第1401回「死は怖くない」

「死ぬなんて寝てる続き、怖くなんかない」九十二歳になるカトリックシスターは、こともなげのそう仰いました。

同じような言葉でも、それを口にする人によって、受け止め方は大きく異なります。

シスターが、透き透るような笑顔で言われると、ほんとうにそのように思って、心が休まるものです。

そんな体験をしました。

私などもこの頃は死生観について、死をどう受け止めるか、講演したりしています。

一時間や一時間半もかけて、死をどう受け止めるか話をしますが、こんな簡単なひとことですませることができるものなのです。

東京湯島の麟祥院で、村上信夫さんが開催されている次世代継承塾に鈴木秀子先生が登壇されるというので、是非とも拝聴しなければと思って出かけてきたのでした。

その日は、早朝から種々の行事が続き、講演も務め、そのあとも海外からのお客さまをご接待していて、かなり疲れていましたが、思い切って出かけて拝聴しました。

鈴木秀子先生と村上信夫さんのやりとりを九十分拝聴しましたが、アッという間のことでした。

その日の疲れがすべて抜け落ちて、満ち足りた思いで帰ることができました。

次世代継承塾はもう32回も続いています。

なんと第一回には私がお招きいただいたのでした。

どうして私が第一回なのかと不思議に思ったのでしたが、有り難いご縁でした。

その後、回を追うごとに著名な素晴らしい先生方が登壇なされて、32回に到っています。

鈴木先生のお話が素晴らしいのはいうまでもないのですが、毎回村上さんが聞き役になっての絶妙なやりとりにまた感動するのです。

今回も村上さんが、最近鈴木先生が夢中になっている話題から入りました。

なんと「ショーヘイ」の話なのです。

大谷翔平選手を熱心に応援されているというのです。

鈴木先生は野球のことなど全くご存じなかったらしいのですが、最近栗山英樹さんとご縁ができて、栗山さんの『信じ切る力』を読んでから、大谷翔平選手のことを応援なされているというのです。

よく野球のことをご理解なさっていて、今や熱心な「ショーヘイ」ファンになっておられるのです。

鈴木先生が「ショーヘイが」と仰ると、まるで自分の孫のことを語っておられるようなのです。

こういうところもお元気の秘訣かなと思いました。

それから村上さんが最近カードでお金を下ろそうとした話をなされました。

一度におろせる限度額が変わっていたことを知らずにいらっしゃったらしく、そこでうまくおろせないので、銀行の係の方を読んで聞いたらしいのです。

ところがお忙しかったせいなのか、村上さんに対しての対応の仕方があまりよろしくなかったとのことなのです。

さすがの村上さんも「カチン」と来たというのです。

こんな「カチン」と来るようなことでいいのですかと鈴木先生に尋ねておられました。

鈴木先生は、だめよと否定することはなく、そうやってカチンと来るから世の中はよくなるのよと優しく仰っていました。

その後始まる話は、すべて肯定して受け入れるということで一貫していました。

そう言われると村上さんの表情も穏やかになられます。

そのあと鈴木先生は、もし私が銀行の者だったらと前置きして、まず村上さんのお話をよく聞いて、困っているのですねと、その困っている人の身になりますと仰います。

それだけで相手が変わってくるというのです。

そこでこちらの対応の仕方もよくなかったこと、もっと限度額が変わったことをしっかりお伝えすべきだったことをお詫びして、これからは、もし多額のお引き下ろしのときは、あらかじめお電話くださいなどと申し上げますと静かに語ってくださいました。

鈴木先生が毎日毎日お祈りをされているのですが、その内容についてもお話くださっていました。

まず第一は神の賛美です。

それから二番目には、当たり前のことへの感謝だそうです。

息が出来ること、健康で一日暮らせたこと、当たり前のことに感謝することを説かれました。

そして誰か病気したり、苦しんでいる人の幸せをお祈りされるそうなのです。

祈りは感謝なのだと教えてくださいました。

死ぬ迄一ミリでも成長し続けるということを繰り返し説いてくださいました。

自分の中で老の学校を作って、自分で自分を教育するというのです。

子供を教えるのと同じように自分を教えるというのです。

少しでも一ミリでも成長するようにと教えてくださいました。

昨晩長年一緒にいたシスターが亡くなったことをお話くださいました。

もう百歳を超えておられたそうなのです。

中国の方らしく十六歳で修道院にはいって、はたらくシスターとして、いつも黙々と、掃除をしながら、今ここを通った人が幸せでありますようにと祈り、お皿を洗っては、この食事をした人が幸せでありますようにと祈り続けられたというのです。

祈りはいつも自分を今ここに連れ戻してくれるのだと鈴木先生は仰せになっていました。

いつも人の為に祈ってご生涯を終えられたそのシスターは、とても穏やかなお顔で最期を迎えておられたそうなのです。

死は人生を全うし、永年の安らぎに入るので、祝福するのだと教えてくださいました。

そしてどんな人でも、亡くなる直前までは苦しみであっても最後は安らかによい気持ちになって息を引き取るのだと仰っていました。

死ぬ瞬間には至福の世界に入るというのです。

だから鈴木先生は「死ぬなんて寝てる続き、怖くなんかない」と語るのでした。

村上さんは鈴木先生の『機嫌よくいればだいたいのことはうまくゆく』という新しい本の話題に触れられました。

不機嫌でいるだけで周りには悪い影響を与えます。

これを鈴木先生は不機嫌のハラスメントで、フキハラだと仰っていました。

不機嫌な人がどうしたらよくなるようにできるのかと問う村上さんに、鈴木先生は、人を変える力はないと静かに語られます。

長年教育の現場にいらっしゃった鈴木先生はいつも人を変えようとしていたと、思っておられたそうです。

しかし、今はそんなことはできない、人を変えるなどおこがましいことだと仰います。

どんな人でも良いところは五十パーンセント、悪いところも五十パーセントだというのです。

私たちは、その良いところだけを見ては良い人だと思い、悪いところだけを見て悪いと思っています。

しかし、その両方をありのまま受け入れるのであって、人は変わりっこありませんと仰せになっていました。

九十分でたくさんことを学びました。

終わりになって、鈴木先生が会場に私がいることを紹介してくださり、なんと私も皆様の前でひとことご挨拶をさせてもらいました。

一心にメモをとっていると、ノートに20頁もの言葉を書いていました。

鈴木先生の温かい愛のある言葉をたくさんいただいて、すっかり日中の疲れもとれてしまいました。

自分自身が至福の世界に入ったような感じなのです。

その存在と、その言葉で人を癒やし、人を変えることができるお力を感じました。

すぐれた人には、できる限り会っておくことが大事だと改めて思いました。

終わって帰ろうとするとスタッフの方が、鈴木先生が写真を撮りたいと仰っていますと声を掛けてくださり、なんと写真も撮ってもらったのでした。

最後の最後まで鈴木先生の温かいお心に触れて、有り難い学びでありました。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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