第1339回「あたふたとせかせかと」

『一休道歌』のなかにこんな歌があります。

仏とて ほかにもとむる心こそ まよひのなかの まよひ成けり

そのままに むまれながらの心こそ ねがはすとても 仏なるべし

どちらも禅の教えをよく表しています。

仏を外に求めることこそ迷いだというのです。

禅文化研究所の『禅門逸話集成』第三巻にある北隠老師の話を思います。

北隠老師が、兵庫県の正法寺に住していた時のことです。

「正法寺から北方を望むと観音山という山がそびえていた。

山上には観世音菩薩が奉安されていて、春秋の彼岸の中日には善男善女が列をなして参詣するのだった。

北隠和尚の部屋からもその様子が正面に見られた。

明治二十八年の春彼岸の中日であった。

北隠は観音詣での列を見ながら、侍者の尼僧にいった。

「あれを見い、みなご苦労なことじゃ。

銘々にちゃんと立派な観音さまを持ちながら、わざわざあんな高い所へ登らんならんとは気の毒じゃのう」

「へい、隠居さん、銘々に観音さんがありますのか」

「あるとも。みなの胸の中に、立派な生きた観音さまがちゃんとござらっしゃるのじゃ」

若い尼僧には何とも分かりかねたのだった。」

というのであります。

又『臨済録』には、こんな言葉もあります。

「諸君、時のたつのは惜しい。

それだのに、君たちはわき道にそれてせかせかと、それ禅だそれ仏道だと、記号や言葉を目当てにし、仏を求め祖師を求め、(いわゆる) 善知識を求めて臆測を加えようとする。

間違ってはいけないぞ、諸君。君たちにはちゃんとひとりの主人公がある。

このうえ何を求めようというのだ。自らの光を外へ照らし向けてみよ。古人はここを、『演若達多は自分の頭を失って探し廻ったが、探す心が止まったら無事安泰』と言っている。諸君、まあ当たり前でやっていくことだ。あれこれと格好をつけてはならぬ。」

というのです。

「わき道にそれてせかせかと」というのは、原文では「傍家波波地」です。

小川隆先生は、『臨済録のことば』のなかで、この「傍家波波地」に「のきなみにあたふたと」とルビを振っておられます。

小川先生の『臨済録のことば』には、

「「傍家」は「副詞で、わき道にそれるさまをいう」《《文庫》頁四三注)と解されてきたが、今は試みに「一軒一軒順々に」と解する袁賓『禅宗著作詞語匯釈』(江蘇古籍出版社、一九九〇年)の説にしたがってみる。

いずれにしても、己れの外に「仏」を求めて奔走するさまの形容であることは間違いなく、そこにはやはり自己こそが本来「仏」であるにもかかわらず、という含みがある。」

と解説されています。

演若達多の話については、同じく『臨済録のことば』には、

「「頭を捨てて頭を覚む(捨頭覚頭)」は『首楞厳経』巻四の故事にもとづく語で、「頭を将って頭を覚む(将頭覚頭)」ともいう。

演若達多という美男子が、ある朝、自分の眉目秀麗なる顔が鏡のなかだけにあって、直には見えないことから、魑魅魍魎のしわざと恐れて狂奔したという話である(大正一九ー一二一中)。

得るべきものは当の自分なのだから、自分の外にそれを捜し求めても、決して得られるはずがない。

そうした趣旨の喩えで、似た意味の成語に「牛に騎って牛を覚む(騎牛覓牛)」というのもある。」

というのです。

臨済禅師は、ご自身の求道の課程を振り返って、

「諸君、ぐずぐずと日を過ごしてはならない。 わしも以前、まだ目が開けなかった時には、まっ暗闇であった。

光陰をむだに過ごしてはいけないと思うと、気はあせり心は落ちつかず、諸方に駆けまわって道を求めた。のちにお蔭をこうむって、始めて今日君たちとこうして話し合えるようになった。」

と説かれています。

『臨済録』の現代語訳は、岩波文庫の『臨済録』にある入矢義高先生によるものです。

原文には「腹熱し心忙わしく、奔波して道を訪う」と書かれています。

やむにやまれぬ思いから道を求めてかけまわったのであります。

求め求めて駆けずり回って黄檗禅師のもとを訪ね、更に大愚和尚のもとも訪ねました。

その結果本来無事であったと気がつくことができたのです。

そこを臨済禅師は「仏法は造作の加えようはない。ただ平常のままでありさえすればよいのだ。糞を垂れたり小便をしたり、着物を着たり飯を食ったり、疲れたならば横になるだけ。」と説かれています。

それは一休道歌に

よの中は くふてはこしてねてをきて 扨そののちは 死ぬるばかりよ

と詠われているのであります。

また一休道歌に

わが禅に きらふべき法あらざれば こころのうちに 一もつもなし

という歌もあります。

これも無事の消息であります。

『臨済録』には「山僧が見処に約せば、嫌う底の法勿し。」という言葉になっています。

現代語訳では

「わしの見地からすれば、すべてのものに嫌うべきものはない。君たちが、もし[凡を嫌って]聖なるものを愛したとしても、聖とは聖という名にすぎない。

修行者たちの中には五台山に文殊を志向する連中がいるが、すでに誤っている。五台山に文殊はいない。

君たち、文殊に会いたいと思うか。

今わしの面前で躍動しており、終始一貫して、一切処にためらうことのない君たち自身、それこそが活きた文殊なのだ。」

と説かれています。

ここでも文殊さまを外にいらっしゃると思って訪ねることを戒めています。

なかなかそのことが自覚できないで、あたふたとせかせかと求めまわるのです。

しかし、そのあたふたとせかせかと求め回る体験があってこその無事なのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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