように神像に礼拝するから、もてなしの意味で香・花・水・食事、時には舞踊を捧げる。

仏教も仏・菩薩像などの礼拝にこの習慣を受けついでいるが、像崇拝の意味は同じでなく、像を通して法とその働きへの礼拝が主で、像そのものの礼拝ではない。」
と解説されています。

「心のあるところおのずと礼拝行為があるが、逆に礼拝行為や儀礼という形によって帰依と信仰の念が増大するものとされ、これは「礼は信なり」といった表現に示されている。」とありますように、礼拝を繰り返すことによって、自ずと内面の心も変わってくるものです。

礼拝の「礼」と「拝」とを『広辞苑』で調べてみましょう。

まず「礼」ですが、

「①社会の秩序を保つための生活規範の総称。儀式・作法・制度・文物などを含み、儒教では最も重要な道徳的観念として「礼記」などに説く。

②規範・作法にのっとっていること。

③敬意を表すこと。その動作。おじぎ。

④謝意を表すこと。また、そのために贈る金品。」

「おがむ」は、

「①身体を折りかがめて礼をする。おろがむ。

②掌(てのひら)を合わせて神仏などを礼拝する。

③心から願う。嘆願する。

④「見る」の謙譲語。」「お顔を拝む」という場合です。

特に仏教の礼拝は五体投地と言います。

五体投地を『仏教辞典』で調べると、

「五体とは全身のこと。

全身をその前に投げ伏して仏や高僧、師匠(guru)などを礼拝する、インドにおいて最も丁重な礼拝の仕方。

現実には仏像や仏塔、僧侶に対して額と両肘、両膝を地に着けて礼拝する。

仏典にはしばしば「…の両足に頭を以って敬礼して…」という表現が見られる。

チベットにおいても最高の礼拝の様式として尊重され、多くの巡礼者や参拝者がこれを行う。」

と書かれています。

毎回の布薩では呼吸に合わせて丁寧に礼拝を繰り返します。

まず立って合掌します。

息を吐きながら、体を九十度傾けます。

なるだけ、背中を丸めないように、股関節から折りたたむように曲げるのです。

曲げるときに息を吐きます。

吸いながら、体を起こしてまっすぐにします。

それから息を吐きながら、両膝を床につけます。

膝の下には、膝を痛めないように座布団をあてるようにします。

手をつきながら膝をついてもかまいません。

ゆっくり息を吐きながら、膝を床につけます。

お尻はかかとの上に乗っています。

つま先は立てたままです。

そこで一息吸い込んで、更に息を吐きながら、両手を床に伏せてつけ、更に額を床につけます。

いわゆるお辞儀の姿勢です。

五体投地は、両膝、両肘、そして額の5カ所を地に着けるのです。

そこで手のひらを上に向けて、息を吸いながら手のひらを耳の高さまで持ち上げます。

肘はついたまま、手のひらだけを耳の高さに持ち上げるのです。

これは仏様のおみ足をいただくのであります。

そして息を吐きながら、両手を伏せて地に着けます。

地に着けて、ずーっと息を吐き尽くしてゆきます。

そうして息を吸いながら体を起こします。

つま先を立てたままお尻はかかとの上に乗っています。

それから息を吐きながら合掌して立ち上がります。

これで一動作なのです。

はじめに皆で般若心経を唱和して、そして南無釈迦牟尼仏と唱えながら礼拝を三回、南無観世音菩薩と唱えながら礼拝を三回、南無三世三千諸仏と唱えながら礼拝を三回行います。

それから懺悔文を一回唱えて一回礼拝、これを三回繰り返します。

次に三帰依を礼拝しながら三回繰り返しますので、九回礼拝します。

それから三聚浄戒、十善戒を唱えて三拝、四弘誓願を唱えて三拝で合計二十七拝になるのです。

立ったり坐ったりを繰り返しますので、運動としてはスクワットのようなものです。

足を使いますので、全身の血流がよくなります。

立ち上がるときには地面に垂直に体を立ててゆきますし、額を地に着けたときは、体が水平になります。

水平と垂直とが繰り返しになって、自ずと腰が立って、姿勢がよくなります。

体が自然と調ってゆくのです。

その間に、戒の条文を唱えますので、言葉によって心も調ってきます。

実によくできているのです。

最後の三分間ほど黙想して、自分自身の行いを反省し、これから悪いことをしないように、善いことを行うように心に誓うのです。

身心共に調ってこのまま坐禅すると一層深まるように感じます。

そうしていると、やはり古来「戒定慧」の三学というように戒を修めて禅定を修めるという順序も納得できます。

私は毎朝起きてまず自室でチベット式の五体投地を百八回行っています。

チベット式の五体投地は、両肘と額を地に着けるときに全身を地面に投げ出してうつ伏せの状態になります。

これはより一層体を水平にすることができます。

そこからたちあがってを繰り返しますので、自然と体が調ってくるのです。

また毎日欠かさずに行っている真向法も、礼拝体操なのです。

もともと真向法は今の第一体操と、第二体操を立って行う礼拝との二つで、念仏体操といい、それから礼拝体操と言っていたのです。

長井津先生は、脳卒中で半身不随になってしまい、この礼拝を繰り返すことによって、体が動くようになっていったのでした。

また礼拝を繰り返すことで、自然と謙虚な気持ちになり、「帰依と信仰」の念がわいてくるものです。

そのうえ体にもいいので、よいことづくめなのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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