第1360回「早稲田で講演」

先日は、早稲田大学エクステンション・センターというところからのご依頼で、サタデーレクチャー「二度とない人生を生きる――禅から学ぶ生き方・死に方」という講座を務めさせてもらいました。

この会は、私一人で講演するのではなく、なんと恐れ多くも、駒澤大学の小川隆先生が聞き手となって、私がお話するという企画なのであります。

小川先生とはなんどもご一緒に講演させてもらっていますし、対談もさせてもらっています。

しかしながら、聞き手となって話を聞いてくださるというのは初めてであります。

小川先生といえば、今やこの禅学の世界では泰斗、第一人者であります。

そんな先生に聞き手になってもらうとは、どこでどのように決まったのか不思議ですが、そんな会になったのでした。

これもまた試練をいただいた思いで会に臨んだのでした。

早稲田大学に着くと、その広々としたキャンパスと、多くの学生さんたちがいて、活気あふれる大学だと感じました。

ちょうどその日は、留学生の入学式だったようで、多くの学生さんたちが、大隈重信公の銅像の前で記念写真を撮っていました。

そんな人混みを避けるようにして、教室に向かいました。

小川先生がすでに到着されていて恐縮しました。

控え室で簡単は打ち合わせをしました。

今回の講座は、いろんなところで宣伝してくださったようで二百名もの方が参加してくださり、オンラインでも聞いてくださったとのことです。

宣伝の「講義概要」には、次のように書かれていました。

「人はやがて死ぬものです。

いつ死んでしまうかわかりません。

それを受け止めて、どう生きたらいいのでしょうか?

それにはまず、死というものをしっかりと見つめて、それに足る生き方を求めていく。

そして、二度とない人生だからこそ、全身全霊でいつくしみ、精一杯生ききらなければなりません。

それが私たちの使命であり、この世に生まれてきた意味なのです。

本講演では、講師に鎌倉にある臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師、聴き手に駒澤大学教授の小川隆氏をお迎えして、禅が教える人生の大道とは何か、今ここをどう生きるかについて考えます。「二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう」、そう思えるように、生きるための禅の心をお伝えいたします。」

と書かれています。

これは先方でお作りいただいたものですが、こんなたいそうな話が出来るかどうか、不安でありました。

しかし、有り難いことに小川先生があらかじめ綿密なレジュメをお作りくださっていましたので、それにそって話を進めればだいじょうぶのようにしてくださっていました。

また先方からパワーポイントの資料も欲しいということで、こちらは小川先生のレジュメに従って簡単なものを作成しておきました。

その前日に托鉢に行っていましたので、そんな最近の話題から話を始めて、私がどうして出家したのかという話につなげてくださいました。

これはいつもお話していることですが、満二歳のときに祖父の死に遭い、人は死ぬものであると思い、更に小学生の時に同級生の死に遭い、死はいつ訪れる分からないことを知って、坐禅に出会ったのでした。

由良町の興国寺の目黒絶海老師に参禅するようになった話をしました。

それから大学在学中に出家して、卒業してから僧堂で修行して今日に到ります。

僧侶になって初めて関わったお葬式が、御巣鷹山の事故(1985年)で亡くなった方の葬儀でした。

そのことを小川先生に聞かれました。

その頃は、小池心叟老師のもとで小僧をしていましたので、ただひたすら葬式のお手伝いをしていただけなのです。

ただ印象に残っているのが、ご遺族の悲しみであります。

大きな企業の専務さんでしたので、大勢の方が参列になっていました。

小川先生に聞かれて思い出したのですが、その折りに小池老師のおそばにずっとお仕えしていましたが、老師は説教らしいことは全く仰いませんでした。

法話らしいことはなさらなかったのです。

ただご遺族の話を聞いておられるだけでした。

その後もご遺族はたびたび老師のもとを訪れていました。

そんな折りにお茶を出していましたが、老師は説教らしいことは一切仰らずに、話を聞かれていました。

そのうちにお墓もそのお寺に求められて、私も後に寺の住職を務めましたので、三十三回忌は私が務めるようになったのでした。

それから東日本大震災の話にもなりました。

あの震災は、私が管長に就任した翌年のことでした。

それまで坐禅だけしていればいいのだと思っていた私が、大きく変わった機縁となりました。

そうして「禅僧たちの「死」に対する態度・ことば」として朝比奈宗源老師の話に展開しました。

朝比奈宗源老師は「私どもは仏心という広い心の海に浮かぶ泡のようなもので、私どもが生まれたからといって仏心の海水が一滴ふえるのでも、死んだからといって、仏心の海水が一滴へるのでもないのです。」
「私どもも仏心の一滴であって、一滴ずつの水をはなれて大海がないように、私どものほかに仏心があるのではありません。私どもの幻のように果敢なく見える生命も、ただちに仏心の永劫不変の大生命なのであります。」と仰せになっています。

そんな朝比奈老師のことばを紹介しながら、しばし大いなる仏心の世界を話させてもらいました。

それから雲巌寺の植木憲道老師の「死に直面して」という言葉を紹介しました。

これは植木老師が、九十七歳でお亡くなりになる前に、

一つ、もっと親切でありたい。
一つ、もっと正直でありたい。
一つ、もっと真面目でありたい。
一つ、もっと寛容でありたい。

と書かれたものです。

永遠の仏心に連なる命ですから、死は決して終わりではなく、そこから更にもっと親切に、正直に、真面目に、寛容にと精進してゆくのです。

特に小川先生は、植木老師が、親切、正直、真面目、寛容と仰せになっているのは、他者との関わりにあることに注目されていました。

確かに禅は己事究明と言われて、己のことを探求する教えですが、その己とは、小さな自己と思い込んでいる個体だけのことでなく、他者をも含むものであり、もっと言えば天地を包むものでもあるのです。

そして死の問題についての核心として小川先生は、私がかつて引用したことのある、
「人間は生まれたから死ぬ」という言葉を紹介されました。

この言葉が題名になっている松原泰道先生の本があります。

その中にお釈迦様の言葉として出ています。

お釈迦様は鍛冶屋のチュンダの供養した食事にあたって苦しんでお亡くなりになっています。

「わたしは、ふだんからそれを教えているだろう。

人間は生まれたから死ぬのだ。

おまえの料理を食べたから死ぬのではなく、生まれたから死ぬ。

おまえの料理をかりに食べず、今日を生き抜いたとしても、明日はほかの原因で死ぬかもしれない。

だから嘆き悲しむことはないのだ」というのです。

この言葉は自らを責めるチュンダに対する慈悲の言葉でもあります。

最後には、私の著書である『悩みは消える!』に引用した立花隆さんの『死は怖くない』にある言葉を紹介してくれていました。

「自分はずうっと落ちていく雪のようなもので、最後に海にポチャンととけて自分が無くなってしまう。そして最後に自分は海だったと思い出す」
自分が海であることを自覚して生きる。」

という言葉です。

私たちは、仏心という大いなる海に浮かぶ泡のようなものです。

ひらひらと舞って海に溶けてしまう雪のようなものです。

私は海なのです、仏心という海がお互いの本体なのです。

そのことを自覚して生きるのです。

大いなる仏心の中に、ひとときの生命をいただいて精一杯毎日を生きるのです。

小川先生が、その時々に応じて話題を切り替えて発展させてくださって、ちょうど予定の九十分で上手に話をまとめてくださいました。

大船にのったようだとはよく言われますが、小川先生の大いなる掌の中で、安心して話をさせてもらうことができました。

小川先生には感謝するばかりでありました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?