第1331回「足から調え、足から変わる」

先日は西園美彌先生にお越しいただいて、講座を開いてもらいました。

西園先生は、魔女トレと呼ばれているものです。

主に、足から体を調えてゆきます。

先日も実に足の指だけで約二時間調えてゆきました。

かなり痛く感じるものもなかにはあります。

今年初めて修行道場に来た者などは、顔をしかめて痛みに耐えながらやっていたのが目に入りました。

私はというと、有り難いことに、もう数年教わっていますので、痛みを感じることはほとんどありません。

気持ちよく行うことができます。

足を調えて体が変わるのであります。

先日もそのことを体感しました。

まずはじめにみなで開脚を行ってみたのでした。

開脚は、真向法の第三体操にあたります。

足を橫に大きく開いて、体を前に倒す運動です。

足をしっかり開けないと、体は前に倒れません。

慣れない者にはとても難しいものです。

私は幸いに、この開脚は真向法の第三体操として長年毎日行ってきていますので、難なくできるのです。

しかし、見ていると多くの修行僧たちは、足を広げて腰を立てることができません。

多くは腰がひけて、背中が丸まってしまっています。

そこから延々二時間足指を調えてゆくと、なんと多くの者がかなり開脚できるようになり、腰も立てることができるようになっているのです。

まず修行僧達がそれぞれ感激し感動しているのです。

自分の体の変化に感動するというのは素晴らしいことです。

足指で二時間というとかなりの時間に感じるのですが、しかしわずか二時間とも言えます、

わずか二時間でこれだけ体が変わるのですから、驚きなのです。

私はというと、開脚自体はもともとできるので、そんな変化はないのですが、姿勢の変化がありました。

改めて大きな気づきがあったのです。

その気づきは、その一週間、いろいろ学んできたことがすべてつながる体験でもありました。

その一週間は学びの週間となって、はじめに椎名由紀先生から中心軸を教わりました。

私も自分の軸がずれていることをご指摘いただいたのでした。

なるほどと思いながらも、このずれがどこから来たのか、どうしてこんなずれが生じたのかを究明しないとおさまらない思いでありました。

それから甲野陽紀先生には、歩くこと、走ることを教わりました。

ふだん走ることはあまりないのですが、歩くことは日常の中でたくさんあります。

どのように歩くかで体には大きな違いがあるものです。

それから西園先生の講座を受ける日には、午前中に井上欣也さんに個人で教わっていました。

井上欣也さんは、甲野善紀先生のところで多年学ばれた方であります。

甲野先生が、とても褒めておられたので、毎月教わっているのです。

先日は主に前後開脚を教わっていました。

この前後開脚からもいろいろ学ぶことがありました。

そして更に井上さんからは接地面から体の軸を作ることも学んでいました。

それらのワークが、西園先生の講座で皆ひとつにつながったので感動したのでした。

わけのぼるふもとの道はおほけれど
 おなじ高ねの月を見るかな

とはよく使う道歌ですが、まさにそんな思いでありました。

いろんな道があるのです。

今風の言葉でいえばいろんなアプローチの仕方があるということです。

でもやはり同じところを見ているのだということなのです。

西園先生の足指を調えることでは、足の裏で感じる感性を高めます。

手を足の裏とを合掌するように合わせます。

すると手の方が敏感なので、手が足を冷たいと感じます。

しかし、足も手を感じているはずなのです。

足で手を感じるようにしますと、手が温かいと感じます。

見た目には、手のひらと足の裏とを合わせているだけなのですが、この感覚を養うだけで、足の裏が緩み、足首や股関節も変わってくるのです。

足の指を調えて、股関節にどんな関係があるのか、初めて教わった頃は不思議でならなかったものですが、今ではもう当たり前に感じています。

股関節のみならず全身に影響が出てきます。

この足で手を感じるというだけで、だんだんと手のひらと足の裏との境界が無くなってくるような感じになります。

境目がなくなって手のひらと足の裏とがひとつに溶け合ってくるのです。

そういう感覚を生じて足で床を踏んで立つと、足の裏と地面としっかりと踏んでいながら、その境目が消えてきます。

この感覚が生じると、自分の体と外の世界との境界も消えてくるのです。

手のひらと足の裏とをただ合わせているだけで、こんなに変わってくるのです。

変化を感じることは、楽しいものです。

さて西園先生の講座ではいつものことなのですが、二時間に亘ってみっしり足指、足の裏、足首を調えました。

これが自分ではできないことです。

やり方は憶えているので、できないことはないのですが、これだけの時間をかけて精度をあげて綿密にできないのです。

自分では十数分でさっさとやってしまうのです。

やはり学んで時に習うことが大事なのです。

ひとつひとつのワークを行いながら、そのたびに体の変化を感じてゆきます。

これも大事なことだと思います。

やはりそのたびごとに、足で床を踏んでいる感じが出てきます。

また足が胸のあたりから出ているように感じるのです。

ずんと足で床を踏んで頭のてっぺんまで貫かれているように感じます。

そうしてだんだんと足から立ち上がって姿勢ができてゆくのであります。

そうして、皆で前後開脚を行ってみると、みんな驚くほどできるようになっているのです。

足指を調えることで股関節まで柔らかく変化しているのです。

腰も立てることができるようになっています。

このあたりまではいつものことで私もいつもように感じていましたが、終わりになって腿の裏を鍛える方法を教えていただきました。

これが実に私にとって画期的なことでした。

うつ伏せになって膝を九十度足首も九十度の曲げて、足の裏を天井に向けてあげます。

そして恥骨を床に押しつけるようにして、片方の足を上げるのです。

なかなか難しいものです。

これだけでもいいのですが、更にもう一人の人が足の裏に両手を添えます。

足の裏で手のひらを感じるようにしてあげると、なおいっそう深いところまで響いてきます。

これで腿の裏が強化されます。

そうして立つと、実に腰が立っているのです。

椎名先生に指摘されたことが、この腿の裏の強化で解決しました。

接地面がよりはっきりするようになりました。

そうしますと、甲野先生に教わったただ足先を上げ下げするだけという動きも鮮明になった思いなのです。

坐禅などの姿勢がよいのはいうまでもないのですが、この腿の裏を強化することがないとどうしても腿の裏が抜けてしまって、それが仙骨の後傾につながるのだとわかりました。

坐禅の姿勢の素晴らしさと共に注意点がはっきりしたのでした。

今までわからなかったことがわかった喜びでありました。

更には佐々木奘堂さんがいつも仰っている坐ることは足の付けで立つことだというのもよく納得できたのでした。

足の裏を調えて、体が変わったことが実感できました。

その日の講座には藤田一照さんも参加してくださいました。

一照さんと終わったあと、坐禅の姿勢を作る大事な要素だと話し合ったのでした。

こうしていろいろ学び続けて、またイス坐禅の指導などに活かしてゆこうと思っているのであります。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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