第1476回「栗山さんの禅修行 其の二」2025/1/21
その前に、ちょうどお昼の時間に、修行道場の鐘を撞く時間となっていましたので、鐘を撞いてもらいました。
お昼に仏様のご飯をお供えする前に、梵鐘を撞くならわしなのです。
観音経というお経を唱えながら、二十分ほどの間鐘を撞きならします。
その間は鐘が鳴る時間なのです。
寺では、決められた時間に鐘を鳴らす決まりでありますので、それ以外の時間に鐘をつくことはありません。
それで、ちょうど鐘を撞いていたので、どうですかとおすすめしてみたのでした。
小さな鐘楼が修行道場にはございます。
平成のはじめ頃に、大修理をして今の鐘楼になっています。
鎌倉石を積んで作っています。
まずはじめに見てもらったのは、修行僧が毎日鐘を鳴らすので、その足を置くところの石が深くえぐれているのです。
両方の足で踏ん張って鐘を撞くのと、鎌倉石は比較的やわらかな為ですが、三十年ほどでふかくえぐられています。
これにも栗山さんは驚かれていました。
そうして何回か鐘を撞いてもらいました。
鐘を撞くと、その音色によってその人がよく分かります。
私は修行道場に長くいますので、鐘の音で誰が鐘を打ったのか、だいたい分かるようになっています。
同じ人が撞いても、その時の気持ちが鐘の音色にでるものです。
鐘の音を聞いただけで、だいじょうぶかなと心配になることもあるほどです。
栗山さんは鐘を撞くのは初めてだとおっしゃっていましたが、素晴らしい音色でありました。
とくに初めての場合、撞木をもっても、どのくらいの強さでいいのだろうか、こんな感じでいいのだろうかと、いろいろと迷いやためらいが入るものです。
さすがに、栗山さんは、撞木を持つと、一切の迷いもためらいもなく、まっすぐに打たれました。
私は心のなかで、「お見事だ」と言っていました。
やはりこんなところに、大事な時には、ためらうことなく判断を下してこられた勝負師栗山さんの片鱗を垣間見た思いがしました。
栗山さんから鐘を撞くときにはどんな気持ちで撞くのかと聞かれました。
これは私どもが鐘を撞くには、
願くは此の鍾聲、法界を超え。鐵圍幽暗悉く皆聞こえ、
聞塵清淨にして圓通を証し、一切衆生、正覺を成ぜんことを
という偈文を唱えています。
この鐘の声が、世界の隅々まで響き渡り、鐘の音を聞く人が心清らかになって、完全なる智慧が現れて、一切の生きとし生けるものが皆悟りを成就しますようにという意味です。
世界の人々が幸せでありますように、争いがなくなりますようにという思いを込めて撞いてみてくださいと伝えました。
そう伝えた後の音色はまた深く澄んだ音色になって鳴り響いていました。
お昼ご飯を皆でいただいたあとは、少し休憩してもらい、午後からまず薪割りをしました。
ご飯を炊くには、薪が必要です。
山で伐った木を斧で割るのです。
これもなかなか難しいものです。
私などは、長い間薪割りをしてきましたので、久しぶりに斧を振るっても、昔とった杵柄で、ポンポンと割ってゆくことができます。
栗山さんも一所懸命に割ってくれて、「思ったよりもかなり重労働ですね」とおっしゃいました。
そうです、ご飯を食べるには、薪を割り、火をおこして、かなりの重労働なのです。
こういうことを体験してゆくのが禅の修行なのです。
あまり長時間行うと疲れますので、早々に切り上げて、提唱の時間としました。
提唱は、老師が禅の語録を講義するものです。
提唱というからには、禅の語録を通じて老師ご自身が自らの心境を皆の前で披瀝するのが本来であります。
栗山さんに何を体験してもらおうかといろいろ考えたのですが、実際に修行僧がどういう環境で、どのように修行しているのかを見てもらい体験してもらうことを主眼としましたので、実際に修行僧がどのように禅の語録に向き合っているのかを体験してもらったのでした。
全体でほんの三十分ほどにしたのですが、まず提唱が始まる前には、殿鐘という少し小さな鐘が鳴り、そのあと開板が鳴り響きます。
そして法鼓という大きな太鼓がなります。
みんながそろうまでに、五分ほどいろんな鳴らし物が響くのです。
こうして提唱が始まる準備が調ってゆきます。
般若心経をはじめいくつかのお経をあげて、私が講座台に上って『臨済録』の上堂の一節を十五分ほど読んで終えました。
最後には四弘誓願を読んで終わります。
修行僧たちも法衣に袈裟をつけて正装して聞くのです。
これも言葉だけ聞いて知的に理解することではなく、体感してゆくところが大事なのです。
そのあとは、坐禅にしました。
栗山さんにはイス坐禅を体験してもらうことにしました。
イス坐禅は、一昨年から取り組んできていますので、いろんな画像を示しながら、いつものように、
一、首と肩の調整
二、足の裏、足で踏む感覚
三、呼吸筋を調整
四、腰を立てる
の四つを行いました。
もともと栗山さんはとても姿勢が美しいので、あまりこんな調整は不要かなと思っていたのですが、一応体験してもらおうと思ってやりました。
そうして坐ると栗山さんの姿勢が一層よくなっていました。
イスに坐って坐禅になっているのです。
私が栗山さんにいい姿勢ですね、気持ちいいでしょうと申し上げると、とても心地よいと答えてくれました。
もうこのままずっと坐っていたいという感覚になってもらいました。
そうして坐禅堂で、修行僧達としばし坐禅の時間を過ごしました。
私は栗山さんの隣で坐らせてもらいました。
短い時間ですが深い坐禅ができました。
終わった後に栗山さんが言われたことが印象に残っています。
栗山さんはご自身で人の気配を察することに敏感だと思われていたそうですが、坐禅堂で二十名の修行僧と一緒に坐っていて、人の気配が全くしなかったのに驚いたというのです。
たぶんみんながひとつに溶け合っていたからだと思いますと私は申し上げました。
そんな体験をしてもらって、最後には修行僧たちとお茶を飲みながら懇談の場を設けました。
修行僧からもいろんな質問があり、栗山さんからも修行僧に質問がありました。
それはまた次回紹介しましょう。
横田南嶺