第1465回「吉祥と黒闇」2025/1/10 7 【公式】臨済宗大本山 円覚寺 2025年1月10日 05:00 吉祥は「きっしょう」とも、「きちじょう」とも両方の読み方があります。毎年新年の言葉を管長が揮毫する習慣になっており、だいだい目出度い言葉を書くのですが、今年は吉祥と書きました。吉祥は、「めでたいきざし。よい前兆」という意味であります。今年は巳年ですので、巳は脱皮を繰り返すことから、新たな自分に生まれ変わるといいます。そこで復活と再生の時だとも言われます。能登の復興も祈念して「吉祥」と書いたのであります。吉祥の「吉」という字は、元来壺をいっぱいにしてふたをした姿を描いたものだそうです。そこから、内容の充実したことを言います。反対に、空虚なのを凶というそうです。良寛さんに「鉢の子に 明日の米あり 夕涼み」という句がありますが、食べるものが一杯あるというのは幸せであります。食べるものの不安がないことが吉だとも言えます。吉祥の「祥」という字は「さいわい。めでたい姿、めでたいしるしのあらわれ。」を意味します。また「きざし。吉凶にかかわらず、神の意向や今後の運勢があらわれたもの。」としても使われます。もともと字の意味は、しめすへんに羊を書きますので、まず「羊」は、古人が家畜として常用し、その姿のよいものを犠牲としたので、よい形の代表とみなされた。」のであります。羊が大きいと書いて「美しい」という字となります。形のよい大きな羊が「美」なのです。吉祥の「祥」は「示(まつり)+(音符)羊」で、「神意がある姿や形をとって外にあらわれたもの。」という意味であります。私たちが祈祷をする言葉にも「諸縁吉祥ならんことを」という語があります。「吉祥天」という神様もいらっしゃいます。『広辞苑』には、「インド神話で、ヴィシュヌ神の妃。仏教に入って毘沙門天の妃とされる。衆生に福徳を与えるという。その像は容貌端麗、天衣・宝冠をつけ、手に如意宝珠を捧げる。吉祥悔過の本尊。功徳天。吉祥天女」と書かれています。岩波書店の『仏教辞典』にも同じように書かれています。参照しますと「幸福をもたらす女神。インドのヒンドゥー教神話によく知られた美と繁栄の女神ラクシュミー(別名シュリーまたはシュリー‐ラクシュミー)が仏教に取り入れられたもの。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされるが、仏教では毘沙門天(びしゃもんてん)の妃となった。」ということです。『涅槃経』には吉祥天と黒闇天の話が出ています。これはよく布教の法話などに使われる話であります。ある家に、女性が訪ねてきました。それは実に美しい方です。どなたですかと聞くと吉祥天だと言います。『涅槃経』には「功徳大天」と書かれています。そして、その女性は、私は行く先々に財宝を与えるのですと言いました。福の神であると言えます。家の主は喜んで招き入れます。しばらくするとまた女性が来ました。どなたですかと聞くと「黒闇」だと言います。黒闇天であります。『涅槃経』には「黒闇」と書かれています。そして自分の行く家では、その財産はみななくなってしまうというのです。福の神ではなく、こちらは貧乏神であります。これを聞いて主人は、追い返してしまいます。すると黒闇天は「先ほどのあなたの家に入ったのは私の姉です。私が去ると姉も一緒にここを立ち去ることになります」と言いました。主人は姉も妹も追い出してしまったという話であります。「黒闇天」は、『広辞苑』では、「容貌醜悪で人に災禍を与える女神。吉祥天の妹で、密教では閻魔王の妃とする。胎蔵界曼荼羅の外金剛部院に配され、肉色で人頭杖を持つ姿に表される。黒闇女。黒闇天女。黒夜神。」と解説されています。不吉・災いの女神です。福の神と貧乏神が常に一緒だというのは興味深い話であります。坂村真民先生の「幸せの帽子」という詩を思います。幸せの帽子すべての人が幸せを求めているしかし幸せというものはそうやすやすとやってくるものではない時には不幸という帽子をかぶってやってくるだからみんな逃げてしまうが実はそれが幸せの正体だったりするのだわたしも小さい時から不幸の帽子をいくつもかぶせられたが今から思えばそれがみんなありがたい幸せの帽子であったそれゆえ神仏のなさることを決して怨んだりしてはならぬという詩であります。前管長の足立大進老師からいただいた言葉も思い起こします。苦しい時は 今幸せの種を 蒔いていると思うがよいその種はやがて芽を出すたとえすぐ稔らなくても私の人生これで良かったそんな思いを残してくれるという言葉です。禍福は糾える縄の若しとはよく言う言葉です。これは『史記(南越伝』にある「禍に因りて福と為す、成敗の転ずるは、譬うれば糾える纆の若し」という言葉がもとになっています。幸せばかりということもなければ、不幸ばかりということもないのが人生であります。いつも使っている仏教伝道協会日めくりカレンダーに頑張って努力してもなかなか結果が出ないときは定期預金をしていると思えばいい 業力不滅という言葉もありました。禍福ともにご縁と受け止めることであります。「ご縁なり いつも 笑顔でおかげさま」と足立老師はよく仰せになっていました。しみじみとその言葉をかみしめます。 横田南嶺 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #毎日更新 #鎌倉 #禅 #円覚寺 #呼吸瞑想 #管長日記 7